記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

映画『奇跡』 (ネタバレ感想文 )渡る世間に神はなし。

正直、かなり難しかった。
そもそも私が「奇跡」嫌いだってのもあるんですが、有り体に言って、話自体は面白くありませんでした。

珍しく粗筋を書きましょうか。

敬虔なキリスト教信者(おそらくプロテスタント)の老人には三人の息子がいました。
長男はいい嫁をもらって娘にも恵まれていますが、信仰心ゼロ。
次男は優秀で神学を学んでいたけどイカレちゃった。イエスのモノマネ芸人みたいになっちゃってる。そのうち「ロンリー・ハート」歌うかと思った。
三男は身分違いの娘と結婚したいとか言い出す始末。親父おやじどもは「宗派違い」言うとりますが本質は違う。この時代(1925年設定だと思う)、農場を経営しているのは資本家(実際メイドがいる)、仕立て屋は労働者という位置付けだと思われます。富める者の信仰はポジティブで貧者は苦行信仰。そういう違い。

いずれにせよ、三人の息子はどいつもこいつも親父の眼鏡にかなわない。
渡る世間は鬼ばかりかっ。
そんな中、息子の嫁、仮に名前をピン子としましょう、ピン子が大変なことになります。

医者は何だかイマイチ真剣味が足らないように見えるのは私だけでしょうか?牧師もやってきます。これまた信用できないように見えるのは私だけでしょうか?この老父ですら感情移入できない。誰とも目を合わせない演出はどーゆー意図なんだろう?

この映画で信頼できる人物は、ピン子とえなり、じゃないや、ピン子とその娘しかいない。これは私の穿った見方でしょうか?
ピン子の運命やいかに!?

この作品で確信しました。
『裁かるゝジャンヌ』(1928年)でも書きましたが、ドライヤーの姿勢は明確に「神は信じるが、宗教(団体)は信じられない」。この映画でも、医者も含めて「権威」を否定しているように見えます。

ほとんどの場面が、ワンシーン・ワンカットで撮られます。
その代わり、カメラは移動やパンを多用し、よく動く。
この当時、オートフォーカスもスタビライザーもありませんから、めちゃくちゃ大変な撮影なはずです。でも、カメラは決して回り込まない。
移動やパンは多用するものの、舞台劇のようにほとんど一方からしか撮られません。
この舞台劇のような「一定の距離を置いた撮り方」が、登場人物を客観視しているというか、「誰の味方もしない」ドライヤーらしさのように思います。

ところが最終盤、カメラを切り返すんですね。
それまで場面転換かモンタージュでしか変わらなかったショットが、同一場面内でカットを割って切り返すんです。
私が最初に気付いたのは、「医者と牧師が帰ったねぇ」と窓の外を見るワンカット。ここが初めてカメラを切り返した場面じゃないかしらん?
今にして思えば、そこがヨーイドン!
続く葬儀場面では頻繁にカメラを切り返し、舞台劇風から映画的に、そして「奇跡」へと続いていくのです。
(でもカメラは誰にも寄り添わないんだよなあ。)

ストーリーは平易なんですが、私には難しかった。
テクニックが凄い(面白い)のは分かるんですが、監督が何を描きたかったのか、ついぞ分かりませんでした。
ベルイマン「神の沈黙」、フェリーニ「神の不在」、ドライヤーはどう思ってるの?貴方の信仰はポジティブなの?ネガティブなの?
とにかくドライヤーが主義主張しないことは分かりました。

余談
ほとんどが「2人が並列に並んでいる」という平板な画面えづらなのも好きじゃない。
黒澤明みたいな「複数人が綺麗に画面に収まっている構図」が好き。
あるいは川島雄三みたいな「喋りながら動きを止めない(移動を続ける)」のが好き。
あるいは市川崑や岡本喜八みたいなテンポの良いカット割りが好き。
ただ冷静に考えると、この当時(ハリウッドは別として)ワンカット長回しでビシッとピンと合わせるのが困難だったのかもしれません。

監督:カール・テオドア・ドライヤー/1954年 デンマーク

(2022.01.03 渋谷シアター・イメージフォーラムにて鑑賞 ★★★☆☆)

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?