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18.母子家庭で得たことと失ったこと


記憶が失われる前に書いて忘れないようにしておきたいなと思ったので、センシティブな話題かもしれないけど、書いてみたくなった。ので、もしお暇あれば読んでください。笑
利他主義に生きるきっかけについて綴っています。


小学校時代の記憶がない


先日、自分の人生を振り返る機会があった。
大学院に在籍している現在まで、25年間学生として生きてきたので、振り返るのは主として学生時代のこと。
小学校時代から振り返ってみると、面白いことに気がついた。
それは、「小学校時代の家での思い出がほとんど思い出せないこと」

小学校での思い出はいくつか覚えている。
毎年12月の餅つき大会を楽しみにしていたこと。
家庭科の授業でインスタントラーメンのレシピを皆で応募したら、たまたま関西予選に選ばれたこと。
夏にそのレシピを応募したので冷製ラーメンを提案したものの、予選は冬にあったため季節感が全くずれていたこと。
その予選のために、小6の時に餅つき大会に行けず割と真剣に落ち込んだこと。
でも、家での記憶がほぼない。

ほぼないというのはアバウトかもしれないが、その時見た景色や感じた思いはほとんど覚えていない
大学時代の思い出が模写のように思い出せるのなら、小学校時代の思い出は灰色のモザイクぐらいの精度な感じ。
たぶん、記憶に残すのが嫌で勝手に記憶を消したんだと思う。
(当時、記憶を消したがっていたのかすら覚えていないし、どのタイミングで記憶が消えたのかも定かではない。)

でも、記憶を消したくなった理由はわかっていて、それは「家族のいい思い出がほとんどない」から。
記憶が微かにある時をさかのぼってみると、怒鳴り声と床を蹴る音が蘇ってくる。
毎日、両親(ときたま自分も参戦)が喧嘩していた。
どれくらい酷かったのかも覚えていない。
殴り合いとかもあったかもしれないけど、全然覚えていない。
ご近所さんに迷惑になる程だったことだけ覚えている。
(その節は申し訳ございませんでした。とどけこの思い。)


家庭が荒れていた理由


喧嘩の主な理由は2つある。
ひとつは、「父親の怠惰」。
もうひとつは、「父親の孤独を無視した周囲の人間」。

思い返せば、あまり出来の良い父親ではなかった気がする。
俗にいう、ロクでもない部類かもしれない。
借金、ギャンブル、酒癖の悪さ、タバコ、ここには書けないことも多数。
他にもあったかもしれない。が、思い出せない。
強いて言うなら、女問題はなかった気がする。
それ以外はアウト。そんな感じの人だった。
芸能人なら、週刊誌の格好の的だったと思う。笑

当時、母親と自分は父親を恨んでいたと思う。
今では全く何の感情もないけど(自分は)。

なぜ、そんなにも荒んだ人生を歩んでいたのか。
それは、相談できる相手がいなかったことだと今は思う。
40過ぎになった大人として、抱えた思いを打ち明けるようなことができなかったんだと思う。
それは、父親の行動に対して「なんでそんなことをするのか」と核心に迫ることを避けた父方の祖父母や叔父、母親、自分にあるんだろう。
加えて、避けていることをわかっているから、父親から自発的に相談することができなかったんだろう。

父親が主犯だと今振り返っても思うが、周囲が(本気で)救おうとしていたかというと疑問だ。
ただ、周囲(特に、母親)も疲弊していたから、仕方のないことだったかもしれない。
その疲弊ぶりを見て、小6の時に「離婚したら」と母親に伝えた。ことを今思い出した。(割と重大なのに今まで忘れていたという衝撃←)



母子家庭になって得たもの:「利他主義」


自分の中で幼い時の記憶にケリをつけられたのは、高校卒業頃だったと思う。
自分の中で消化した後は、「人のために人生を尽くす」ことを決意した。
それは、「生きがいを作りたかった自分と、劣等感を感じていた自分が共存していた」から。
加えて、「争うことに生産性を見出せなかった」から。

劣等感に関しては、決意を固めた当時(高校卒業時)から沢山あった。
まず、人を(恋愛感情的に)愛することを知らない。
家族の在り方を知らない。
そもそも、家庭を作る気がない。
そんな人が、家庭を持ったって仕方ない(と、当時は考えた)。

じゃあ、毎日生きる意味って何なんだろうか。
そう考えたときに、「自分自身のために生きることに楽しさを見出せない」自分がいることに気がついた。
ただ、ありがたいことに、健康体であり、生きる時間は存在する。
それなら、「誰かのために生きよう」と決意した。

大学では、さまざまな活動ができる土壌と文化があったので、
外国語劇の出演や運営マネジメント、英語のガイド案内の執筆、地域創生活動など、さまざまなことに挑戦してみた。
原動力は、知識や経験を蓄え、誰かに還元することだった。

そんな中、特に地域創生活動で学んだことがあった。
それは、「他者のために生きると、やがて自分に還ってくる」ことだった。

地域創生活動は、当初お世話になっていた先生から紹介を受け、参加した。
先生は研究活動や学内運営でお忙しいこともあり、「それなら、まとめ役をしよう」と考え、学生や行政など色んな人と議論を重ね、プロジェクトを動かした。
このあたりの詳しいことは、またどこかで書くとして。
結果的に、地域創生活動が今の自分の仕事の一部となっている。
最初はボランティアで始めたことが種となり、
やがて正式なお仕事としていただくことも増加した。

もちろん、生きるために自分のことを第一に考えることも大切。
でも、自分はあまりそれが得意ではない。
キャパシティが限界を迎えない限り、扉を開くようにしている。
他者のことを大切にし、困っているときはいつでも救う。
それが、自分自身の生きがいでもあるし、ありがたいくらい恩返しされることも多い。
なので、頼まれたら「やった!ありがたい!」という気持ちが強い。



生産性のない喧嘩をやめました。


あと、「生産性のない喧嘩」はやめた。笑
喧嘩をすると、当時の嫌な記憶がフラッシュバックしそうで怖い。
あと、散々揉め事に体力と時間を消耗したので、そんな時間を今は作りたくない。というのが本音。

ありがたいことに、縁に恵まれ、経営者やインフルエンサーなど、さまざまな方々とお話する機会に恵まれてる。
その中で、「本気の喧嘩」をよく聞く。
そういうのは、価値があると思う。

本気の喧嘩とは、仕事などに信念があって仲間と喧嘩すること。
それは致し方ないことだと思いますし、そういうプロセスが必要な方もいることを知っているから、価値があるのかなと感じる。

ただ、特に深い意味もなく喧嘩することは本当に無駄。
まず、時間がもったいない。
そこにかける精神と体力の負担ももったいない。
そんな時間があれば、プロジェクトを進めるための有意義なミーティングに時間を割きたい。

なので、プライベートで喧嘩は全くしない。
でも、自分が我慢し続けることはダメなので、オープンに感じたことをしっかりと相手に伝えるキャラ(本音で生きる人)になった。
その代わり、相手のことは大切に思い、利他主義に生きる。

幸い、この心がけで喧嘩になることはないし、ありがたいことに仲良くしてくれる仲間もいるので、いいアイデンティティを得られたなと思う。


母子家庭はかわいそうなものなのか?


よく、母子家庭であることを伝えると、同情をかってしまう。
加えて、暗い雰囲気になるから、極力話さないようにしている。

でも、このような家庭で育ったことも別に悪くないかなと今は感じている。
今のアイデンティティが形成されたのも、過去の暗黒期があったから。
たぶん、幸せな家庭で生まれたら、利他主義に基づいて地域創生活動や、そこからコミュニティに関する研究を大学院で行うこともなかった。
たくさんの方々とつながり、プロジェクトを動かすこともなかった。

もちろん、失ったものも数多くある。
結婚願望が一向に向上しない。上がる気配が感じられない。
家族のイメージがない。父親像とかもない。
そもそも父親と会っていない。顔とかも忘れかけてきている。

でも、失ったものはあったとしても、今この瞬間幸せに感じているし、仲間にも恵まれているし、アイデンティティや生きがいも得られた。
母子家庭も全部が悪いわけではない。(勿論、経験しない方がよき)

これから、さらに家庭の記憶が抹消されていくかもしれない。
大学時代当初は思い出せた父親の顔も、今となってはざっくりしか思い出せない。
ただ、どのように過去を消化(昇華)できたのかについては忘れるのも嫌だったので、書いてみました。

今、家庭問題で悩んでいる人も、いずれは違う想いになるということが伝われば嬉しいし、利他主義で生きることの良さが少しでも伝わればいいなと思います。
長くなりましたが、お読みいただきありがとうございました。




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