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インドのひとたちとわたくし。(112)-オム・プラカシュの失踪

 技術責任者のオム・プラカシュが突然、会社を辞めた。

 なにが起こったのかよくわからない。先週までは普通に出社して仕事をしていたのに、急に「明日からもう来ない」と言われたとアンキタ。彼女も面食らっているようだ。
 木曜日に社外コンサルタントのアビシェク氏と打ち合わせる予定だったのに、「家族の具合が悪い」と言って休み、金曜日には自分のパソコンを引き取りに来て、そのまますぐ帰って行った。それきり来ないし、誰が電話しても出ないのだという。
 業を煮やしたヴィッキーが昨日の夜、住所を頼りに彼の住まいを訪ねようとしたが、車の通れない、入り組んだ狭い路地が多いところで結局、たどり着けなかったと言っている。

 何人かの話を聞いていて、おぼろげにわかってきたことがある。

 ロックダウンで出社もできなかった4月、オムはアビシェク氏と一緒に副業として自宅でコンサルティングの仕事を受けていた。インドの会社に「兼業禁止規定」はないので、これ自体は問題ない。ところが、クライアントを紹介したアビシェク氏を途中から排除して仕事を進めただけでなく、彼に払うべき手数料も未だに支払っていない。2ラック(1ラック=10万ルピー:1ルピー=約1.6円)あまりを独り占めしたのだ。それ、彼の給与の4倍以上にあたる金額じゃん。木曜日の彼との打ち合わせをすっぽかしたのはそのことがあったからに違いない。当然ながらアビーことアビシェク氏は怒っている。小柄な彼が、頭のてっぺんから出るような声で湯気を出してわめいているところが目に浮かぶようだ。
 また、ラボにいる若いスタッフによれば、この数日、オムは「もう自分にはなにも聞くな」「仕事のサポートは一切しない」と宣言していて、もう間もなく技術の監査が入るというのに、アトゥールもサリータも途方に暮れてしまっていた。
 大事な監査が目前にあるだけでなく、コロナによるロックダウンでどの業界、どの会社も生き残るのに必死で新しいひとを採用する余裕なんてないはずなのに。解雇や事業閉鎖も恐らく増えていて、毎日会社宛に来る履歴書メールが山になっているくらいだ。こういう状況のなか、いったいどこへ転職したのか、業界情報に精通しているマノージでさえ、わからないと言っている。

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 オム・プラカシュはどちらかというと内気で穏やかな性格のように見えた。

 技術と知識はあるが、みんなをまとめていくリーダーシップにはやや欠ける。優柔不断なところがあるのと、話をしていてちょっと木で竹を接ぐようなところがあって、それが日常会話であれば愉快な行き違いで済むのだけれど、仕事となるとそうはいかない。去年の最初の監査のあと、彼の陣頭指揮の、あまりの手際の悪さに頭に来たらしい副責任者のアトゥールと品質管理責任者のスニータが、オムに食ってかかって喧嘩になっていたと後から聞いた。

 オムは前職では、国際的にも知名度のある会社の、チェンナイにある工場で技術職に就いていた。ところが彼の地の豪雨と大規模な洪水で工場が操業不能になってしまい、仕事を求めてこちらへ戻ってきたところであった。
 パンデミック以前の労働市場では、技術や資格のある専門職のひとびとは通常、転職の際に現在の給与の2割増を希望する。ひとつの職場に長く勤めても日本のように年功序列で昇給するわけではないので、転職によって経験と給料を高め、キャリアを築いていくのである。
 それがオムの場合、チェンナイで失職して困っているところで、私たちの提示した額が前職を下回っていたにも関わらず、応諾してくれたのだった。そういうところ、強気に出ないのもこのひとらしいと言えばそうなのだったが、気が弱くてスパッと物事を決められない性格がやっぱり仕事面にもにじみ出ていたのであった。
 しかし、20歳かそこらの新人だったら、仕事が合わなくて急に会社に来なくなったということもなくはない。でも彼、もう30半ばでしかも責任者でしょうに。それがこんな急な辞め方をするなんて、あんたには責任感てものがないのか。ちょっと意外ではある。

 オムとはそりの合わなかったスニータが以前、「自分を首にするときはせめて2か月前には教えて欲しい」と急に言い出し、びっくりして問いただしたところ、誰かに、「監査が無事に終わったら彼女は用済みだから、経営陣は解雇を考えている」と吹き込まれたらしい。こっちは誰もそんな話はしていない。職場の若手が上の職位のスニータにそんな口をきく理由もない。まさかオムがね、とは思っているが、副業の件でアビーは明らかに「ヤツに騙された」と言っているし、ひとは見かけではなかなかわからない。

 いなくなったオムのことをあれこれ想像していてもはじまらない。幸いなことに早速、必要なスペックを満たす候補者人材が現れた。なんとオムの、前職での上司にあたる人物だ。オフィスのあるUP州とデリーの州境に住まいがある。デリーの感染爆発のせいで、いつまた州境が閉鎖になるかわからない時期なので、デリー側では通勤できなくなるのではないかと心配したが、電話で話をしたヴィッキーによれば、「裏道を知っているから問題ない」という頼もしいのかどうかよくわからない返事が来たそうだ。ほんとうに「問題ない」のかどうかは、そうなってみてからでないと何とも言えないが、本人が「マネージする」と言っているのでここは信用することにする。

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 ひやっとして見ていた国境での中国軍との衝突は、11時間に及ぶ二国間会議のすえ、問題の地域から相互に離脱するということで合意したみたいだ。デリーでも一部に「中国製品のボイコット」を訴える動きがあったものの、携帯や家電などこれだけ中国製品に依存しているインドでそれはあまり現実的でない。なによりインドは今、コロナへの対応で忙しいのだ。デリーの感染者数は今、5万人台だが、8月にはこれが10万の大台に乗るとする予測もある。ともかくテストと病床の増加が最優先で、州も国も政府はやることいっぱいなんである。

 日中45℃というヒートウェイブもひと息つき、デリーはもう間もなくモンスーンの季節になる。ロックダウン直前の3月はまだ長袖を羽織っていたというのに、もうそんな時期なのか。
 隣人と話していたら、彼はもう3カ月以上、家の敷地から外に出ていないそうだ。自宅にオフィスのあるひとだからまだいいとはいえ、製造業の工場が稼働再開したと言っているが、こんな調子ではみんな買い物も最低限しかしない。商売はどこもあがったりだ。彼は、年内はずっとこういう状態が続くだろうとの見通しを淡々と述べていた。

デリーは症例増加するも回復率が向上( The Hindustan Times, 24th June, 2020 )

インドと中国政府が11時間のマラソン会議で合意( Times of India, 24th June, 2020 )

ラダックにおけるインドと中国政府間の取り決めを解説( Indian Express, 20th June, 2020 )

( Photos : In Delhi, 2020 )

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