「選択のパラドックス」な現代社会

先日、何気なしにTwitter で「夫が洗濯用の柔軟剤の種類があり過ぎて疲れてしまった」と呟いたら、
友人からそれは「選択のパラドックス」だと教えてもらった。選択肢が増えるのは基本的に人は喜びと捉えるが、あまりにも多くの選択肢があり過ぎると逆に人はストレスを感じ、選ぶ事が苦痛になってしまうのだと言う。
「選択のパラドックス」についてのTED動画(字幕付き)を貼ってあるので、興味のある方はそちらをご覧ください。

確かに。

日々買い物をしている私ですら柔軟剤の種類の多さには多少辟易している。どんなに種類があろうとも、結局は一種類しか買わないし、一度に使える柔軟剤も一種類なのに何故に消臭、抗菌、何とかの香り、液体、ビーズ状、ボトル、詰替、大容量とあんなに種類があるのだろう。普段から日用品の買い物をあまりしない夫にしてみれば頭がクラクラする思いだろう。

柔軟剤だけではない。
全ての商品がそうだ。

何もかも沢山の種類がありすぎる。
どれを選んでも選ばなくても、選ばなかったものに対する後悔が常につきまとい、選ぶ事自体がもうしんどい。

いつからこんな風になったのだろう?

私が子どもの頃はまだ、スーパーマーケットのようなものは少なく、鶏肉は鶏屋、野菜は八百屋、干物は乾物屋で、それこそサザエさんのように買い物カゴを持って買い物に行っていた。

魚などは冷凍技術や冷凍したまま輸送するシステムが出来上がっていなかったので、近所の港で水揚げされたものしか出回っていなかった。北海道のホッケや東北のハタハタなどは大人になって初めて食べた。
その代わり取れたての旬のお魚はとびきりピチピチで美味しかった。
野菜も然りだ。
季節の野菜がザルに入って一山幾らで売られていて、売り切れてしまえば、はい、お終いの世界だ。

コンビニもなければ、カット野菜もない。
そもそも24時間空いている店がない。
夕方5時くらいに売り場にないものは、翌朝の開店時に入荷しなければ永遠に(といえば大袈裟か)手に入らなかった。

当然夕飯の献立は季節の魚や野菜である。
後は煮るか焼くか、漬物の種類が多少違うばかりでご近所も皆同じような物を食べていたと思う。
今ほど調味料も発達していなかったし、母親達の料理のレパートリーも限られていた。

時々思う事がある。

1970年代あたりにもし、Instagramがあったら、どんなふうだっただろう。母親のスマホのタイムラインにはご近所さんの投稿ばかり。全部どのお宅の夕飯も同じようなメニューばかりだ。ファッションだって〇〇洋品店で売っている物しかない。化粧品も同じようなものだろう。
たまに舶来の物などをアップすると
「いやぁねえ。〇〇さんったらまた自慢しちゃってぇー」と、眉を顰められ、
早速飽きられ、オワコンになっていたかもしれない。

話が逸れた。

何が言いたかったかと言うと、当時の母親達(この際料理を作るのが母ばかりでは云々のジェンダー論は置いておく)にとって献立決めは、現在ほどストレスがなかったのではないかと言うことだ。

少ない選択肢の中でお財布と家族の食べる量、栄養価を考えるくらいで済んだだろうと思う。

数年前に食材宅配サービスの会社の仕事を請け負い、コールセンターで全国の主婦(お試しセットを頼んだ人)宛に、一件一件電話をかけ、会員になりませんか?の営業の仕事をした事がある。

もちろん最初から営業、営業していては話を聞いてもらえないので、アンケートと称して色々な主婦に食事作りの悩みを聞き出すと言うくだりがあるのだが、
これがまた皆判で押したかのように同じ答えで面白かった。

「献立を決めるのが億劫。献立がマンネリになる。」

これのオンパレードなのだ。

日本全国、老いも若きも関係ない。明らかに裕福であろう東京の高級住宅地の奥様も、山村の僻地に住む田舎のおばさんも、皆献立決めは毎日の悩みの種なのだ。

確かにスーパーマーケットに行けば嫌と言うほどの野菜、果物、肉、魚、調味料に加工品、お惣菜や半調理品などが売っている。季節も時間もあまり関係ない。
品物が切れかけたら、どんどんバックヤードから補充される。

そう。昔の「今日は売り切れで。」が現在では通用しないのだ。

あらゆる食材に能書きが付き、有機野菜であるとか、健康によろしい、血圧を下げる効果がある、このお店だけの限定品だとか、この食材と組み合わせると美味しくできるとか、手書きのポップが、生産者の顔写真が、
買って!買って!この商品を選んで!とこれでもかと訴えかけて来る。

やかましいわ!

と、叫びたくなるのは私だけか。

そう、私達現代人は毎日の献立を決める際に毎回この
「選択のパラドックス」を感じながら買い物をしているのだ。

沢山物があるのは物のなかった戦中戦後を経験した人ならきっとそれは善き事なのだろう。

でも現代を生きる私達は献立決め以外にも毎日決断、選択しなければならない事が多過ぎるのだ。

仕事でも人間関係でも、家庭でも。

だからスーパーのカゴを手に取り、野菜コーナーに立ち入った途端、目の前に暗雲が立ち込めるような気分になる。

本来は楽しいはずのお買い物が苦痛になる。

本来は家族の為に用意する食事の内容に、正解も不正解もあるはずがないのに、これだけの食材が並べて有れば、ひょっとしたら私は間違った選択をしているのではないかと不安や後悔がいつもつきまとう。

この「選択のパラドックス」を上手くやり過ごす答えは未だに私自身も持ち合わせていない。

買い物の頻度を減らす事や、あまりレシピを検索し過ぎない事くらいか。

それとてもではないが、ドラスティックな解決法ではなく付け焼き刃と言う物であろう。

しばらくはこのパラドックスと上手く折り合いをつけて付き合っていくしかないのではないかと思う今日この頃。
何か妙案があれば是非教えを請いたい。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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