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学び放題ってどういうこと?-知識という商品、私という商品

会社から、○○経営学び放題6か月コースを受けられるようになったとの報告がありました。

学び放題....?!?!

「学び放題」という言葉の違和感に襲われました。今回はこの言葉の背後に潜む、知識という商品を解き明かしたいと思います。

○○放題の言葉の裏にあるもの

焼き肉食べ放題!!月額○○円で映画が見放題!!

よく巷で耳にする言葉ですよね。そもそも当然ですが、○○放題は、定額で好きなだけ焼き肉を消費出来たり、映画を見られたりするということです。

つまり、定額で好きなだけ商品を消費出来る、ということです。そもそも定額○○円で、○○放題なんて言葉は、資本主義社会ではないと成立しないはずです。

マルクスの『資本論』の冒頭は、次の有名な一節で始まります。

カール_マルクス

(illustratorで似顔絵を自作しました...笑)

資本主義的生産様式の支配的である社会の富は、「巨大なる商品集積」として現われ、個々の商品はこの富の成素形態として現われる。したがって、われわれの研究は商品の分析をもって始まる。(『資本論』(1)岩波文庫、p67)

マルクスのこの言葉は、執筆から150年程経った現代でも正鵠を射るものだと思いますし、むしろ150年前より、現代の富は「巨大なる商品集積」の様相を呈していると思います。

公園がなくなって、有料制のフットサルコートになる。水がお金を払って買うものとなっている。そして、知識がお金を払いさえすれば自動的に獲得できるものだと考えられてきています。

ここに学び放題という言葉への違和感の根源があります。

商品化された知識

学び放題には、○○コースが沢山用意されています。マーケティング入門コースや、論理的思考力養成コース等々。言い換えれば知識がパッケージ化されています。「パッケージ」を辞書で引くと次のように定義されています。

1.包むこと。荷作り。包装。特に商品の包装やそのための容器。「-を簡素化する」「コンパクトに-する」
2.ひとまとめにすること。一括して処理すること。また、そのもの。「生産と流通をーして考える」「-保険」(大辞泉より引用)

商品の包装、簡素化、コンパクトに、一括して処理。これらの言葉の裏には、効率性を良しとする現代の価値観が反映されています。つまりパッケージという言葉は、資本主義的生産様式と極めて親和性が高いと、私は考えます。

パッケージ化された知識。簡素化された知識。「巨大なる商品集積」は、ついに労働の生産物たる物質的な商品から、知識という精神的な領域にまで侵攻しつつあるのが、現代の特徴です。

知識とはそもそも簡素化されるなのでしょうか?

浪費と消費

ここで少し脱線します。

國分功一郎氏の『暇と退屈の倫理学』という著書の第四章「暇と退屈の疎外論」の中に、浪費と消費という一節があります。

國分氏はボードリヤールの議論に沿って、浪費と消費の定義をそれぞれこう付け加えている。

浪費とは、必要を超えて物を受け取ること、吸収することである。...浪費は満足をもたらす。理由は簡単だ。ものを受け取ること、吸収することには限界があるからである。...つまり、浪費はどこかで限界に達する。...しかし、人類はつい最近になって、まったく新しいことを始めた。それが消費である。浪費はどこかでストップするのだった。物の受け取りには限界があるから。しかし消費はそうではない。消費には限界がない。消費はけっして満足をもたらさない。なぜか?消費の対象が物ではないからである。...人は物に付与された観念や意味を消費するのである。(『暇と退屈の倫理学』、太田出版、p152,153)

少し長い引用になってしまいました。浪費とは物を消費すること。消費とは、観念やイメージを消費すること。簡単にまとめるとこうなりますが、後者の定義、観念やイメージを消費するとはどういう意味でしょうか。

例えば、つい最近iPhone13の発売が発表されました。iPhoneのような高品質の商品は、新たなモデルでもなくても売れるように思われます。しかし、現代の生産体制では、いかに高品質の製品でも、同じ型であるかぎり売れないのです(この議論も國分氏の同書で詳しく記されていますが今回は割愛します)。私たちは、モデルチェンジした商品を使うのではなく、「モデルチェンジした」という意味・情報を消費しているのです。

使用価値と価値

『資本論』の第1章では、価値には、使用価値と価値(交換価値)の二種類があると記されています(私は資本論の価値と交換価値を同一視しているのですが、この解釈があっているのか不安ではあります...)。

使用価値。

電球の使用価値は、暗い部屋を明るくすること。靴の使用価値は足を怪我から守り、汚れないようにすること。

価値。

商品を交換できる力。

私はここで使用価値は浪費することと、そして価値は消費することとそれぞれ対応しているのではないかと思うのです。

この私の見方は、商品としての知識をどう分析できるのでしょうか?

”成長している”という意味を消費する

学び放題で得られる効用とは何でしょうか?

結論を端的に申し上げると、学ぶ前にはなかった知識を得て、以前より成長している、という意味を消費しているのではないでしょうか。では、私たちの成長というものの価値は、どんな商品と交換できるのか。お金です。

リカレント教育、学ぶ直しが叫ばれる昨今、学ばれるものは、ビジネスにすぐに役立つといわれる分野、統計学やプログラミング学習等ばかりです。

私たちは、学びなおしという商品を、成長の記号として消費し、それを履歴書に書き加えて商品としての自分の価値を高め、より高い年収を得ることに躍起になっています。

商品としての知識、簡素化された知識、これに対する私の否定的な見方はもう明らかではありますが、この現代の風潮の結果もたらされる、文脈から切り離された人材も検討しなければなりませんが、これは次回の記事に譲ることにしたいと思います。

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