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インドのひとたちとわたくし。(110)-今、どうなっているかというと

 近所のカプール夫人から相談があった。彼女の仕事仲間の弟さんが、カー・ドライバーの仕事を失ってしまった。本人がエアコン付きの自家用車を所有している、パソコンスキルもあるし、使える人材で、人柄は私が保証できるとのこと。
 ううむ、この時期、日本から新しく赴任してくるひともいないから、誰か探せるかわからないけれど、と返信し、知り合いの配車サービス経営者に聞いてみた。そうしたらなんと「ちょうど人材を探していたのですぐに面談したい」とのこと。おお、こういうこともあるんだ。あれだな、グラノヴェッターの言う『弱い紐帯』の典型だ。アメリカの転職者がどこから情報を得ているかを、大規模な社会調査によって明らかにしたもので、身近な知り合いよりよく知らない相手からの情報が転職の縁になっていることを実証した。身近にいるあなたのことをよく知るひとよりも、遠くにいるひとのほうが自分の知らない情報との接点をたくさん持っている、だから縁はそういうところからやってくる。その通りの話になった。件の彼が面接に合格できるとよいけれど。

 困っているひとや弱い立場のひとに手を差し伸べることを、こちらのひとたちは厭わない。物乞いのひとに通りすがりにそっと小銭を手渡すひとや、苦労して坂道をのぼっている荷物を積んだ自転車を後ろから片足を差し出して押してあげているバイクに乗った若者など、日本であまり見ることはないだろうなあという光景を、しばしば目にする。道を尋ねるとわらわらと何人も寄ってきては、みんなが違うことを言うというのは、インドのひとのご愛嬌ではある。

 初めてグラノヴェッター『転職』を読んだとき、ああこれは日本には当てはまらないなあと直感したことを思い出す。
 だいぶのちになって、山岸俊夫『信頼の構造』でその理由を合点した。大陸の国では、まずひとを信頼することで、新しい出会いや貴重な情報など本人が便益を手にする可能性が高い。一方、既存の人間関係の外へ踏み出すことが物理的にも精神的にも難しい同質社会の島国では、相手をどれだけ信用できるかという見定めによってしか人間関係を築くことができない。ために、見知らぬひとを簡単に信頼するのではなく、自分にとって相手が安全かどうかを測ることになる。「安全」とは相手との関係における損得勘定に他ならない。文字通り、「義理と人情」の世界である。自分にとっての安全性が確認できない相手とは近づかないという方向へ思考が向くのだ。

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 今、全土ではたくさんの『コミュニティ・キッチン』が運営されている。いわゆる「炊き出し」だ。我が家の近所でも、休校中の公立学校の門の前で毎日、大鍋に作った米と煮込みの料理を提供している。ここはたぶん州政府の運営だ。昼時や夕方は、器や袋を手にしたひとたちが何十人も列を作っている。この近所で建築中の建物に住み込んでいる若い家族も、小さな子供を連れて通っているようだ。
 コミュニティ・キッチンは以前からあって、シークのお寺では毎日、無料の食事をボランティアのひとたちが提供している。ここへ来ていくつもファンド・レイジングが起こされてNGO やボランティアによる運営も増えている。こちらも暇なのだから手伝いたい気持ちはあるが、勝手がわからないし、感染リスクも高いので、出向くのは躊躇してしまう。せいぜいができる範囲での募金活動だ。

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 インドは5月4日から3回目のロックダウン延長に入ったが、同時に地区を選んで少しずつ酒屋や非日用品の商店が営業を再開している。大問題であったお酒の調達もほぼ問題なくできるようになった。デリーではずっと酒販売が禁止であったため、闇ルートで、通常の3倍以上の値段でしか酒が買えなかったのだ。最初は政府直営の酒販店のみが営業となったので、ドライバーのパンディットと、彼の息子で工科大学生のヴィシャール・クマールまで頼って『eトークン』を入手してもらった。ようやく州政府が販売を許可したものの、早朝から何百人ものひとが酒屋に殺到して大混乱となり警察官が出動する騒ぎになった。このため、購入者は事前にウェブで、指定の酒屋の『eトークン』を発行してもらうことになったが、これがまたリリース当日の朝からサーバーがパンクする事態となってしまった。その後もなかなかアクセスができないし、ずらりと出てくる酒屋のリストを見ても土地勘のない当方にはどこだかさっぱりわからないため、大学が休みで家にいるクマールが一日中、パソコンの前に張りついてスロットの空きを探してくれたのだった。実際に買いにいってくれたパンディットによると、1時間単位の指定スロットがあるにもかかわらず、朝5時から並ばなくてはならなったという。いやあ苦労かけました。
 「買える」とはいっても、州政府がこの機に乗じて『コロナ特別税』という、ほとんど酒飲みにとっての懲罰みたいな70%もの税金を加算してきたので、普段の倍近い金額を使うはめになってはいる。

 ロックダウン延長とほぼ同時に、商店再開だけでなくオフィスへの一部通勤も認められた。それ以降、インドの新規感染確認者は、ある意味「順当に」一日あたりの記録数を伸ばしている。突然のロックダウン以降、都市部の日雇い労働のひとたちが収入や住まいを失い、数百キロを歩いてでも故郷に帰ろうとして何人も事故で亡くなったりしていたのが、緩和と同時に帰還用の特別列車やバスを政府が出すようになったから、きっとこのあと大都市圏だけでなく地方での感染拡大も次第に起きるのだと思う。ひととモノ、お金の動きがすべて止まってしまったため、インド政府としても無期限にロックダウンはできない。そもそもロックダウンは医療機関の崩壊を防ぐために感染拡大をできるだけ遅らせる措置なので、これだけでコロナの封じ込めが完了するわけじゃない。一時鎖国になったことで、PPE や検査キットの国内増産ができるようになったそうなので、医療体制のキャパシティと経済活動とのバランスを見て条件緩和を判断したということなんだろうな。
 インド国は他国に比べてコロナによる死亡者が少ないとされているが、先進国のように「過当死亡者」の正確なデータがとられていないのでほんとうのところはわからない。

 通っていたジムからは、「予約制でひとり週2回まで」という条件つきで営業を再開するという連絡がやってきた。
 が、感染者の伸びが収まらないので31日までとしたロックダウンをまたまた延長するかもしれないというので、商売はまたあがったりになるのかもしれない。

 財務大臣が中小企業向けの経済支援策を発表していたが、銀行に聞いても「詳細はまだわからない」との返事。インド国内感染のピークは6月から7月と言われていたのが、最近は8月と述べる専門家もいて、この戦いはまだまだ続く。

インドのタイムライン( India Today, 30th May, 2020 )

( Photos : In Delhi, 2020 )


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