インドのひとたちとわたくし。(33) -デリー警察本部食堂
用があってデリー警察本部へ出向くことになった。ITO、つまり所得税庁の向かいにあるコンクリート打ちっぱなしの高層ビルには、壁面に巨大なマハトマ・ガンディーのリアルな肖像画が描かれていてあまりにも目立つので、以前から場所は知っていた。
受付で身分証提示とともに一緒に来た全員の写真をまとめて撮られる。記念写真みたいだ。どうでもいいが、警察本部の受付にいる女性警官は、いつ来てもどのひともみんな可愛いので驚く。なにか選考基準があるのか。余計なことを考えながら通過する。
用があるのは高官なので、最上階の13階までエレベーターに乗る。はしっこに警官優先と書かれたエレベーターがあってそちらのほうが断然早そうなので、一緒に乗せてもらおうと思ったが鼻先で扉を閉められてしまった。ふん。
上階では、高官のオフィスの横にある狭い待合室に通される。役所関係で待たされるのはもう慣れっこだ。隅に雑誌の積まれた棚があるが、ぜんぶヒンディなので残念ながら読めない。
暇なので、向かいに座ったジョリーをからかうことにする。彼は最近、髭を伸ばし始めている。ちょっとラテン系に見えなくもない、目の大きな、彫りの深い顔立ちで、髪と同じく白髪交じりの髭面がなかなかよく似合っている。三大テノール・ツアーのころのプラシド・ドミンゴみたいだ。そう指摘すると、ジョリーは実はオペラに関してまったくなにも知らなかったので、携帯で検索して画像を見せてあげた。「おお、こんなに男前なのか」とうれしそうだ。ついでに横に座っているヴィッキーにも同じ画像を見せるが、こちらは無反応。「眼鏡がないからなにも見えない」と、なんともつれない。
ジョリーは画像を見てからこの例えが気に入ったらしく、後日、ライブ映像まで見たらしい。が、その後すぐ、ドミンゴ氏のセクシャルハラスメントの記事が新聞を賑わすことになった。残念だ、ほんとうに残念だ。ジョリーもさぞがっかりしたことだろう。
高官との会見が無事に終わって、建物の外に出たのはもう8時近かった。こちらは早く家に帰って普通のご飯を食べたい時刻なのだが、『食堂はこちら』という看板をジョリーが目ざとく見つけてしまった。「クイック・スナックだ」と勢いよく歩き出す。
警察本部の食堂なんてめったに入る機会もないから、慌てて後ろをついていく。
『食堂』と言っても、駅にある立ち食い蕎麦屋のような、椅子もない簡易な一角で、こんな時間だからか食事をしているひとは誰もいないし、カウンターにある保温バットの中もほとんど空である。配膳の男の子たちが暇そうにかたまって携帯をのぞき込んでいた。不満気な顔のジョリーがカウンターに乗り出して、何だったら出せるのかとしつこく尋ねている。
芋の入ったサモサはすでに売り切れていて、それより小さい豆のサモサなら少しある、と男の子が冷蔵庫からバットごと出してきたので、それを温めるようにジョリーが指示し、あとはそれぞれポテトチップスやクッキーやら好きなスナックを棚から出してテーブルに並べた。つけっぱなしのテレビでは、カシミール情勢と南部の洪水のニュースを流している。昨日が独立記念日だったから、警察本部は警戒と警備にさぞ忙しかったことだろう。
ピロリローンとなにやら軽快な音がして電子レンジからサモサが出された。中身はグリーンピースだ。脂っこくもなく、辛すぎず、思ったよりおいしいではないの。喜んでぱくついている私を、マルハトラが「だいじょうぶか」と言った面持ちでのぞき込む。まあ、確かにすごく衛生的な店内とは言えない。「胃が丈夫だから平気」と言うと、「それは明日の朝になってから言え。朝になってなんともなかったら君の実験は成功だ」。
ヤなこと言うなあ。
日本であればこんな時間、打ち合わせのあとさくっと軽く一杯、と居酒屋に行くところであるが、ここはインド。
「サモサで乾杯」なのであった。
( Photos : Delhi Police Head Quarters, Delhi, 2019 )
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