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映画『女は二度生まれる』 女が人に生まれ変わるまでの物語(ネタバレ感想文 )

監督:川島雄三/1961年 大映

テレビ放送を真剣に観る気はなかったのですが、面白くってつい観ちゃったんですよ。
若尾文子が魅力的なのは言うまでもないのですが、川島雄三の画面えづらが面白い。凡庸なアップとか一切ないんですよね。
そして、この時代のリアルタイムの風俗が興味深い。
性風俗という意味ばかりでなく、登山の奴らは電車の中で合唱するような迷惑野郎だったんだな的なことまで新鮮。

「小えん日記」という小説が原作だそうで、原作者の富田常雄という人は『姿三四郎』を書いた人でもあるそうです。
『姿三四郎』は黒澤明(監督デビュー作)版(1943年)と岡本喜八版(77年)を観てますよ。喜八版の姿三四郎は三浦友和なんですよ。最後の敵は岸田森!

ま、姿三四郎はともかく、「小えん日記」がどんな小説なのかは知りませんが、『女は二度生まれる』と読み解いたのは誰なんですかね?秀逸だなあ。井手俊郎かなあ?

劇中の時代設定は昭和30年代半ば。原作が書かれた1959年(昭和34年)から映画が製作された1961年(昭和36年)の間でしょう。
戦後十数年しか経っていない時代で、図らずも若尾文子が出演した溝口健二の遺作『赤線地帯』(56年)で描かれた売春防止法が施行された1958年(昭和33年)直後。

当時、売春防止法のインパクトが強かったのでしょうね。
名刺貰って「恋人」という言い逃れだって、昨日今日の話じゃないんですけどね。
今だってソープランドは「背中を流してくれる女性との自由恋愛」ってことになってますからね。だから入浴料と中で払う金額は別だったのよ。たぶん今は消費税を含む総額表示義務化で総額表示の店が多いと思うけど(<何の豆知識だ?)。
逆に昔だって、例えば戦前の昭和初期も座敷遊びで売春を斡旋したそうですしね。その時に「後はお二人でお好みでどうぞ」と出した料理が「お好み焼き」の語源だって説もありますよ。真偽のほどは知らんけど。
あと、若尾文子が酉の市で「3度もお尻を触られた」って言うシーンがありますが、今だって渋谷のハロウィンとか痴漢が横行するって話じゃないですか。男はちっとも生まれ変わらんし、成長しないな。

一方、女は成長し「二度生まれる」のです。

この映画は、男の欲望を受け止め続けた女が、電車に乗ったりバスに乗らなかったり「自身の意志」で行動するようになるまでの物語です。
言い換えれば、一度目は「女」として生まれ、二度目は「人」として生まれる物語。

男の欲望は性的なものだけではありません。支配欲や出世欲も含まれます。
あの温厚そうな山村聡ですら支配欲に侵されて鬼の形相でドス振り回すのです。
好青年だと思っていた藤巻潤ですら、自身の出世のために彼女を抱かせようとし、晩年はアデランスのCMに出るのです(<後段関係ない)。
若尾文子演じる小えんは、そうした男の欲望を受け止めて生きています。

しかし川島雄三は「可哀相な女性」とは描きません。
あるいは、そうした男の欲望を飲み込んで成長する『しとやかな獣』(62年)のような「したたかな女性」としても描きません。

むしろ、それが当たり前であるかのような自然体。
たぶん、それが当たり前の時代だったんですよ。
女と生まれたからには、男の欲望を受け入れるのが当然という時代。
おそらく同時期かこの直後に、アメリカでウーマンリブ(女性解放運動)が起こるんですが、この映画にはそうした時代の先見性もあったように思います。

もう一つ、女の「教養」も描かれます。
映画の最初の頃に「今時の若い娘は炭坑節かドドンパくらいしかできない。ワッハッハ」みたいな台詞がありますが、小唄だか長唄だか、芸事は芸者の「教養」として挙げられます。
また、正妻について「女学校を出ている」といった台詞もあります。

でも、この時代の女性に必要な教養や知恵って、本当は何だったのでしょう?
男中心社会で求められた「女の教養」と、これからの時代を生きるための「女の教養」は、きっと違っていたように思います。

いずれにせよこの映画は、無教養で男に頼ることしか生きる術を持たなかった女性が、「男と無関係に生きよう」と無自覚に生まれ変わる物語だと思うのです。

(2023.06.17 CSにて鑑賞 ★★★★☆)

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