価値基準

 この頃、誰かが言うことに納得する一方で、そんなことはどうでもいいと思ってしまうことが多い。
「○○していくことは、就職に役に立ちますよ」
「これからは✕✕が重要だ」
 どうでもいい。心からどうでもいいと思ってしまう。それを善意で言ってくれた人もいる。それでもどうでもいいと思ってしまう。就職が何だというんだ、何かをしてひとかどの人間だと認められることが何だというんだ。これが何かをしたくない自己正当化かもしれないということもわかっている。

 私はこれまでなんとなく持っていた価値基準をどこかで失ってしまった。それは別に何か信念があって持っていたわけではないし、失ってしまったことが良いことなのかも悪いことなのかもわからない。ただ、今まで立っていた地面が崩れ去って、宇宙に放り出されてしまったような感覚がある。なんだか何をしていても心許なくて、現実感があまりない。魅力的だと感じるものごとがあっても、自分ではない第三者がそう感じているような気がする。

 この状態を脱するために、自分の価値基準になるものを考えているけれど、その方角が合っているのかも分からないし、まったく先が見えない。そもそも思索するだけでなく、何か行動をしなければならないのかどうかも分からない。

 そんなことを考えている一方で、最近部屋に引きこもって、自分の専門分野とは全く関係のないラテン語の入門書を読んでいて、あまり意味のないことをしているのに、少し充実感を覚えたことがあった。こういったことがあって、価値とか意味を考える上で、自分のことを考えていたつもりがいつの間にか、他人や社会から見てどうであるかを考えてしまっていたのかと考えるようになった。冒頭に言ったようにどうでもいいと思っているのに、そのどうでいいと思っている価値の方に立って考えているのだからお笑い種である。

 まあ、こんなことがわかったところで今の状況は全く変わらないけれど。誰かこの状況から救い出してくれ!と思いながらも、その誰かが言う事はどうでもいいと感じるので、自分で自分を救い出すしかないのだろう。ほんと誰か助けてくれ(以下無限ループ)

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