9/26日:霧の中を歩くときには解像度向上を。
人間は悩みを抱えて生きるものだ。悩んでいない人間などいないと思う。
しかし、かつて私は「悩みない人間」を自称していた。なぜその当時は悩みが無かったのか、と考えるとき、やはり参考になるのは「アドラー心理学」である。
アドラー心理学では、人間の持つすべての悩みは「人間関係」により生じる、とされている。これが正しいとすると、私が悩みを持っていなかった時期は、人間関係がうまくいっていたのだと考えられる。普通は。
しかし、本当にそうだろうか?
もう一つの可能性がある。それは、私は周りの人間とまともに人間関係を作ろうと思っていなかったがために悩みが無かった、という可能性である。つまり、そもそも適切に構築しようと思っていた人間関係が存在しなかったのではないか、ということである。
私の中では、前者よりも後者の方が実感としてしっくりくるものがある。
決して人と交わろうとしなかったわけではないが、本当に心を許せる人が実感としていただろうか?と考えると、あまり記憶が無い。私はたまたま運良く、そういう存在がいなくてもうまく生きていける力が備わっていたのかもしれない。
しかし、その後の数年で大きく認識が変わり、周りの人たちとの関係性をいかに構築するか、という点で悩みを抱えるようになった。
それについて考え続けたこの数年間のおかげもあり、自分自身の悩みの種類を理解し、分類することができるようになったことで、悩みというものに対して適切な姿勢や態度を獲得できたように感じる。
真っ白な霧の中を歩いている感覚から、遠くに真っ白な霧がかかっているが近場には比較的くっきりといくつかの分かれ道が見えている感覚への変化である。
悩みに対してうまく向き合うこととは、このように悩みの解像度を上げるということなのだと思う。
悩みを本質的に解決することはすぐにはできないし、本質的には解決できないのかもしれない。それでも、悩みを「理解する」ことはできるのだ。
そう気づいた後、最後は自分自身のとの戦いである。
いくつかの分かれ道のうち、どの道を選択するかは自分にかかっている。その道それぞれの行く先は、霧の中に隠れているという不確かさがある。そこにどう向き合うか、なのである。
自分自身のことは、自分自身でしか救済できないのだ。
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