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映画『仁義なき戦い 広島死闘篇』 (ネタバレ感想文 )北大路欣也の「雄呂血」

仁義シリーズ2作目。前作からわずか3ヶ月後に撮られたという作品。
前作に続き日本映画専門チャンネル放送の4Kリマスター版(の2Kダウンコンバート版)を録画で鑑賞。

繊細さを増した「翻弄される若者」

この作品も1作目同様「大人に翻弄される若者」の物語です。
なんならガッツリ坂東妻三郎の『雄呂血』(1925年)ですよ。
ま、北大路欣也の父親はバンツマじゃなくて『旗本退屈男』市川右太衛門ですけどね。バンツマの息子は、高廣、正和、亮の田村3兄弟(<だんご3兄弟みたいな言い方)。

そう考えると、この映画は「北大路欣也vs千葉真一」という構図なんですが、実生活と映画の設定が真逆なのが面白い。
ゼロから這い上がる殺し屋を演じた北大路欣也は大俳優の息子というサラブレッドで、ヤクザのドラ息子を演じた千葉真一は己の腕(身体)一本でのし上がった俳優。もっとも、元の配役は逆だったというエピソードもあるそうですけど。

「大人に翻弄される若者」像が、北大路欣也によって「繊細さ」「ナイーブさ」を得たように思います。ナイーブとかヤクザ映画で何を言うとるんじゃーって話ですけどね。
若者の「行き場のないエネルギー」が描かれた1作目に対し、本作は「脆さ/危うさ」みたいなものが伴っていたように思います。
いずれにせよ、老獪な親父世代に踏みにじられちゃいますけど。
ほんと金子信雄はちっちゃい奴。楽しい夕食作っとる場合じゃねーど。

世代間の断絶

映画の舞台は1950 - 53年(昭和25 - 28年)ですが、映画自体は製作時1973年(昭和48年)頃の時代の空気感を捉えていたんだと思います。
1作目は「ある種の熱にうなされた喧噪の時代の空気」。あさま山荘事件の翌年の製作。ある意味「学生運動」の変形。学生じゃないけど。
ただその熱量は、上述した「若者の行き場のないエネルギー」故。ナイーブさを帯びた本作では、別の切り口が見えてきました。
それは「世代間の断絶」。

『断絶』と言えば井上陽水のアルバムですが、この発売が1972年。
私が「子供と大人の断絶を描いた映画」と言い張っているイギリス映画『小さな恋のメロディ』が71年。
ちなみに、ドラッカーの『断絶の時代』という本が68年に出版されてベストセラーになったそうですから、1970年前後は世界的に「断絶ブーム」だったと思われます。まあ、ドラッカーの言う断絶と、ここで言う世代間の断絶はイコールではありませんけどね。てゆーか断絶ブームって何だよ。
(でも今、「断絶」って言いませんね。ドナルド・トランプ以降「分断」ブーム)

同じ年に作られた映画ですが、1作目は「熱気」、2作目は「断絶と虚無」という時代の空気感が反映されていたように思うのです。
ちなみに、アメリカを代表する(象徴する)「断絶と虚無」映画は『イージー・ライダー』(1969年)だと私は思っています。やっぱり同じ時代。

時代変われば立場も変わる

この映画の構図は「北大路欣也vs千葉真一」だと前述しましたが、この狂犬二人の世代差も面白い。

北大路欣也演じる山中正治は復員兵=戦中派。
千葉真一演じる大友勝利は出征していない、言わば戦後派。

脚本の笠原和夫は入隊経験があるそうで、戦中派・山中に肩入れしたと何かで読んだことがあります。
なので、ラストの通夜のシーンが「若者の犠牲の上にあぐらをかくオジサン達の図」に見えるのは、戦中派・笠原脚本の視点だからだと思います。
未亡人・梶芽衣子の夫が特攻兵だったというクダリもありますしね。
いつだって犠牲になるのは若者なのさ。やるせねえニャー。という視点。狂犬だけど。

一方、自称「戦中派のしっぽ」深作欣二は、自身も入隊経験がないため戦後派・大友勝利に共感していたとか。
なるほど、そう言われると深作映画の「面白けりゃなんでもあり」感は似ている気がします。実際、この映画の手持ちカメラをぶん回す「型破り」なスタイルは従来の映画の仁義を欠いていますし。
若者が世の中を変えるのさ視点。深作欣二、この時43歳。

そんなギラギラしていた深作欣二も、ほぼ20年後に撮った『いつかギラギラする日』(1992年)では時代とともに立場逆転、「若者に翻弄されるオジサン」視点になってしまう。千葉真一なんか若い女に騙されてタマ取られちゃうからね。やるせねえニャー。

(2021.12.18 CS録画にて鑑賞 ★★★★☆)

監督:深作欣二/1973年 東映

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