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中学生のころ、お世話になった国語の恩師へ

◆私が学校に通えなかったのは

私は小学校4年生あたりからは、学校に通うことがあまりありませんでした。

いじめもあります。ランドセルを焼却炉に入れられたり、ベルトを刃物で切られたこともありました。階段から突き落とされたこともあります。

けれど、学校に行かなかった理由はそれらだけが原因ではありません。

以前、noteの記事で少しだけ触れました。

母の仕事を手伝いながら生活するためのお金を稼ぐのが私の生きるすべだったからです。

周りには理解されないでしょう。特に同年代の子どもには。

なので奇異な目でみられて、いじめられるのも仕方なかったんだと思います。今はいじめられていたことなんて、なんとも思っていません。

小さい小さい。


◆担任の先生は匙を投げた

問題は義務教育をまともに受けていない私が、どうやって高校を受験するかという壁が立ちはだかったことです。

中学1年生のころの担任教師は、私を「怖い」と言いました。
「子どもを相手にしているとは思えない」「ペン吉さんの担任としてやっていく自信がありません」

職員会議で議題にあがったそうです。失礼ですね。

別に攻撃的な性格でもありませんし、問題行動を起こしているわけでもありません。ただ、私が大人びた子どもだったのが怖いという理由で、担任教師は私を見捨てたんです。

けれどそんなことはもう、どうでもいいんです。

小さい小さい。


◆国語の先生の言葉があったから

仕事に行きながら学校に通うのは結構大変で、それでも授業の内容を教えてくれる友人たちが数人いました。小学校から続いていじめられていた私にも、手を差し伸べてくれる人がいたんです。

その中でも一番お世話になったのは、国語を担当している先生でした。
国語の先生は物腰の柔らかい話し方をする、40代くらいの男性で、いつも私を気遣ってくれていました。私の恩師といっても過言ではありません。

「私はね、ペン吉さんは文章を書くべきだと思うんです。きっとペン吉さんが勉強したら、素敵な文章を書けますよ。もしよかったら、私の推薦で『作文』を書いて高校受験しませんか」

その先生の提案に助けられ、何度も模擬作文を書いては添削していただき、無事に高校に入学することができたんです。


◆あれから24年

もう私も40歳になります。
この先生は、私がいま「Webライター」を目指していると知ったら応援してくださるでしょうか。先生が仰っていた素敵な文章を書くことができるでしょうか。

まだまだ勉強中で、わからないことだらけで不安もありますが、地道に私らしい速さで進んでいます。

先生が今、どちらにいらっしゃって、ご存命なのかもわかりません。
けれど、心からお礼を言いたいです。

先生のお心遣いに励まされ、ここまで来ることができました。
感謝しています。

どうぞ、お元気で。


最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
また来ていただけたら嬉しいです。


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