ピープルフライドストーリー(51).追いつめられて (あるいは、不吉な予告.)
【作者コメント: 前回と同様に今回も漫画の原作ふうのお話である…】
……………………………第51回
追いつめられて
by 三毛乱
俺は追いつめられていた。
それまでは、俺なりには真面目に仕事をして、たまに酒を友人と一緒に、または一人静かに飲むという日常だった。
しかし、ここ数ヶ月の間、俺宛に「お前は殺される…」といった不気味な手紙や、機械で作られた声による電話が続いてからは状況は大きく変わった。道を歩いていると、影のように誰かに尾行されている気分が度々あった。はっきりと正体を摑めなかったが、誰かが頻繁に俺を見張っている…。
夜に眠れる量も少なくなった。追跡者に追われる夢で何度も眼が覚めてしまうのだ。医者には行っていないが、これが不眠症なのだと勝手に判断している。
俺はもともと推理ものや、ホラーものの小説や映画が好きだった。例えば、「ボーはおそれている」といった映画だ。主人公が精神を病んで現実と幻想の区別がつかなくなるような映画だ。俺はそんな映画のような日常を過ごしている感じだった。
季節は夏になり、買い物を済ませて暑苦しい通りから住処のあるマンション、といっても古錆びた高層住宅という方が正確なような建物のエレベーターに入った。
俺が住んでいる6階のボタンを押した。すると、閉まる扉を押し開けて一人の男が入ってきた。ボタンを押さずに扉の方を向いたまま立った。髪はちりちりパーマで、薄い黒のサングラスで、黒のYシャツ、黒のベルト、黒のズボン、黒の革靴と、黒づくめの男だった。右手の甲に蠍の刺青をしていた。40歳近くで、大柄で屈強そうな体格であり、90㎏以上はありそうな体重だった。プロレスか何かを以前やっていたのかもしれない。
上昇していたエレベーターが、4階を過ぎた地点でガクンと揺れて停止した。冷房装置も停まった音のあとに、無音が続いた。俺は直ぐに又動き出すと最初落ち着いていた。だが動く気配はない。仁王立ちの男もしばらく動かずにいた。しかし、いくら経ってもエレベーターは動かず、アナウンスらしき音声は何処からも聞こえて来なかった。
男はエレベーターパネルの中のボタンを何度も押して、外部への連絡を試みたが、誰も音声で応える者がいなかった。
男は業を煮やしたのか、扉を大きくドンドンと叩き始めた。
「オラ~、開けろッ」
足で扉を蹴りだした。
「オラー、関係者でて来い。しまいには殺したるゾ」
と、段々ぶっそうな声へと変化していった。
俺はどうしたらいいのか分からなかった。内心、心臓は早鐘を打っていた。この男とこの密室に長くいるのが決して良い状況ではないと云うのは分かっていた。
「こらっ、殺すゾ、さっさと開けろッ!」
この建物には随分空き部屋が多い。人が出入りしない時間帯も多いのだ。男は効果がなくとも、わめき散らし、足で扉を蹴ったり、手でドンドンと叩くのを繰り返していた。このままでは扉が壊れてしまうのではと思った。冷房設備も停まっているし、男の動きもあり、密室の温度が上がって来ていた。そして、もしかしたら、これまでの不気味な予告通りに、この男に殺される目になるのではと思えてきた。この男はヤバイ。違法な薬の常習犯なのかもしれない。このまま放って置いたら、俺はこのエレベーターの中で死ぬような目に遭うのではないか…。そんな思いが募っていった。
男は、躰からの発汗に我慢しきれずに黒のYシャツを脱いで床に捨てた。肉付きの良い背中は汗にまみれていたが、スッキリとした大きさの『お 命 頂 戴』という縦文字の刺青が俺の眼に飛び込んで来た。男は高倉健主演の「昭和残侠伝」などが好きなのであろうか? まぁ、俺も好きな方ではあるが。単に映画好きな男が俺の前で上半身を曝しているのか? それとも、俺を悩ませている追跡者、いや、機会があればと狙っている殺し屋なのか…?
その男は尚も汗を飛ばしながら扉にアクションをかけていた。とにかく、この男を静めなければならない。俺はバッグにあるタオルを取り出して、後ろ向きの男に差し出して言った。
「これを使って下さい…」
上気した男は振り返り、サングラス越しに眼を一瞬光らせた。無造作にタオルを受け取ると、素早く上半身の汗を拭い終えて俺に返してきた。そして又もやパネルの連絡ボタンを押したり、ドンドンと扉を叩いたり、激しく蹴ったりして、今までと同じような行動を再開した。エレベーター内の温度は上昇するばかりだし、俺の男に対する焦燥と不安も増すばかりだった。
この男に、最終的に殺されるのではないか……。「狂気による犯行か? エレベーター密室殺人事件!」などの新聞やとワイドショーの文字が俺の頭に浮かんだ。そんな事件の起きる前”に何か行動しなければならない…。俺に男を停止させられるだろうか…? 俺の倍近くは体重がありそうな男をどうやって停止させられるか? 言葉だけで止められるだろうか?
…と、その時、バッグの中の、買ったばかりの《あれ》を使えば、この男を何とか出来るのではと思い至った。
《あれ》を使えば……。
俺は、男のうっすらと汗ばんでいる肉付きの良い背中へ、切羽詰まった状況に風穴を開けるべく、バッグから《あれ》を取り出し、準備して、動いている背中に狙いをつけた。そして、
キメエーーン、キメエーーン
うおおおおおーッ
と叫んで、《それ》を男の背中に突き刺した。
グサッ
と刺してから、素早く抜き、
グサッ、グサッ
と刺しては抜いた。
男は振り返り俺を睨み返した。
「何だ、貴様は?」
その興奮しながらも疑いの眼差しがはっきりと見えた。
俺は大声で自分の名前を告げて、更に《それ》を刺し込んで抜いた。
背中から血が出る。当然だ。
「待て、待て……」
すぐに男は心の整理がついたかのような顔となり、抵抗する事なく、静かに大人しくエレベーター内にうつ伏せに横たわった。俺はされるがままの男に《それ》を尚も突き刺しては抜き、突き刺しては抜いた。
グサッ、グサッ、グサッ
俺の頭の中で音が大きく響く。
あああああああーッ
俺は無意識に叫んで、男の背中に《それ》を更に突き刺しては抜き、突き刺しては抜いた。男はグッタリとやられるがままだった。エレベーター内には、俺が《それ》を刺す音と、俺の叫び声だけが響き続けていた。
グサッ グサッ グサッ
うあああああああーッ
グサッ グサッ グサッ
ぎあああああああーッ
どれ位の時間が経っただろう。冷静でない無我夢中の境地から俺が完全に我に返ると、男の背中の『お命頂戴』の文字を挟み込む形の、世にも恐ろしげな鬼面の刺青が完成していた。我ながら見事な出来栄えだ。
俺は、柄にタトゥーニードルの束がついた隠語的に鑿(ノミ)と呼ばれている道具での和彫り刺青の凄腕の彫り師だ。と、自認している。40歳を超えて彫り師としての腕は最高潮になっているはずだ。ただ、興奮すると無意識に彫っている最中に叫び声を出し続けている事があり、最近では頻繁になっていて、友人からはそんな癖を止めないといつか殺されるだろうと言われていた。
ともかく、男は俺の名前と評判には聞き覚えがあって、俺の意図を読み取って、つまりキメエーーン、キメエーーンと叫んだ俺の声から推理して、俺が鬼面の刺青を背中に彫るであろう事をすぐに了解・了承してくれたのだろう。
俺はバッグに入っていた買ったばかりの鑿や墨やタトゥーインクや水のペットボトルやタオルやポケットティッシュで血の処理も適切にしつつ、精神的プレッシャーにも押し潰されずに一気呵成に鮮やかに見事な彫り物を完成する事が出来て嬉しかった。男も出来上がりには満足した様子で、後日支払う金額の相談をしようと言って去っていった。その少し前にエレベーター会社の関係者とついに連絡がとれて、彼らがようやくエレベーターの密室から抜け出してくれたからだ。
いや~、それにしても、バッグの中に刺青の道具一式がたまたま入っていてよかった~。
ところで、「お前は殺される…」という警告めいた文言による手紙や電話は、すべて友人達が計画したものだと後日に判明した。以後、俺を追跡していたような街での“影”は当然に霧散していった。まぁ俺のとても変な癖が原因だったとしても、俺の友人にロクなのがいないのが良ぉぉく分かった。全く困ったもんだゼ。
終
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