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映画『野性の少年』 (ネタバレ感想文 )「クレイマー、クレイマー」じゃん!

トリュフォー好きとか言ってるわりに結構観てません。
この作品もその一つ。今回、生誕90周年上映で初鑑賞。

初めて観てビックリしたことがいくつかあります。

まず、音楽が『クレイマー、クレイマー』(1979年)だったこと。
結論から言うと、オリジナル曲ではなく、ヴィヴァルディの「マンドリン協奏曲・ハ長調.第一楽章」という既存曲だったんですね。無知で恥ずかしい。
私の中では長らく「明石家マンション物語」の関根勤のコーナーのテーマ曲のイメージでした。明石家さんまと(子供に扮した)関根勤がテレビ局や芸能事務所なんかにクレームを言う体で時事ネタをいじるというコーナーで、クレームを入れるから『クレイマー、クレイマー』の音楽だったという。
納得!
もっとも、映画『クレイマー、クレイマー』は原題『Kramer vs. Kramer』で、 claim を言う人ではない。ちなみに claim の意味は「主張」であって「苦情」ではないそうです。

当時アメリカで深刻化してきた離婚問題を(たぶん初めて)正面から取り扱った『Kramer vs. Kramer』は、「クレイマーさん対クレーマーさん」つまり「同姓での対決=離婚裁判」を題材にしてるはずなんですが、日本では(あるいはどこの国でも?)「フレンチトースト」の印象が強い映画になってるわけです。
言い方を変えると「不慣れな父子家庭」の物語。
実はこの『野生の少年』もまた、見方によっては「不慣れな父子家庭」に見えるのです。まあ、メイドさんがいますけどね、物語の軸は「博士と少年」なのです。

そう考えると、「ヴィヴァルディの曲」の一致は、果たしてただの偶然なのでしょうか?

別の驚いた話。
映画冒頭でジャン=ピエール・レオへの献辞があるんですね。
おそらく、トリュフォーの自伝的映画『大人は判ってくれない』(59年)との因果関係を示唆するものと思われます。
この映画の「野生の少年ヴィクトール」を「アントワーヌ・ドワネル」つまり「トリュフォー自身の少年期」に見立てているのではないか、と推測されるのです。

家出少年フランソワ・トリュフォーが改心したのは、15歳頃に出会い親子同然に世話してくれた映画評論家アンドレ・バザンのおかげだったそうです。
(『大人は判ってくれない』はアンドレ・バザンへの献辞がある)
推測するに、この『野生の少年』は、ある意味で『大人は判ってくれない』の続編なのではないでしょうか。
『大人は判ってくれない』は「どうしてこの少年が不良と呼ばれるに至ったか」「不良少年とよばれて」のお話しで、更生する話は描かれません。
『野生の少年』は恩師と出会い、社会性を帯びていく話に見えます。
素行の悪かったトリュフォー少年を野生児に見立て、恩師との出会いが自分を変えてくれた・・・という自伝的要素をこの実話に投影している。

実を言うと、この直後に『大人は判ってくれない』を再鑑賞したのですが、判ってくれない大人たちが非常に感情的なんですよ。両親も教師も常に怒っている。そして突然急に甘やかす。DVの典型。
ところがこの『野生の少年』でトリュフォー自身が演じる博士は冷静で、辛抱強く、決して感情的に怒ったりしない。教育は感情ではないのです。
もしかすると、トリュフォー自身が演じた博士は、自分を辛抱強く見守ってくれた「恩師」アンドレ・バザンをイメージしたのかもしれません。

そのせいかどうか、この映画全体が淡々とした印象を受けます。
野生児の少年は泣いたりわめいたりしますが、周囲の大人たちは怒らない。
上述したように「博士と少年」が軸ですが、観客の感傷を煽ったりせずに、冷静に事態を見つめている。余計な「感情」を描写せず。映画全体が感情的ではない。

最後にもう一つ驚いたこと。
私は常々「トリュフォーは映画撮るのが下手」と言っているんですが、この映画はメチャクチャ上手かった!(<驚くなよ)

監督:フランソワ・トリュフォー/1969年 仏

(2022.07.02 角川有楽シネマにて鑑賞 ★★★★☆)

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