75.晴れて、結婚式を挙げることができました!
節目なので、ご報告です。
入籍から1年以上を経ましたが、先日何とか無事、結婚式を挙げることが出来ました。パチパチ
当初は2020年5月に上げる予定でしたが、ご時世的に延期をし、2021年3月の開催となりました。
当初予定していた規模をかなり縮小しまして、親族だけの最低限の人数での結婚式とさせて頂きました。
会場は、僕と妻、二人の趣味にぴったりと合った、趣ある和の式場です。日本料亭としても知られている場所で、お互いの出身地である三重県と山梨県の名産や郷土料理をふんだんに使ったコース料理を準備致しました。
結婚式の準備を進めれば進めるほど、「友達にも来てほしいなあ」という想いが募っていったのですが、終わってみると親族だけというのも良いものだなと感じました。
人数が少ないせいか、コンパクトでアットホームな身の丈に合った雰囲気だったからです。
結婚式をされた方だったらわかると思うのですが、お金をかけたくない部分、節約できそうな部分は業者に頼まず、自分たちで何とかするという場合があります。
僕たちの場合、披露宴で流すムービー(オープニングムービー・プロフィールムービー・エンディングムービー)やペーパーアイテム(座席表・ネームプレート・メニュー表)はもちろん、可能な限りのモノを手作りしました。
まあ偉そうに言っていますが、そのほとんど全てを妻がやってくれました。
代わりに僕はその間、全面的に家事を行っていたのですが、とは言え、妻には頭があがりません。
そんな中、「こんなものまで出来るんだっ!!」
と思ったものが2つあります。
簡単に紹介させて頂きます
妻のハンドメイド紹介その1 ウエディングドレスのリメイク
元々は白無垢、色打掛を着る予定だったのですが、延期やらなんやで費用が増えてしまった結果、節約の魔の手は衣装にまで及びました。
偶然というか、なんというか、何年も前に結婚式を挙げていた妻の姉のウエディングドレス(何故か未使用)が実家にありました。
国際結婚をしている義姉のアメリカのお義母さんの知り合い?が仕立ててくれたものらしく、かなり立派な、でもアメリカサイズのビッグウエディングドレスがあったのです。
小柄な妻、2人分くらいのサイズです。調べてみるとウエディングドレスのサイズ調整は安いところでも数万円。しかし、その数万円は妻のやる気に火をつけるには十分すぎる額でした。
「妻、ウエディングドレス、自分でリメイクしてみます!」
高らかに宣言した後、思い切りのよい妻は、迷いなくドレスの裾を切り、ウエスト調整のため、ほとんどドレスを解体しました。
それからというもの、休みの日は終日ウエディングドレスと向き合う日々でした。
だいたい1カ月ほどでしょうか。
格闘の末、ドレスのサイズ調整は完璧に、そしてデザインまでも自分好みにリメイクしてみせたのです!
凄まじき集中力と、節約への執念。脱帽です。
おかげで挙式から披露宴の初めまでは白無垢、お色直しでウエディングドレス、と見事に和洋を堪能することができました。
その2 ウエイトドール
産まれたときの体重と同じ重さの贈り物をするというアレです。
僕たちは犬のぬいぐるみをプレゼントしましたが、米俵の場合もあったり、色々あるみたいですね。
かわいらしいボアの生地を買ってきて、切って縫っての作業です。
慣れた手つきでスイスイと犬のカタチが仕上がっていきます。
本当に凄いです。
中身は「ペレット」という小さな粒を入れる場合が多いようなのですが、このペレットもそれなりの値段(と言っても千円くらい)がしてしまいます。
ケチな僕たち夫婦は、少しでも値段が張るものには代用品を求めます。
(細かくてある程度重さのあるものだったら何でもいいんじゃないか、、?)
節約のためなら、羞恥心なんて何のその!
夜な夜な近所をお散歩しては、そこらに落ちている石を拾い集めました。
苦労の末、己の体重分の石を拾い集めた後は、赤ずきんちゃんさながら、犬の体内に石を詰めるのでした。
完成した犬のぬいぐるみを見て妻は言いました。
「なんだかぬいぐるみの顔も、夫ちゃんにそっくりになっちゃった。」
「さすがにそれは無いよ~」
僕は笑って否定しました。
披露宴終盤、司会者がたっぷりと溜めて
「なんと、ご両親へのプレゼントは、"て・づ・く・り”のウェイトドールですッ!!」
と紹介してくれた後、僕と妻はお互いのお母さんにウェイトドールをプレゼントしました。
すると、ウェイトドールを持つやいなや、僕の母は感嘆とした声で言ったのです。
「なんか、顔もあんたにそっくりやなぁ~!」
やはり、わかる人にはわかるのでしょうか、、、
***
さて、結婚式です。
順を追って振り返ってみます。
週間天気予報を追っていると、常に「雨マーク」になっていた結婚式の予定日。
個人的に人生の大きなイベント事が雨になったことはなかったので、「何だかなぁ~」なんて肩を落としていました。
しかし、いざ当日を迎えると、晴天とまでは言わないまでも、すっかり晴れた日となりました。
日ごろの行いでしょうか?
いいえ、きっと満を持して参加してくれた僕の祖父母が熱い想いと沢山の賄賂をもって神様と交渉してくれたのでしょう。
式場に向かう前、我が家にて。
実はここで1つ、大仕事がございます。
noteでは日々のラブラブぶりを沢山書かせて頂いているのですが、実は僕、プロポーズらしいプロポーズをしておりませんでした。
恥ずかしながら、入籍から1年以上経過した、結婚式当日の朝、プロポーズのお手紙を妻へ読ませて頂きました。
妻の大好きなキャラクターであるリサとガスパールの便せんに下手くそな字を書き連ねて、思いの丈を述べました。
妻にも大変感動頂き、プロポーズの申し入れを受け入れて下さいました。
本当に、良かった、、。
***
慌ただしい結婚式のはじまりはじまり~。
と、まあ。
このまま無事始まれば良かったものの、慌ただしさは留まるところを知りませんでした。
妻には二人の姉がいます。二人のお姉さんはこの日のために高価な着物を買い、まるで自分のことのように可愛い妹の結婚式を楽しみにしていたそうです。
何やら雲行きが怪しくなったのは前日、妻が2番目の姉に電話したときのことです。
「ねえ、大丈夫なの、、?」
電話をしている妻の声が心配の色に染まっていました。
どうやら電話越しの姉の体調がすぐれないらしく、明らかに覇気がないとのこと。
「ゆっくり寝て、体調を万全にする」とのことで、その日の電話が終わったのですが、このご時世ですので体調不良1つとっても緊張が走ります。
最悪の場合、妻側の親族が来れなくなる、なんて可能性すらあるのですから。
翌日の朝(結婚式当日)、僕のプロポーズと並行して走った、「2番目の姉、来れるの!?来れないのっ!?事件」を簡単に記載します。
息子が通う保育園でノロウイルスが流行⇒なるべく保育園には行かないようにしよう⇒あ、でも▲日は保育園に預けなきゃ⇒保育園に行く⇒息子もろともノロウイルスに感染
御気の毒に、2番目の義姉は結婚式当日はベッドの上で点滴をしていたそう。
ついでに2人いる息子(僕らにとっての甥っ子)のうちの一人もノロウイルスで結婚式には来れませんでした。
コロナではなかっただけ不幸中の幸いですが、不幸であることには変わりありません。御気の毒に。。
※ちなみに、ノロウイルスに罹ってしまった甥っ子は僕らの結婚式当日が誕生日でした。
「お誕生日おめでとう!」のチョコプレートを載せたケーキを準備していたのですが、プチサプライズは失敗に終わりました。
***
気を取り直して、慌ただしい結婚式のはじまりはじまり~。
挙式自体は夕方からの開始となりましたが、12時ごろには式場につきました。
メイクやら、着付けやら、前撮りやらで、身の回りの準備だけでもかなりの時間がかかります。
とは言っても僕の準備は10分程度で終わり、1時間くらいは何もせずに、妻が仕上がっていくのを待つのみの時間でした。
袴の着付けは簡単とは言え、着慣れない服装です。個人的にそんな服を着続けるのはかなりのストレスでした。
袴の内側、やせ細った体に3枚ほどタオルを巻かれ、ぎゅうぎゅうに帯で締められた僕のウエスト。
このまま時間が経過したら、ウエストが絞りに絞られ、砂時計みたいなシルエットになってしまうんじゃないか、、、
そんな心配事に怯えていたら、あっという間に1時間ほど経過。
ヘアメイクのスタッフと相性が良くなかったようで、終始イライラのご様子だった妻にヒヤヒヤもしましたが何とか無事、メイクが終わったようです。
見事に仕上がった妻を見て、僕はもう、感無量でございます。
豪華で華麗な刺繍が施された白無垢姿は本当に見事でした。
ですが、かなりの重みがあるようで、体にお布団を巻いているような状態なのだとか。
常に式場スタッフ数名に支えてもらいながら、なんとか前撮りを終えました。
***
16時から始まった挙式は神前式です。
僕にも数は少ないものの、挙式の参列経験があります。
ただすべての挙式がチャペルで行われるものでした。
知らない方も多いかもしれないので、神前式の内容について簡単に説明します。
神前式の中で行われる儀式の1つに「三々九度」というものがあります。
三々九度では大きさの違う3つの杯を使ってお酒を飲みます。
それぞれのサイズの杯に意味が込められていて、小さい方から「過去・現在・未来」の意味が込められているそうです。
巫女さんがお銚子から神酒を3回に分けて1つの杯にそぞぎ、
1の杯(小)新郎⇒新婦⇒新郎
2の杯(中)新婦⇒新郎⇒新婦
3の杯(大)新郎⇒新婦⇒新郎
と交互に飲んでいきます。
3回に分けて飲むことにも意味があり、一口目は神へ、二口目は家族へ、三口目はゲストへの感謝と誓いが込められているそうです。
そんな意味が込められているなんて、式の最中は知る由もなく(事前に説明して頂いておりましたが、すっかり忘れておりました。。)
お酒を飲む際も「袴の袖はなんて重いんだ。杯も持ち上げるのも一苦労だ。」と思っていたところ、妻も全く同じことを思っていたそう。
その後、指輪の交換や誓詞奏上(誓いの言葉を読むこと)、両家の親族紹介などを経て、無事挙式を終えました。
妻の手作りリングピローに乗せられた指輪の美しさには目を見張るものがありました。
皆に見られる中での儀式ということで堅くなったところもありますが、指輪交換の際に、指輪がなかなか入らなかったこと以外は完璧でした!
***
17時からは披露宴です。
入場前に会場では短いオープニングムービーが流れ、僕らは襖一枚を隔てた入口付近で待機しています。
やがてオープニングムービーが終わり、司会者が高らかに「新郎新婦、入場ですっ!」と宣言した後、音楽に合わせて襖が開きました。
入場曲はBeatlesの「All You Need Is Love」
ファンファーレのような愉快なイントロが響く中、僕は妻の数歩前を歩き、先導しながら高砂に向かいます。
ゲストである親族全員がマスク姿で僕らを迎えてくれました。
長い自粛生活で実感してはおりましたが、マスク越しでも、人の笑顔は十分に伝わります。
「ミロのヴィーナスの失われた腕」ではないけれど、マスクに隠された最高の笑顔を、脳が勝手に想像してくれているのでしょう。
緊張やら高揚やらで、よくわからない感情の中、気が付いたときには高砂に辿りつき、二人で深々と一礼していました。
簡単に新郎(僕)がウェルカムスピーチを行い、早速乾杯の挨拶です。
ここでは、新婦(妻)のお父さんが乾杯の挨拶をしてくれました。
前述しましたが、妻の出身地は山梨県です。
土地柄、フルーツがよく育ちます。
既に定年を迎えているお義父さんは趣味の範疇を超えたフルーツ作りをしていて、実家で作った葡萄を使用したワインも流通しています。
乾杯酒は、「実家の葡萄で作られた白ワイン」です!
実家の葡萄園の資料を人数分持参の上、葡萄やワインの豆知識を説明して頂いた後、乾杯を行いました。
「話が長いっ!」と妻の眉間には終始、皺が寄っていましたが、それもご愛敬でしょう。
ちなみに乾杯時はNatKingColeの「L-O-V-E」を流しました。古くから愛されている素晴らしい曲です。
「しばしご歓談を~」ということで少しの間、料理と会話を楽しむ時間が流れました。
結婚式場を選ぶ際も、一番に「料理のおいしさ、華やかさ、こだわりを受け入れてくれるかどうか」を重視していたので、そんな料理をおいしそうに食べてくれている姿を見れただけでも嬉しかったです。
僕の親族は静かな方が多いので、歓談中の賑わいを心配していたのですが、杞憂でした。
元気がありあまっている上に非日常空間にアドレナリン出まくりの姪っ子と甥っ子が、1秒も休むことなく、式場を走り回ってくれたのです。
子どもがいると、いやがおうにも場が盛り上がりますね。
***
しばらくすると、会場にJohnMayerの「Waiting On the World to Change」が流れました。
新婦の中座の時間です。
妻が中座のエスコートに指名したのは、お姉さんです。
本当は着物姿の姉二人に挟まれての中座予定だったのですが、それは残念ながら叶わず。。
それでもサプライズで指名を受けた、一番上の姉の涙腺は崩壊寸前でした。(中座を終えて会場の外に出てから、無事崩壊。)
お姉さんと妻は9歳年が離れていることもあり、小さい頃から妻を溺愛していたそうです。
「あんなに小さな妹が、、、」といくつもの思い出がフラッシュバックしたことでしょう。
お姉さんと妻の感動的な中座、、となるはずでしたが、「主役の座は渡さないよ!!」とばかりに颯爽と現れたのは、ピンクのフリフリのドレスを着た姪っ子です。
後で写真を見返してみても、涙をこらえきれない妻と姉の横で、常に満面の笑みの姪っ子が写っていて不思議な面白さがあります。
姪っ子は妻と姉に質問したそうです。
「なんで、大人なのに泣いているの?」
僕はそんな姪っ子に優しく教えてあげたいです。
「いつか経験が伴えば、涙の意味がわかるよ」
と。
さて、式場の一番目立つ席で、一人取り残されているのが、僕です。
(早く僕も中座して、ひと段落つきたいなあ~)
と思っていると、計ったように司会者が、新郎の中座を促してくれました。
会場にはBeatlesの「All My Loving」が流れます。
僕がBeatlesの中で一番好きな歌です。
楽しい音楽にのせて僕が指名したエスコート役はおじいちゃんとおばあちゃんです。
びっくりして心臓が止まらないように、中座の時に指名することは事前報告済みでした。
両手に握った、おじいちゃんの分厚い手、おばあちゃんの小さくて温かい手は、懐かしくて愛おしいものでした。
涙をこらえている様子の祖父母を見て、すこしは孝行できたかな、と僕もしんみりとしてしまいました。
***
お色直しです。
妻は自分でリメイクしたウエディングドレス、僕はシルバーのタキシードを着ます。
やっぱり僕のお着替えはあっという間に終わり、妻の支度を待ちます。
純白のウエディングドレスを身にまとい、去年京都まで行って作ってもらった、こだわりの詰まった花の髪飾りを付けていきます。
その髪飾りと相性ばっちりのドライフラワーで作られたブーケとブートニアを持ち、準備万端です。
今度は入り口の襖からではなく、サプライズでテラスから入場します。
カーテンを閉め、会場からは見えなくなっているテラスに立ち、今か今かと時を待ちます。
会場ではプロフィールムービーが流れていています。おそらく、盛り上がってくれたことでしょう。
数分してプロフィールムービーが終わると、司会者の「新郎新婦入場ですっ!!」の声が響きました。
カーテンがサーッと開かれ、綺麗な夜景をバックに僕と妻が姿を現わしました。
入口の襖に注目していた親族の皆さんは、面白いくらい驚いてくれました。
お色直しの入場曲はTheStoneRosesの「Ten Story Love Song」です。
※ちなみにBeatlesは僕のセレクト、それ以外の曲は妻がセレクトしております。
絵に描いたように盛り上がって頂いた後は、ウエディングドレスのファーストバイトの時間です。
ここでは、桜色の可愛いウエディングケーキを食べさせ合います。
お決まりのように、妻はがっつりケーキをすくい、僕が決して食べきれない量のケーキを食べさせようとしました。
僕は、口に顔が飲み込まれても構わない、と決死の覚悟で限界まで口をひろげ、食べきろうとしたのですが難なく負けてしまいました。
口の周りにクリームを沢山つけたまま味わうケーキは、甘くてとても美味しかったです。
ケーキバイトの曲はBeatlesの「Love Me Do」でした。
なお、ケーキ入刀は妻の「やる意味が分からない」の一言で、やりませんでした。
***
再び、歓談の時間です。
皆さんお酒も入って、にぎやかになってきました。
席を移動しながら、両家ともに御酌をし合っていて、そんなお互いの家族同士の交流を客観的に見ているのは随分と不思議な気分でした。
ここで印象に残ったことがあります。
携帯のカメラを手にした姪っ子が、なぜか司会者の写真を撮りまくっていたことです。
披露宴でこんなにも司会者の方がピンショットを撮られるのもなかなかないでしょう。
かなり困惑したご様子でしたが、姪っ子はお構いなく、シャッターを切りまくっていました。
あの写真はどうなったのでしょうか。きっと人知れず消去されてしまったのでしょう。
新郎新婦は料理をなかなか食べられない、というのは噂通りで、特に僕は、すべての料理を一口ずつくらいしか食べられませんでした。
事前に試食してゆっくりと味わっておいて本当に良かった、と思いました。
たくさんの人から心のこもったお祝いの御言葉を頂きながら、自分たちがメインの写真を撮られ続ける、
こんなことはきっと二度とない、結婚式は一生に一回の想い出なんだな、と改めて感じることが出来ました。
***
始まる前は親族だけの披露宴で間が持つのか、と心配していたのですが、要らぬ心配でした。
皆さんしっかりと楽しんでくれているご様子で、時間はみるみると経過していきました。
式の終盤、一番のイベントは花嫁(妻)の両親へのお手紙です。
少し明かりを暗くした会場、手紙を読む妻に、僕はそっとマイクを添えます。
妻が時間をかけて何度も書き直しをした、お手紙です。
お父さん、お母さん、おばあちゃん、お姉ちゃん。
家族との想い出が溢れる愛のあるお手紙でした。
事前に何度か家で読む練習をしたときにも既に涙を流していて、もちろん本番も読みながら涙をこらえきれない様子でした。
読み終え、会場が明るくなると、妻の家族はもちろん、僕の兄弟もしっかりと号泣しておりました。
やっぱり結婚式は最高の親孝行なのかもしれません。
お手紙を読んでいるときの曲はJohnMayerの「Dreaming With a Broken Heart」でした。
その後、感謝の花束をお互いの父親に、手作りしたウェイトドールをお互いの母親にプレゼント致しました。
音楽は同じくJohnMayerで「Daughters」です。
会場が感動に包まれる中、僕の父親が代表してスピーチを行い、最後に僕が締めの挨拶を行いました。
最後の挨拶を終え、僕と妻は会場を後にします。
たくさんの拍手を浴びさせて頂き、心から良い式だったと思うことが出来ました。
これで、終わり!というわけではなく、僕らは式場の出口にて、お見送りの際のプチギフト(麦茶・moogy)を渡す準備をしています。
会場ではエンディングムービーが流れます。
清竜人の「All My Life」の歌詞の内容に合わせるように、僕らの想い出の写真が流れていくムービーです。
ムービーが流れている間の皆の顔はみることができませんでしたが、きっと感動頂いたことでしょう。
ここで、楽しかった時間も本当に終わりです。
お開きの際に流れたのは唯一の邦楽が荒井由美の「やさしさに包まれたなら」
日本の音楽界の真理の1つが、「結局、ユーミンは神」です。
最高でした。
改めまして。
「妻と結婚して、良かったーーーー!!!!!!」
これからも、引き続きよろしくお願い致します。
***
さて、かなり長くなってしまいましたが、最後に少しだけ個人的な感想を。。
式での新郎(僕)には大きな仕事は2つありました。
披露宴開始直後に行われる「ウェルカムスピーチ」
それから披露宴を締めくくる「締めのスピーチ」
です。
自分で言うのもなんですが、僕はスピーチやらプレゼンやら、たくさんの人の前で話すのが苦ではありません。
特にスピーチは得意分野のうちの1つで、過去を振り返ってみても、スピーチでそれなりに場を盛り上げた経験があります。
そんな僕なので、結婚式の感想で親族から一番多く頂いた感情が「しっかり挨拶できて、感動した」というものでした。
しかし、実はこの感想には裏があります。
というのも、今回僕は結婚式でのスピーチにそれほど力を入れていなかったのです。
「親族だけだし、まあ無難なことを言っておけばいいかあ~」という気持ちがあったからです。
それなのに、僕のスピーチを聞いて親族が感動してくれた理由。
それは僕が中学生くらいまで、極度の人見知りで、引っ込み思案だったからです。
小学生の頃なんかは、「皆の前で何かを話す」という場面があれば、その場で号泣して一言も声を発することができなかったほどです。
不良が更生するだけで称えられるように、引っ込み思案も、皆の前で話せるようになるだけで称えられるのです。
お父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃん。
みんな、僕に対して強く残っている印象は、中学生くらいの僕だったのかもしれません。
親にとって「子供はいつまで経っても子供」と言いますが、そんな中でも、成長した姿を見せることができて本当に嬉しかったです。
延期やら何やらで、かなりモチベーションが下がった時期もありましたが、終わってみると、幸せが深まった気がします。
大変長くなってしまいましたが、最後まで読んで頂いた方がおりましたら、心より感謝申し上げます。
引き続き、僕と妻のことをよろしくお願い致します。
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