インドのひとたちとわたくし。(166)ー袖振り合うも多生の縁
季節はモンスーンに入り、日中の気温は40℃超えから30℃台前半まで下がった。が、逆に湿度が上がって60%以上はあるので、じめじめと蒸し暑い。日本の夏みたいだ。
この頃は、デリーよりロンドン、パリ、東京のほうが暑い。自然発火と思われる大規模な山火事もあちこちで発生しているし、滑走路や線路が暑さで溶けている。これに加え、パンデミック時の大量解雇の後遺症で、ヒースロー始め各地の空港が大混乱を起こして、長時間の遅れや大量のバゲージ・ロストが起こっている、とニュースで伝えている。せっかくのバカンス・シーズンがこれでは大きな機会損失を招いているだろうな。今年4月のデリーも過去最高に暑い日々が続き、電力と水供給がひっ迫した。停電や断水も多かった気がする。
火曜日の夕方は、いきなり強風が吹き出して激しい雷雨に見舞われた。バラバラと音のする大粒の雨とともに、遠くで雷の音がしている。いちどはビシッという、なにかがはじけるような大きな音もした。
しばらくして、我が家を含めあたり一帯が停電してしまった。さっきの大きな音は落雷だったらしい。ベランダに出ると向かいの家々もひとびとが出てきて盛んにあたりを見回している。道路には、強風で折れた木の枝葉がたくさん散っている。あとで知ったが市内では倒木で怪我をしたひとも出たらしい。
お向かいのアパートメント2階ではいつも、陽の差さない午前中に車椅子の老男性がベランダにいて新聞を読んでいる。日ごろは、お世話係らしい若い男性がそばにいて、彼は床にペタンと座って携帯を眺めているのだが、今日は、車椅子紳士の奥さんらしいグレイヘアの女性と、栄養状態のすこぶるよい双子のような若い男性二人が出てきて、ベランダでお茶の支度を始めた。大きなタッパーウエアから何種類ものクッキーを取り出して並べている。おいしそうだな。ウチはサードフロア、日本で言う4階だからよく見えるのだ。
普段は喋ったこともないひとたちにも、この機会に挨拶しておこう。雷雨が過ぎて少しだが涼しくなった。ベランダ越しにお互いに手を振ったりして、のんびりしたものだ。
時刻は5時を回ったところ。どこの家でも出てくるひとはみんな片手にマグを持っている。お茶の時間なんだね。
斜め向かいには、まだ新築と言ってよいアパートメントがあり、最上階に大家らしき家族が住んでいる。そこのベランダに出てきた中年の男性と目が合った。手に携帯を持っているのが見えるので、急いで手近の紙にこちらの番号を大きく書いて掲げてみる。そしたらすぐ電話がかかってきた。ベランダ越しに互いの顔を見ながら携帯で自己紹介し合う。
男性はアパートメント全体のオーナーだった。建物はウチと同じように、1階が駐車場ですぐうえのグラウンドフロアとその上のセカンドフロア、サードフロア、つまり日本で言う2階から4階を賃貸にしている。今のところグラウンドフロアとセカンドフロアは空室だ。好奇心から見に行ってもいいかと訊くと、いつでもどうぞと快諾してくれた。
しばらくして男性は停電の様子を確かめに表に出て行った。すると今度は息子夫婦らしいカップルと小さい男の子がベランダで遊び始めた。表の通りにいる父親のほうに身振りでお願いして息子さんにもこちらに電話をかけてもらう。別に用はないのだが、停電中はすることもないので。
40前くらいに見える息子さんは、なんとプライベート・ジェット機のパイロットだそうで、それを聞いた家のひとのテンションが見るからに上がる。医療関係の顧客が多いアメリカ資本の航空会社らしい。実はインドにはメディカル・ツーリズムで訪れる中東やアフリカの富裕層が結構いるのだった。大病院のインターナショナル・デスクでそうしたひとたちを見かける。
ひとしきり世間話をして電話も終わり、下を見るとお向かいのお茶会もお開きになったみたいだった。電気はまだ来ない。日が暮れてもまだまだ暑いし、復旧の目途がないと冷蔵庫も明けられない。携帯のライトでは料理の手元も覚束ない。
いよいよホテル避難でも考えなくてはと思った8時過ぎ、ようやっと電気が戻った。やれやれである。
そんなことがあった次の週末、斜め向かいのその人、ディマン氏のアパートメントを見に行くことにした。
最初に4階の氏の住まいを訪ねる。夫婦二人で住んでいて、我が家と同じような3ベッドルーム2バスルーム、それにリビングダイニングとキッチンという設えだ。新築とあってさすがにきれいである。
奥方は英語を解さないので、砂糖抜きのチャイをいただきつつ夫君と話す。61歳で、リタイアしたばかり。穀物商社の大手に勤めていたそう。退職を機に、この物件をビルごと購入した。通いのお手伝いさんがいて、家の掃除と食器の洗い物はやってもらっているという。夫婦二人にはじゅうぶんな広さだ。建ってほぼ1年建つが、コロナ禍の影響もあるのだろう、2フロア分のテナントがまだ決まっていない。
お喋りの最中に通いのお手伝いさんと思しき女性がサリー姿でやってきた。裸足の足指にいくつも金の指輪をはめていてなかなかお洒落だ。手慣れた感じで箒を手に取り、掃除を始めた。ディマン氏は「ウチは日に2回、掃除をしてもらうのだ」と傍で語っている。確かに新築物件であってもデリーの住宅は埃が入りやすい。なので『2回』というのもわからなくはないのだが、見ていると、箒の彼女は私たちが座っているソファの下へもお客にお構いなく箒を突き出してくる。が、こちらに特有の『筆』みたいな細い箒で、床を掃くというよりも手の届く範囲を撫でまわしているだけにしか見えない。ディマン夫人サントシュが目を光らせて「こっちもやって」と指示はしているから、目につくゴミは集められているようだが、これでは日に2回でもきれいになるには限度があるだろう。様子を見ていて、この広さの住宅なら私が自分らで掃除しても何とかなるだろうと思ってしまう。
彼女はその後、キッチンに溜まった大量の洗い物を片付けたが、これもじゃあじゃあと上から水をかけていくので、あれでは床が水浸しだ。
人件費が安く、食洗機や大型掃除機を買うよりみんなメイドを頼むから、インドはなかなか家電が普及しないのだという話も聞く。それでもコロナのパンデミックによるロックダウンで、雇い人たちが一斉に田舎に帰ってしまい、代わりに家事を担うことになった家のひとたちの要請で、食器洗い機がたくさんこの時期に売れたらしい。
インドの家のインテリアは、金装飾とか柄物満載の壁紙にファブリックとか、あまり好みではないから、ソファやなにかは自分たちで調達し、最低限の電化製品だけ入れてもらう『セミ・ファニチャー』での家賃を聞くことにする。エレベーターは階層によって使用頻度が違うから傾斜配分される。日本で言う2階にあたるグラウンド・フロアならその費用は安い。
考えてみればデリーに来てから今度で引っ越しは3回目である。最初の住まいはあまり選択肢がなく、あんなに大家が吝嗇家とは知らずに契約した。近所によい知り合いが出来たことはよかったが、備え付けの家電がしょっちゅう壊れただけでなく、建付けが隙間だらけで埃がものすごく、ロックダウン状況下での掃除には苦労した。
2軒目は似たような間取りでもはるかに造りは上質で、それは大家夫婦が最上階に住んでいるからだということがわかった。とは言え、埃対策には気を抜けず、これはインドにいる限り逃れられないんだろうなと知った。仕事の都合で引っ越すことになり、1年あまりで退居することになったが、大家のカプール氏はそれまでもっぱら駐在の外国人に部屋を貸していて、特に日本人は極めてきれいに使い、支払いも気前よく前払いしてくれるからお気に入りであった。なので駐在でない我々に対してはなにかと厳しくて、たった1年で出ていくのか、とねちねちいつまでも不動産屋にこぼしていたらしい。
今の大家プージャにはいろいろと『怪しい』ことがあって信用ならないので、いっそのことこの近所で引っ越そうと実は考えている私らであった。
『大家候補』のディマン氏は、話してみると実直そうな感じがする。二度目の訪問の際、おもしろいエピソードを披露してくれた。
パンデミックが起こってすぐのこと。ゴアにいる友人がカナダのトロントからのお客を迎えることにしていた。ところがそのお客はデリーに到着してすぐに、コロナ陽性になってしまったのだ。見知ったひともいない異国の地でその人は途方にくれた。ゴアのひとも感染リスクがあるから迎えに行くこともできない。そこでデリーに住むディマン氏に電話をかけて事情を説明した。ディマン氏は「よしわかった」と言って、そのカナダの来客に電話を入れ、必要な情報を提供して宿泊先の費用も建替えしてあげた。その人は無事に回復してゴアには向かわずカナダの家族のもとへ帰ったそうだ。
「その人にはいちども会ったことがないけれどね。世の中はお金だけで動くわけじゃない。自分が正しいふるまいをしていればお金は後からついて来るものだ」とディマン氏。
世の中に『よい大家』と『よくない大家』のどちらかしかいないとすると、ディマン氏は前者ではないかと,、ほんの少し期待している。
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( Photos : In Delhi, 2022 )
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