映画『愛しのタチアナ』 とってもロケンロールな話。マジでw(ネタバレ感想文 )
つまらねえ日常から逃げだすぜ!現実からの逃避行!
ダチ誘って車ブッ飛ばすぜ!
ちょっとそこいくお嬢さん、何?港に行きたい?
OK、オイラの車に乗りな!
だけどオイラが愛してるのはコーヒーとウオッカだけだぜ!
というロケンロールなストーリー。
ワハハハ。マジでマジで。
女なんて写真ばっかりパシャパシャ撮って現実的でさ、
男なんてミエっぱりで自分の話ばっかりして、遺跡よりウオツカの方がいいなんて自分勝手でさ、
というロケンロールな話。マジでマジで。
ロックじゃなくて、ロケンロールね。
実際、この作品は音楽映画でもありますしね。
この映画が愛しいのは、このロケンロール精神に照れがあるというか、非常に奥ゆかしいんですよ。その辺が「ロック」ではないんですよね。
まあ、外国人女性にどう接していいか分からない、中学2年生のチェリーボーイみたいな感じですけどね。
この中2DT男子感がいいんだ。
そこが俺様中心主義のロックじゃなくて、ロケンロールなんですよ。
私は最近、カウリスマキを「ボヘミアンを描く作家」と評するようになったのですが、彼はいつも「流れ着いた者」か「去る者(去ろうとする者)」を描いているように思います。
この映画も同様です。
ダメ男たちの前に旅行者である外国人女性が「流れ着く」。
そして彼女たちが「去る」までの数日間の話。
そして、ボヘミアンであるダメ男の一人ペロンパーは女性と一緒に「去り」(本作も希少なペロンパーとフィンランドの原節子夢の共演作!)、
もう一人はハッチャケる妄想だけして、再び日常に戻っていく。
いやあ、奥ゆかしい。実に奥ゆかしくて愛しい。
だから「愛しの」なんて大見得切ったタイトルより「君のスカーフが」って微細なポイントに焦点を当てたタイトルの方が似合ってると思うんですよね。原題?フィンランド語なんて知らねえよ
(2023.08.10 目黒シネマにて再鑑賞 ★★★★★)