ピープルフライドストーリー (54)…  針        【作者コメント:   原形は、ある人物に一度見せたっ切りで、何十年も忘却、紛失。それを記憶の穴からほじくり返し、捻りねじって出来た作品である。…】

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………………………(54)

────── 針 ─────

           by  三毛乱

 おれは深夜に歩いていた。
 一年前に長年勤めた仕事を辞めていた。会社では大きな失敗はしなかったが、大きな成功もなかった。死ぬまでに残せるのなら、小説を書いて残して置きたい思いが募った。それだけの為だけに会社を辞めた。幾つかの短い小説を書き終えると、その後にはまとまらないアイデアばかりが残り、どうにもならない状態のまま数か月過ごしている時だった。家の中に独りで長くいるのも厭きて、どこへ行くあてもなかったが、気分転換のつもりで寒くも暑くもない街なかを歩いていたのだった。
 雲のない月のハッキリ見える空の下で、深夜の舗道は人も車も通らず、ひっそりとしていた。三叉路に近づくと、近くの暗がりに後ろ向きに男が一人立っていた。なるべく見ない様に街灯の明かりの中を通ろうとすると、30代らしいその男が近寄って来た。白いYシャツに黒のズボンだった。
 おれは立ち止まった。
「あのう、すみません……」
 男は一度動きを止めてから、ゆっくり歩き出し話し掛けてきた。おれは人形にでもなったかの様に動けないでいた。ほんの1メートルの距離となった。疲れている中でも気持ちの高ぶっているような眼をしていた。
「あのう、あのう……お願いがあるんですが…」
 と、ためらいがちに言った。
 おれは無言だっだ。
「あのう、あのう、……この、……この、首にあるこの針を抜いてくれませんか?」
 と、男はYシャツの上の首の部分をやや曲げながら指差してきた。街灯の明かりの中でよく見ると、男の首の横に確かに白い針のようなものが2センチ程突き出ている。だが、糸を通す穴はない。全体としては一番細い仕付け針の2~3倍の太さので、均質とは言い難いものが首に突き刺さっており、うっすらと光っているのが見えた。
「……お願いします。……この首の針を……抜いてくれませんか……?」
 おれは当然の如くに、言うべき事は決まっていた。
「病院へ行って抜いてもらったらどうでしょう」
 男は訴えるような目でおれを見た。
「……病院へは行ったんです。どうして首に針が……この針が刺さっているのか訊かれました。僕には答えられなかったんです。1週間前の朝の事です。前日までは何もなかったのに、目を覚ますと、鈍い痛みと共に首の内部に細くて硬い状態の異物が深く差し込まれている感覚がして、最初は手で触り、鏡で見たらこんな状態になっていたんです。もちろん自分でこんな状態にしたという記憶はありません。他人にこんな状態にされたという記憶もありません。とにかく一刻も早くこれを抜いて欲しかったんです。自分では抜くことが出来ません。怖いんです。どうしてこうなっているのか、そしてこれを抜くとどうなるのかが、とても怖いんです。自分自身で何度も抜こうと思ったのですが、一体どうなるのかの先の想像も出来なくて、結局自分では抜く事が出来なくて、とりあえず病院へ行く事にしたのですが……」
 男はしばらく黙っていた。
 が、おれはその先が聞きたくなり促した。
「それで、病院ではどうなったんですか?」
 男は暗い眼をしておれを見た。
「ええ、病院で診てくれた先生は、いろいろ僕を質問したり、レントゲンやCTなどの検査をしてくれました。そして長い時間を待たされたあげくに、当院ではこの5センチ程の針のようなものはちょっと抜く事が出来ないと言われたんです……」
「…………」
「こんな症例は見た事がない。何かの判断がつきかねるます。痛みも、この病院に来るまでに感じない程になっているようなので、しばらく様子を見ましょうと言われるばかりでした……」
「……他の病院にも行ったんですか?」
「ええ、いくつも行きました。どこの病院も似たような診察結果しかくれませんでした。ある病院などは、あからさまに先生同士や看護師達とヒソヒソ話をするばかりで、僕の顔を正面からまともに見てくれない所もありました」
「…………」
 おれは黙る事しか出来なくなっていた。病院の先生方がそんな態度をとるなら、おれがどういう態度をとったら良いと言うのだろうか。
「……まともな人間として取り扱ってくれない気持ちにさせられた僕は……こうして行くあてもなく歩いたりしているんです。家の中にいるのも怖いし……。いろんな考えが襲って来てとても怖いんです。そして、いま、こんな深夜の道を歩いたりしているんです。もう僕には、自分をどうする事も出来ないんです。……とても厚かましいお願いなのですが、どうか僕のこの針を抜いてくれませんか?……」
「……いや、しかし、おれには出来ませんよ」
 おれはそう言う事しか出来なかった。
「ええ、でも、あなたにお願いする事しか出来ないのです。僕にはとても出来ませんから。僕の替わりに勇気をふるって針を抜いてくれる人を探す事しか出来ないのです。どうか、どうか、どうか、どうか勇気をふるって抜いてくれませんか……。あなたは何の責任もないのです。ただほんの少しの同情とほんの少しの勇気を持ってやってくれれば良いのです。お願いします。どうかお願いします! 思いきってやって下さい。責任などないんですから! この臆病な僕を助けると思ってやってくれませんか!」
「……でも……」
 そう言いながらも、おれは興味がふつふつと湧いても来ていた。この針を抜いたらどうなるのだろうか。人助けになるのじゃないのか。と、まあ自分に言い訳していたが、アイデアに詰まっていた一応ささやかな小説書きのおれは、この針を抜いてやる事で何か新しい発見があるのじゃないのかという強い好奇心が芽生えていた。
「そうですか。何人にも頼んだのに駄目ですか。……あなたも駄目ですか……。少しだけ期待を持ったのですが……。少し、あなたは僕に似ているのではないかと、何となく、どことなく似ているのではないかと思い、そんなあなたの情けにすがろうとした僕が悪いんでしょうね。分かりました。誰かを探してみます。あなたではない誰かを。誰か僕の針を抜いてくれる人を探してみます。ともかく、僕はこのままでいる事に耐えられないんです……」
 おれは何が『おれと似ているもの』なのか知りたい気もしたが、それよりも早く針を抜いてあげたい気持ちになっていた。
「いいですよ。抜いてあげます」
「え? 本当ですか?」
 男は喜びと驚きの混じる顔になった。
「あ……ありがとうございます」
「本当にいいんですね。抜いても……」
「いいんです。いいんです。ええ。さあ。思いっ切りやってください」
 おれは、男の首に手を近づけ、指で針を摘まんで思い切ってサッと引っこ抜いた。
 すると、男は首からは血は出ないが、抜かれた穴から、しゅるしゅるしゅるるるるーッと、空気が噴出している音と共に、凄まじい勢いで身体が萎み、干涸らびた人間の干物、もしくはミイラのようなものに最速に成り果てた物体となり果てコロンと転倒した。
 おれは呆気にとられたが、直ぐに怖くなり、走って逃げ出した。
 まだ夜が明けるにはだいぶ暗い内に帰宅した。酒を馬鹿飲みして、無理やり眠り込んだ。あの男のことは、どこかでは夢を見たようにも感じていたが、眠りから覚めると、夢では片付かない感覚が強く残っていた。
 男の針の事を考えた。腎臓結石とか尿路結石とか言われるものが人間の体内にできる事があるが、あの首に突き出た針も似たような身体の生理的作用によって出来たものなのだろうか……? いや違うだろう……。だが、医師でもないので、何の確実性のある事も言えないのだ。

 数日経つと、個人的な体験から、一般的な状況へと事態は変貌した。全国で、全世界で、あの男のように、首に針のようなものが突き刺さっている人間が一斉に各地で現れ出したのである。年齢、性別、宗教など関係なしにである。そして、あちらこちらで「たのむから、この針を抜いて欲しい!!」と針出現者が是が非でもお願いした結果の事件が相次いだ。自力で抜いた人間は極端に少なかったようだ。勿論、おれの如く言い寄られた人の大抵は何も出来ず、その場でただ別れただけというケースが多かった。
 しかし、中には、遭遇した人が親切心なのか、おれのように単なる好奇心なのか、とにかく相手の首の針を思い切って抜いてやる事態が多発し始めた。それは設備の整った病院で抜かれる事になった場合でも同じだが、針を抜かれた人間の結末は大まかに3つのパターンに分けられた。1つ目は針を抜いてくれる事に感謝の言葉、つまり、「有り難う御座います」などと言った後に、針を抜かれても血もほとんど出ず、大きな障害もなく首が完治してゆくパターン。2つ目は、針を抜かれると直ぐに、大量に血を噴き上げて、またたく間に血塗れの海をつくって死亡してしまうパターン。3つ目はおれが遭ったようなパターンだ。
 テレビでは、連日、首突き刺し針のニュースが流され、一向に終る気配がなかった。そもそも針自体もいろんな長さ、太さ、材質があるらしい。身体の内部から発生したものなのか、外部からの誰かか、または無意識的な本人自身によって突き刺されているのかまだ
分からないでいた。なので、国の医療研究チームと警察が手を組む事になり、とりあえず今のペースだと年間1万人程の首に針のある人間が続出するとの予測が発表された。
 巷ではいろんな噂が噴き出した。『男より女の方が針の出現がしにくい』とか『10代のセックスしてない男女は針が出現しない』とか『針を全部首に押し込んでしまえば自然消滅する』とか『針は空気感染によって出現する』とか『ブロッコリーを朝晩食べると針が出現しない』とか『一日4000歩歩くと針は出現しない』とか『恋をすると針の出現率が低い』とか『二股以上をかける方は針の出現率が低く、かけられる方は高い』とか『一億円以上お金を持っていると針の出現はない』とか『一か月に13回、車を時速110キロメートル以上のスピードで走らせると針出現はない』とか『前科2犯以上の人は針出現率が減る』とか『宇宙からの異星人が針を刺したに違いない』とか、いろんな噂が好き勝手にネットの世界でも流れた。だが、まだ何の確証に足るものはないと国の医療研究チームは公式発表した。ともかく、針を抜きさえしなければ、直ぐには肉体の崩壊には繋がらない事も発表された。あくまでも、冷静に国民に対処して欲しいと我が国政府は求めていたのだ。
 だが、針が出現した人々は、まず、食事が出来る程に痛みはなくなっても首の内部での異物感に苦しみ、外部からの目を意識しての疎外感や焦燥感が高まって、早く針を抜いてしまいたい気持ちになるそうである。後先を考えずにである。
 そして、テレビの中で某奇術師が次のような発言をした。
「マジックの一つで、空気などで膨らませた風船に針で突き刺しても割れないというものがあります。種明かしをすると、膨らんだ風船にテープを貼った部分をつくっておきます。そこに針を突き刺しても割れる事はありません。もちろん、針を抜くと風船は萎みます。今回の針出現されている人の首にはテープのようなものは貼られてないみたいですけれども……」
 その風船マジックの物理的成立理由と、今回の人間の首の針出現の原因や人間の萎み具合にどんな関連があるのか、まだ誰も何も解明出来ていなかった。
 状況が改善しないまま、針の首での出現は更なる全世界の各地の人間に拡がりを見せていた。どこが最初の発生国なのかと、犯人探しも行われた。どうやら最初の数か月間、首に針のようなものが出現した人間を秘匿していた国もあったらしいからなのだ。
 でも以後はWHOと各国の情報共有が進むようになり、治療方法の開発が進む事に人々は期待を寄せた。
 だが、おれがあの男に出遭ってから半年が過ぎた頃から、事態は新たな局面に入った。針出現者が各国とも3倍のスピードで発生し、針出現したままの人間が半年程経つと、原因不明のまま突然息が出来なくなってバタバタ死ぬ事例が頻繁し始めたのである。
 全世界が恐怖する事になった。
 針出現していない人間は、針出現している人間の傍に更に近寄らなくなった。針出現してそのまま状態の人間はもちろん、針を抜かれた後に一旦完治した人間も今後身体がどうなるのかと、不安ばかりが襲って来ていた。そして、1年経っても針が出現した原因が解明されなかった。解明されたら世界的な賞も授与され得るのだろうが、まだ何も解明出来ていなかった。このままでは、どこまで針出現者が増えるか誰にも分からなかった。
 おれも、一体どうしたら良いのか本当に分からないでいた。毎日、目覚めると鏡で首を見た。今日は大丈夫……。明日も大丈夫であってくれ……。毎日、そう願わずにはいられなかった。
 そして、あの針出現男と遭遇した時に、男がおれに言った「あなたは僕と似ている……」という言葉が頭から離れなくなった。あれはどういう意味だったのだろう。どこが似ていると言うのだろう。顔なのか? 雰囲気なのか? 今となっては、もっとあの男と話しておけば良かったかなと思っている。どうやら、おれは、あとで残念がったりするように出来ているようだ。
 テレビの中では、ある年輩の国会議員が発言した言葉が話題になった。
「私の知り合いの医療関係者によりますと、針出現者は独身者が多いそうです。いや、大半は独身者だそうです。皆さん、結婚しましょう。この針出現の状況をプラス面に変えましょう。早く結婚しておけば針出現の予防が出来ます。今まで少子化が続いていましたが、これからは予防の為にも早め早めの結婚を推奨したい」
 この発言は、かなり槍玉に挙げられていた。独身者に針出現率が多かったのが本当なのかどうかも結局あやふやで、どこも公式発表しなかった。そして、ある心理学者からの「もしかすると、強い孤独感を募らせている方が針出現を生じ易いのかも知れない」との発言もテレビで流れた。針出現男に遭遇したおれの印象からだと、その意見は一理あるのではと思っている。
 もしかしたら、おれが遭遇したあの男は、おれと似ているのは孤独感だ、と言いたかったのかも知れない。孤独感などは、おれ自身は少ない方だと思っているが、案外、おれの押さえ込まれた無意識下では頑固者のように孤独感が大きく居座り続けているのかも知れない。孤独感について書かれている本を読んでみた。「孤独」であることは寂しくて、つらいのだけど、それに慣れてしまうと、人と関わるのは面倒だから一人でいい。一人で平気だ。寂しくなんかない。と思い込み、寂しさから目をそらし、感じないようにする場合もあるようだ。孤独の寂しさは心の中に溜まっていき、それを抑圧するエネルギーを、おれの場合は、小説を書くことで忘れようとしているのかも知れない。謂わば習慣化している孤独。それをあの夜にあの男は、おれの表情から敏感に読み取っていたのかも知れない。まあ、あくまでも推論であるが……。
 ともかく、テレビでは、針出現現象の状況が沈静化するにはどれくらいの年数が掛かるか分からないと、予測にならないような予測が流れている。とにかく生きなければならない。針出現の謎は病理学や推理小説のようには解明されないかもしれない。しかし、治療方法とか薬が確立して良い状況が出来るのを待ちながら、とにかく生きなければならない。おれ自身ではまだ針の出現していないのを喜ばないといけない。

 ……あの男と遭ってから2年が経った。小説の方は会心の出来というものが書けていなかった。そして、針出現とは関係ないのだが、世界ではあちらこちらに戦争が起きた。針出現の事など小さい事だとの世間的な認識が大きくなった。確かに戦争に比べると小さい事だろう。針出現のスピードも世界的に鈍くなったと発表されたりもした。

 ……そして、針出現男に遭遇して2年半を過ぎた今日の、朝、目覚めるとおれは首に異変を感じた。熱く鈍い痛みが走っていた。首内部には瞭かに厭な異物感もある。鏡で見ると、首から1センチ程の針が出現していた。だが……なんとか、おれは生きなければならない。数年後の、状況が良くなっているのを信じて……。世界で起きてる戦争もどんな形で終わるのか、または続いていくのか、混沌とした時代が続いている……。でも、まだ、なんとか、おれは生きている。まだ幾つの、どれほどの小説が書けるか分からないが、書き残すために……。生きなければならない。死んではならない。とりあえず、まだ死んではない。

 そう  
 まだ おれは
 死んで ない

 そう
 明日も
 明日も

 明日も

 





…… …… …… …… …… …… ……
              (終)
              :         
              :
              :
         * 以下の本を
          参考としま
            した。
              :
           根本裕幸
          「ふと感じる
          寂しさ、孤独感     
           を癒す本」  
   


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