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映画『ゲアトルーズ』 (ネタバレ感想文 )ドライヤーの遺作であり遺言

ゲアトルーズという名の女性を中心に描いた映画です。
文字通り、常に画面の中心に彼女がいます。
カメラはグイグイ動きますが、常に彼女が真ん中です。
タイトル通り、この映画はゲアトルーズという一人の女性だけを切り取った映画なのでしょう。

とにかく視線を合わせない映画

「目が離せない」映画ってのはありますが、これは「(人物が)目を合わせない」映画です。
正直、いきなりこの映画を観たら面喰らったと思います。
こんなにも「視線を合わさない」のが気持ち悪いものかと。

私のあいまいな記憶では、この映画の中で登場人物たちが目を合わせるのは、5回くらいしかありません。
その内2回は特殊な手法です。
1つめはカットバック。会話する二人の顔を切り返す、ごく普通の撮り方です。
しかしこの映画は、例によって、舞台劇を見るような一方からのほぼ1シーン1カットが大半を占め、ごく普通のカットバックはたった1度しかありません。このたった1度のカットバックの際に初めて登場人物2人が視線を合わせます。
(確か私の記憶では、妻が目を逸らしていたのが、このカットバックを挟んで夫が目を逸らすように変わった・・・と思う)

2つめは鏡。
人物2人は向き合っているのですが、画面上1人は鏡の中。

そうまでして普通に2人の視線を合わせたくないか(笑)

残りの3回くらいは普通に2人が1画面内で視線を合わせているんですがね、この時は必ず「別れ話」をしている(と思う)。
正確には、それまで視線を合わさずにグジャグジャ話をしていて、いよいよ三行半みくだりはんを突き付ける際に視線を合わせる。そういう仕掛けなんだと思います。
この監督は、こういう手練手管が好きなんですよ、きっと。
ただ、前作『奇跡』(54年)で「2人が並列に並ぶ画面えづらが好きじゃない」と私は書きましたが、本作は(相変わらず2人きりの画面ですけど)縦に並ぶ奥行きのある人物配置が多かった気がします。

ドライヤーの遺書

この作品完成の4年後にカール・テオドア・ドライヤーは亡くなるんですが、撮っている最中は遺作になるとは思っていなかったでしょう。
でもなんだか、当時75歳(だと思う)のドライヤーの遺言めいている気がします。

出てくる男みんな、この熟れた人妻のいいひとオトコ(<言い方!)という設定は、抑圧された女性の解放という当時としては先進的なテーマだったのかもしれません。
でも私が注目したのは、その野郎ども(<言い方!!)の職業。
愛していない夫は政治家。それ以外に愛を捧げた男性は、詩人・作曲家・小説家という「芸術家」。

映画最後で晩年のゲアトルーズは、愛に捧げた人生を回顧します。
それはまるで「それぞれに味のある女たちだった」と回顧する『ぼんち』(60年)の市川雷蔵・・・ではなく、
「政治や権力を嫌悪し、ただ芸術だけに情熱を注いだ人生だった」というドライヤー自身の回顧のように思えるのです。

そして、老いたドライヤーの代弁者であるゲアトルーズは、まるで死期を予言するかのように言うのです。
「私のお墓にアネモネを植えてください」
「私のお墓の前で 泣かないでください」(<言ってない)
「私のお墓に『愛こそはすべて』(<それはビートルズ)と彫ってください」

ドライヤーは、『裁かるゝジャンヌ』(28年)、『怒りの日』(43年)と、悲劇の女性を描きました。しかし前作『奇跡』(54年)で悲劇からの復活を描き、本作では「いろいろあったけど、振り返れば幸せな人生だった」という結論に至ったように思えます。
これぞ老成の為せる技。
これが遺作となるのも必然だったのかもしれません。

こんな解釈ができたのも「奇跡の映画 カール・テオドア・ドライヤー セレクション」で4作通して観ることができたおかげです。
ザジフィルムズさんありがとう!

監督:カール・テオドア・ドライヤー/1964年 デンマーク

(2022.01.10 渋谷シアター・イメージフォーラムにて鑑賞 ★★★☆☆)

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