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いないいないばぁ

随分前の話だそうだ。Iが住むアパートに幼い子供を育てるシングルマザーがいた。物静かな女性ではあったが、よく子供を連れ近くの公園で遊んでいる姿を見た。Iさんも父がおらず、母一人で育ててもらった。その親子を見かける度に、自分の幼い頃を思い出し懐かしさを感じていた。子供も楽しそうに遊んでるのをみて笑顔が溢れる。

ある休みの晴れた午後の事。いつもの様に公園に親子がいた。母親がベンチで子供をあやしている。いないいないばぁをしてる様だ。親子とは顔が会えば挨拶する程度だが、たまには声でも掛けて話でもしてみるかとIは近づこうとした。楽しそうに子供がはしゃいでいる。顔を隠し、いないいないばぁをしている母親に声をかけようとする。すると「いないいないばぁ!」母親が顔を出した瞬間にIは戸惑う。

母親の顔が般若の仮面瓜二つだ。自分の目がどうにかしたのではと思う。母親は何度も、いないいないばぁの動作をする。般若の仮面の様な顔は次第に涙を流し始めた。しかし子供はキャッキャっと喜んでいる。声をかけるのを止め近くでそれを眺める。すると顔はいつもの母親の顔に戻り子供を抱き上げ、Iに会釈をしアパートに戻って行った。

Iは自分の目がやはりおかしくなったのだと思い帰宅した。しばらく日が過ぎ、母親が警察に捕まった。子供を自らの手で殺めたからだ。理由は生活苦で無理心中を図るつもりだった。しかし母親本人は死ねなかったようだ。地域の新聞にもその事件は載ったそうだ。酷い親だと記事には書かれていた。確かに自らの手で子供を殺めたのは許せない。しかし思い出す度、Iはやるせ無い気持ちになる。きっとあの涙を流した般若の顔は母親の気持ちが現れたものだろう。

あの時、自分が声をかけていれば何かが変わったかもしれないと後悔が消えない。Iはそう私に話した。

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