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74.女性が髪を切るということ

数カ月前、電車で会社に向かっていたときの話です。


最寄り駅が始発駅ということもあり、余裕をもって席に座ることができました。
テレワークが進んだおかげか、最寄り駅を出発するタイミングでも席がちらほらと空いている状況でした。


そんな中、僕の前のつり革に制服を着た女の子が掴まりました。
おそらく女子高生だと思います。
彼女は慣れたようにカバンから手鏡を取り出し、じっと自分の顔を見ていました。


僕は特に気にせず、いつものようにスマホのアプリで漫画を読んでいました。


1話読み終わり、ぱっと顔を上げると、女子高生はいつの間にか手に持っていた櫛で前髪を何度も何度も梳かしていました。
青春真っただ中であろう、女子高生にとって、前髪は命と言っても過言ではないでしょう。
僕にも高校生の時代がありました。男の前髪も、命とまでは言わなくとも、3度の飯よりは重要な地位だったと思います。


電車が次の駅に停まると、同じような制服を着た女の子が、前髪を整えている女の子の隣のつり革に掴まりました。
挨拶をする様子もなければ、目配せなんかをした気配もなかったので、たまたま隣り合っただけなのだろうと思いました。
相変わらず、僕の前の女子高生は取り憑かれたように櫛で前髪を梳かしていました。


既に数分間は同じような作業を続けていましたが、僕には彼女の前髪がより良くなっているのか、それとも納得がいかない何かが隠れているのか、判断することができませんでした。
なんだか自分がおじさんになったような気がしました。

「どうしてそんなに前髪が気になるのだろう?」



僅かにでも彼女の中で変化している前髪の「質」を蔑ろにする疑問が、何の躊躇もなく浮かんだからです。
時の流れの残酷さに頭をフリーズさせることにした僕は、やはり、スマホのアプリで次の漫画を読み進めることにしました。


すっかり漫画の世界に集中していると、何やら近くで若い女の子たちの会話が聞こえてきました。

「まさか!」と思い、再び顔を上げると、僕の前にいる隣り合った女子高生たちが親しげに会話をしていたのです。
会話の内容から察するに、彼女たちはかなり仲の良い友達のようでした。
あんなにも不愛想に隣り合っていたのが嘘のようでした。
挨拶すら不要の暗黙の了解に、彼女たちの友情の強さを感じました。 

僕の感動を他所に二人は会話を続けます。

A「今日、6時間目アルバムの写真撮影じゃん。」

B「ああ、そうだよね。」 

A「だから私、朝に前髪切ったの。」

B「うん。」

A「前髪が視界を遮ってたからね。」

B「うん。」

A「そしたら思ったより超短くなっちゃって。」

B「そんなことないよ。」

A「いま一生懸命伸ばし中。」



僕は一体何度、彼女たちに驚かされればいいのだろうか。
手鏡を見ながら懸命に前髪を櫛で梳かしていた彼女は、通常の時間の流れを考慮せず「櫛で前髪の成長を促す」という不可能に近い努力を続けていたのか。

驚いた僕は、せめて彼女の前髪の成長を見届けてやろうと、前髪に視点を移すと、「そうはさせないよ!」と言わんばかりに彼女はくるり、と体を反転させ、友達と一緒に品川駅のホームに降り立ちました。


ちょうど、乗り換えのタイミングだったのでしょう。


それにしてもあんまりだ。前髪の謎を明かすや否やどこかに行くなんて。今どきの高校生は余韻にも浸らしてくれないのか。
僕は女子高生のスピード感に完全に置いてけぼりをくらい、何が何やらわからない状況で、そのまま会社の最寄り駅まで運ばれていきました。


さて。

髪へのこだわりですが。
男性の場合は年を経るごとに、どうでもよくなっていく気がします。
僕はここ1年ほど、美容院はおろか、散髪屋にも行っていません。
月に1度、妻に髪を切ってもらっています。
もちろん妻は髪を切ることに関して素人です。
ですが、一年も切り続けていると、面白いように上達していきます。

「夫ちゃんも、私の髪の毛、切っていいよ!」



あるとき妻は言いました。

「えっ!ほんとに!」



僕の好奇心が刺激されました。

いくつになっても、女性にとって髪の毛は命だと思います。
そんな命に、僕が手を入れていいなんて、、、!
嬉しい反面、恐怖や不安も覚えました。
しかしそんな感情は変哲のない日常を楽しむカンフル剤となりました。

先日とうとう妻の髪を切る機会がありました。
月に一回僕の髪の毛を切っている古びたハサミを手に持ち、妻の髪の毛に触れました。

試しにまずは毛先にハサミを入れ、数ミリ髪を切ろうと試みました。

「ジョキッ!」



嫌な音が耳に届きました。
「髪の毛って切るのに結構、力がいるんだなあ~」と呑気に思っていたときです。

「やっぱり、やめて!!!」



妻の甲高い声が響きました。

「やっぱり怖いから、自分で切る!!!」



事態を受け入れられない僕はただ、あたふたとするのみです。
ぎこちない一太刀に、これから起こりうる未来が見えたのでしょうか。


女性が髪を切るということ。

やはり僕の手には負えないイベントのようです。


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