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ハイポリマー芯と芯ホルダーと酌み交わしたかった酒【#忘れられない一本 02】

誰にでも、忘れられない一本がある。
小学生の時に初めて手にしたシャープペンデビューの一本、
持っているだけでクラスの人気者になれた自分史上最強の一本、
受験生時代お守りのように大切にしていた一本。
そんな誰しもが持っている、思い出のシャープペンと、
シャープペンにまつわるストーリーをお届けする連載
#忘れられない一本 」。

ぺんてる社員がリレー方式でお届けしていきます。
第2弾は、ぺんてる入社30年目の、田島さん。
あなたの忘れられない一本は、なんですか?

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少年だったころ、将来の夢はエンジニアだった。
なぜそう思ったのか、いつからなのか、曖昧で思い出せない。
が、気がつくとそう答えていた。

父は、建設会社から仕事を請け負う工務店の経営者であり、数人の職人を束ねる大工の棟梁でもあった。そういう環境から、家は父が仕事で使うための、または使い古した大工道具で溢れていた。

昼間に父の目を盗んでは、のこぎりや、金槌、釘、カンナやノミを駆使して、虫かごから、ピンボール、拙いパチンコ台まで作って悦に入っていた。
そんな育ちから、ものを作ることを仕事にしたいと漠然と憧れをもったことがエンジニアという夢につながったのだと、ずっとそう思っていた。

父は、昼間は車で現場に出かけ、木屑だらけになって帰ってくると、風呂に入り、晩酌をした。
そして日曜日は、家でベニヤ板に図面を書いていた。
ひとり息子なのに、キャッチボールに付き合ってくれることはほとんどなかった。
どちらかというと口下手で、男はこうあるべきだと息子に面と向かって語るようなタイプではなかった。

この頃、父の目を盗んでよく使っていたのは、図面を書くユニブランドのエンジ軸色の芯ホルダーと、「烏口(からずぐち)」、木材に印をつける「墨壺(すみつぼ)」とよばれる道具だった。しかしながら、芯ホルダーと烏口は、父のグレーのスチール机に厳重に仕舞われていたし、墨壺は父が常に現場に携行していたので、父のいない昼間に使うことなどできなかった。

ベニヤ板に器用に図面を引く父の姿を見て、芯ホルダーや烏口は魔法の道具のように思えた。
あれさえ手に入れれば、もっと凄い工作ができるのだ。
何としても、あの道具を手に入れなければならない。
それは、わたしにとっての使命なのだ。

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中学生になると、クラスメイトはこぞってシャープペンを使い始めた。
クラスメイトが使うシャープペンは、父の目を盗んでどうしても使いたかった芯ホルダーにそっくりに見えた。そんな理由から、わたしも学校近くの文房具店に走って、ショーケースに長時間かじりつき、金属軸のユニブランドのシャープペンを買い求めた。

シャープペンと共に買ったのが、菱形の断面を持つ黄土色のケースに入ったハイポリマー芯だった。その、少年少女向きでない妙に大人びたケースにとても満足したのを覚えている。そんなわけで、わたしが初めて出会ったシャープペンはぺんてる製ではなかったが、ハイポリマー芯を初めて買った時の異常なくらいの興奮はいまでも鮮明に思い出せる。

寡黙な父は、11年前に亡くなった。
男らしい生き方も、仕事の仕方も、父は何も話してくれなかったし、教わらなかったと思っていた。しかし、父を失ってから父との記憶を何度も繰り返し遡り、やっとなぜエンジニアになりたかったのかがわかった。

埃っぽいところが嫌いで、大工現場にはあまり近づかなかったが、日曜日になると思いついたように図面を引き、将棋台や、自宅のバルコニーを自在に形にしていく父の姿は、わたしにはまるで魔法使いのように見えていた。

わたしは、ただただ父の背中を追いかけたかったのだ。
わたしは、父に自分の仕事や工作をただほめてほしかっただけの小さな子供だったのだ。
そんな想いだけで半世紀を生きてきてしまった。

父が生きている間に、父が好きな酒をのみながら、素直にそんなことを吐露できればよかった。
ハイポリマー芯のケースと、芯ホルダーを見ると、そんな伝えられなかった父への感傷的な気持ちを思い出すのだった。

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