AI (人工知能)は知識革命たりうるかーアリストテレス・オマージュ
電算技術が超高度に発達して、今や「A I」全盛期を迎えたといっていい時代が到来した.
人間は単純作業から解放され、高度に発達した機械を駆使したスピード感ある新世界を構築しようとしている.
一方で、人間の持つ #インテリジェンス の本質が問い直される事態となった.
機械とは異なる形で、人間にはそもそもどういった能力を発揮できるのか、
否応無しにその本質的意義について反省しなければ
自ら自身の存在自体が危ぶまれる事態に至ったのである.
AIとは、(artificial intelligence: AI)ということであり、
この「artificial 」を和訳すると「人工的な・人為の・不自然な・わざとらしい」という意味らしい.まさに人類は不自然なわざとらしい知的存在とうまくつきあわねばならなくなった訳である.
古代ギシリャの偉大な哲学者 #アリストテレス は、観察と分析により、現代の科学的思考を確立するベースになるたくさんの材料を提供してくれたことは否定する人はいないだろう。同時にその一方で、今でいう生物学に造詣が深く、科学的思考の前提となる「(物理学的)機械論的自然観」には一線を置き、「目的論的自然観」に立脚しており、一部プラトン批判を行ってはいたけれど、倫理学の基礎になる人間の追求すべき「徳(アレテー)」についても考察して、人はその生来の本質を実現する目的を持つとし、明らかに生き方についてゴールとなるものをしっかり見据えていこうとしていた.
中でも、アリストテレスの「 #形式論理学 」は、卓越した分析的視点でその #ロゴス 自体をロゴス的に捉え直すしたものである.
アリストテレスは、推論と論証の構造について解剖した結果、そもそも「推論=計算」のことであり、「さまざまな要素を組み合わせて答えを出すこと」であることを明示した.
そして、この推論過程は原理からの〈演繹〉によって結論づけられるが、その大前提となる普遍概念や証明の出発点にあたる〈公理:公準・定義・仮説〉を直覚するのは、経験から生まれる帰納の働きであることを見破る.
つまり、演繹が作動するために、経験から生まれたパターン認識を根拠にした直覚がなければならないということ。直覚を大前提とした推論自体が成立するには「経験」値という理論に先んじた情報がなけれはならないのである.
おおよそ「直覚=ひらめき」といっていいであろう.
AIが人間を超えて仕事をしてくれるというのは、当たり前だがアルゴリズムに従って物事を推論だてて整理して解答を導いてくれることである.しかし、推論という計算を始めるための最初の大前提となるベース、つまり #問題意識 をもつこと自体はそれ自体内では作ることができない.あくまでも機械であるからだ.
アリストテレスの定義によれば生命体〈自然によって存在する事物=ex.「動物」〉とは、運動変化と静止の出発点を、それ自体内(自分自身)のうちにもっているものをいう.AIは、当然のことながら機械である以上、自己決定権 を持っていないのだ.
だからこそ、人間のあり方にアリストテレスは、「自己実現」という目的論的な視座を優位に置いたのである.
長い人類の歩みの中で、哲学で「 #存在論 」のことを「 #形而上学 」と置き換えられる理由はここに有るのだろう.つまり、「何であるか?(=そのものの本質的意味)」を問い直し決定する.その決定権は自分自体内にあるということ、こうした存在というものを見据えようと日々反芻し、世界との関係性を再構築すること、これが生きるということなのである.
その目的性を正確に設定できさえすれば、AIは、さまざまな経験について網羅できるよう、 #アルゴリズム を軌道修正していくことで、最善手を導くことは可能だろう.しかし、その最初の設定、つまり目標をどこに見据えるのか、さらに未来をどうとらえるか、この発想は人間自身が決めなければならない.そこには、人間社会全体のありかたについてまできちんと制度設計できなければならないという課題が潜んでいるのである.
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