記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

映画『仁義なき戦い』 (ネタバレ感想文 )教科書に載らない日本史を描いた映画史に残る映画。

実は私、この超有名シリーズをほとんど観たことがないんです。
この1作目をほぼ四半世紀前に一度観た限り。
今回、日本映画専門チャンネルで4Kリマスター版(の2Kダウンコンバート版)を毎月1作ずつ連続放送してくれるそうなので、感謝しながら全部観る気になりました。本当はスクリーンで観たかった。
とは言え、これも録画して1ヶ月遅れでやっと観たんですけどね。

映画が面白けりゃなんでもええんじゃ

何故このシリーズに食指が動かないかというと、そもそも任侠物が好きじゃないというのもありますが、深作欣二という人を追ってないんですよ。
いえ、嫌いなわけではないんです。
ただ、思想性とか作家性とか語るべきことが無いというか、「節操がない」んじゃねーか?ってことに気付いたんです。

本当は『復活の日』(80年)(<無駄に好きな映画)の感想で、
「深作はコッポラだ」
「仁義シリーズが『ゴッドファーザー』なら、『復活の日』は『地獄の黙示録』だ」
とか言ってたんですけどね。
なんか、コッポラというより、三池崇史に近い気がしてきたんですよ。
いや、三池大好きですけどね。
「節操がない」って書きましたが、正しくは「映画が面白けりゃなんでもいい」感。
対極にある「思想性の強い作家」が大島渚だと思うんですが、「無思想」というのとは少し違う。無思想ってのは「マーケティング最優先」映画。深作欣二とか三池崇史は「娯楽最優先」という思想。
『軍旗はためく下に』(72年)を観た時は「深作もこんな反戦映画を撮るんだ」と驚いたもんですが、よく考えたら新藤兼人脚本のせいでした。

ベースは実話

この有名作、若かりし頃の大物俳優(今は故人ばっかりだけど)大集合で、周辺エピソードや逸話の類が多いんですが、それを語る気はありません。
ただ唯一、「ほぼ実話」ということは押さえておく必要はあると思います。
原作は飯干晃一のノンフィクションですが、元々はこの映画の菅原文太に相当する人物の獄中手記だそうです。さらに脚本の笠原和夫が再取材したとか。

つまりこれは、れっきとした日本史(現代史)なのです。
日本の黒歴史。黒現代史。クロ現。

この素材が与えられた時に、深作の「娯楽最優先」が功を奏するんですね。
変な思想性を持ち込むと「問題を訴える」作品になってしまう。本当にクローズアップ現代になってしまう。現代じゃないけど。
もし思想性(主義主張)の強い作品になっていたら、これほど大ヒットした日本映画史に残る映画にはなっていなかったかもしれません。

戦中派(のしっぽ)の想い

それでもこの映画に娯楽以外の「深作の思想性」を見出すとしたら、深作が自称する「戦中派のしっぽ」だと思うんです。

終戦時、深作は15歳くらいだったはずです。
勝手な推測ですが、戦後の闇市は、深作自身が目にした日本の姿だったでしょう。この映画は、深作の「リアル」から始まるのです。

6歳年上の岡本喜八は自身も出兵したゴリゴリ戦中派で、しばしば「大人のせいで若者は苦しんだ」という「恨み節」を語ります。『肉弾』(68年)なんかその塊。私は「仁義なき」シリーズ5作を観た後に『ダイナマイトどんどん』(78年)を再鑑賞する気でいますが(なぜなら私は岡本喜八が大好きだから)、そんなパロディ映画ですら「戦中派恨み節」を投げ込んでくる。『赤毛』(69年)では明治維新にまで遡って「政府(大人世代)が若者を裏切る」というテーマを描きます。
また、深作の2歳年下の大島渚は1950年代の学生運動に携わったわけですが、その原動力は、昨日まで鬼畜米英言ってたのに一晩で自由だ平和だ民主主義だと掌を返した「大人への不信感」です。

そしてこの『仁義なき戦い』は、「親父に翻弄される息子たち」「親父(大人)が信用できない若者たち」の物語なのです。
『ぜんぶ、フィデルのせい』(2006年)ならぬ「ぜんぶ、信雄のせい」。
楽しい夕食作っとる場合じゃねーど。
「親ガチャ」ならぬ「ワシらに親を見る目が無かったちゅうことかのう」。

この映画が作られたのは、あさま山荘事件の翌年。
ある種の熱にうなされた喧噪の時代の空気を捉えた映画だとも言えます。
ある意味「学生運動」の変形。学生じゃないけど。
映画内の時代設定は10-20年前ですが、映画自体は製作時の時代の熱量と重なったんだと思います。
(2021.11.27 CS録画にて再鑑賞 ★★★★☆)

監督:深作欣二/1973年 東映

この記事が参加している募集

#映画感想文

66,387件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?