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映画『うなぎ』 イマヘイが捉えた世紀末の祝祭と混沌(ネタバレ感想文 )

監督:今村昌平/1997年 日

私は今村昌平イマヘイを観てこなかったことを後悔しており、上映を観られる機会があれば映画館に足を運びたいと思っています。
と言いつつ3年ぶりのイマヘイ鑑賞。

常に庶民を描く彼の作品は、常に(というわけでもないけど)その時代とリンクしていると思っています。
60年代は、時代の熱と土着性と若く精力的なイマヘイの姿勢が上手く絡んでいたように思うんです。まあ、私が好きなのは、ほぼ唯一の70年代作品『復讐するは我にあり』(1979年)なんですけどね。

この『うなぎ』は、当時70歳(だと思う)のイマヘイの目に、90年代終盤の世の中がどう写っていたのか、という映画のような気がします。

「まるで盆踊り」みたいなUFOを呼ぶ装置(?)で、清水美砂が踊ったりして宴会が開かれるシーンがあります。まるで小規模なフェリーニ『8 1/2』(63年)。それを尻目に、役所広司が小舟でそっと川に出ていく。

つまり、祝祭混じりの混沌や喧騒という世の中から、少し距離を置いて生きている。私には、何やらそんな監督のスタンスが感じられたのです。

90年代後半の日本って、バブル崩壊後「失われた10年」とか言われますが、活気がなかったかと言われると、そうでもない気がするんです。なんかね、今にして思えばザワザワしてた。フジテレビがお台場に新社屋作ったりとかさ。混沌や喧噪のイメージが私にはあります。「UFOとフラメンコ」っていう感じがしないでもない。「UFOと恋人」は筋肉少女帯ですけど。暴いておやりよドルバッキー!ニャー!

ただ、60年代のイマヘイなら、その混沌と喧騒の中に身を置き、その視点で映画を撮っていた気がするんですがね。
もう私は、今村昌平の『人間蒸発』(67年)が衝撃で衝撃で、忘れられないんですよ。あれ、もう一度観たいな。いや、観たくないな。

それもあってか、正直私は納得いってません。
観たかったイマヘイじゃなかった。

あらすじには「唯一飼っているうなぎだけに心を開く」とよく書かれていますが、この役所広司がそれほどうなぎに執着しているようには見えない。
哀川翔とか独立愚連隊・佐藤充とか、ゆかいな仲間たちもいますしね。
むしろこの映画で一番孤独で執着心を持っているのは柄本明じゃない?
この柄本明は『復讐するは我にあり』の緒形拳先生ですよ。

あと私は、イマヘイ作品は「女性映画」だと思ってるんですね。
畏怖の念も含めた女性讃歌。
この映画で言えば役所広司の妻や清水美砂なんですけど、イマヘイの「執着」が感じられない。
いや、妻のクダリはイマヘイ的「女性に対する畏怖」だと思うんですけどね。そもそも本当に浮気していたかどうかも怪しいですし。
だって、その後の浮気相手の描写は一切無いんだもの。

うーむ、カンヌのパルムドールかぁ…
なんか、イマヘイの精力が感じられなかった。
うなぎ喰って精つけてくれ、と当時なら言っていたと思います。

(2024.07.30 神保町シアターにて鑑賞 ★★★☆☆)

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