フリーランス歴25年のライターが語る「仕事につながる、ゆる人脈の広げ方」
フリーランスに興味があるけど、将来が不安で踏み出せない。
フリーランスになってみたけど、この働き方っていつまで続けられるんだろう?
働き方は自由になるけれど、現実はそんなに甘くないんじゃないか。
仕事先もキャリアプランも自分で選択できるフリーランスだからこそ、未来について何だかモヤモヤすることはありませんか。
そこで今回はフリーランス歴25年の阿部さんに、しなやかに仕事を拡張させてきた軌跡や、偶然の出会いを仕事につなげる“ゆる人脈”の広げ方について、話を聞いていきたいと思います。
「これが好き!」と口に出したらチャンスが舞い込む
はじめまして。阿部 志穂です。気づけばフリーランス歴25年になり、ライターから始まったキャリアも、ライター→エディター→キャリアコンサルタント・研修講師→新規事業立ち上げ・・・と広がり続けてきました。
一見、別々のことのように見えますが、私の中では違和感なくすべてがつながっているんです。
こうして私のフリーランスとしてのキャリアが発展してきたのも、人とのつながりがあってこそだな、と思っています。
そこで今回は、仕事につながる“ゆる人脈の広げ方”について、過去の経験も振り返りながらお話ししていきます。
一番最初のキャリアからたどると、私は新卒でリクルートに入社し、総務で3年間働いた後、入社当時から念願だったクリエイティブにかかわれる部署へと異動になりました。
まあ後から聞いたらクルマ雑誌の編集部ということで、免許を取るところからのスタートになりましたが(笑)
元々就活のときは出版社やレコード会社にも応募していたので、新卒研修直後から直属の課長を飛び越えて部長に直談判した末の異動でした。今振り返ると若さって怖いなって思うのですけど(笑)
だけど「これがしたい、これが好き!」って口に出すことって、とても大事なんですよね。
実はリクルート在籍中から、副業でライターを始めていました。
生まれて初めて書いた記事は、中学時代から好きで好きで好きすぎたバンドのインタビュー記事!
なんでそんなラッキーに巡りあえたのかというと、学生時代に組んでいたバンドのメンバーが音楽出版社に就職していて、「阿部ぐらい、このバンドのことが好きなら、まぁ記事ぐらい書けるだろう」と白羽の矢を立ててくれたから。
もともと決まっていたライターさんが体調を崩してしまったがゆえの代打だったのですが、そんなの関係ねぇ!いやむしろ、サンキューそのライターさん!という感じでした笑
思えばあの時が、初めて“ゆる人脈”が仕事につながった瞬間だったかもしれません。
知らないことは選べない。フリーランスになると決めたきっかけ
リクルートは社員の平均年齢が若いので、早ければ5年目からマネジメントを任されます。
私も8年目くらいから昇格の話が出てきました。
そのときに、マネジメントよりは、もっと現場でクリエイティブがしたい、もっと人の話を聞く仕事がしたいと思ったので、独立を考えるようになったんですね。
当時、フリーランスという働き方は今ほど知られてはいませんでしたが、クリエイティブの現場では記事の作成にあたって、フリーランスの方に依頼することがほとんどでした。
私がキャリアカウンセリングの面談を実施する際にもよくお伝えするんですが、知らないことって選べないんですよね。
私の場合は、クルマ雑誌に出入りしていたフリーランスの方から、リクルートの他に大手の出版社さんでもお仕事されているという話を聞いて、かっこいいな〜って思ったりしていて。ミーハーですね(笑)
そんな風に「フリーランスになった方がクリエイティブの仕事は続けやすそうだな」と思えたし、「フリーランスになったらこんな風に働けばいいんだ」という見本を会社員時代から見ることができたので、独立することに対しての不安や葛藤はあまりなかったんです。
ただ、クルマ雑誌ではディレクションが主だったので、もう少しライターの経験値を積みたかったんです。
そこで28歳の時に、編集部に出入りしてた編集プロダクション会社の社長さんへ「忙しいですよね?人足りなくないですか?」って耳打ちして(笑)フリーランスとして独立する前に、その会社で修行をさせていただきました。
入社後はビジネス系の執筆が中心になり、今のライフワークにもつながる女性のキャリアが主な担当テーマになりました。
その編集プロダクションで2年間ほど経験を積む中で、私自身もライターとして自信がついてきたのと、30歳を前に年齢的にも区切りがよかったので、独立することに決めました。
独立後にリーマンショックを経験。フリーランスの危機の乗り越え方
私が独立した時、女性のキャリアに詳しいライターさんがまだ少なかったので、しばらくは食べていける算段でした。
当時の主なクライアントは、いわゆる就職情報誌だったのですが、その最中にリーマンショックがあり・・・
求人がないために休刊・廃刊が続きました。求職者は増えて部数も伸びているのに、媒体を続けられないのは関係者みんな歯痒く思っていましたね。
リーマンショック後は、年収も100万円単位でガタ落ち!これは困ったぞとなった窮地を救ってくれたのは、数年前に取得していたキャリアカウンセリング(当時名称)の資格でした。
アメリカ生まれのこの資格は、取得当時まだ日本に入ってきて日も浅く、比較的取得しやすかったんです。
長年大人の学びについて書いてきた私がお伝えすると(※編集注:阿部さんは資格の本も執筆されています)、資格って新しいうちに取得すると活かせる確率が上がるんですよね。
受験者が少ないうちは試験の難易度もそれほど高くないですし、資格ホルダーが少ない分仕事につながることも多い。ラッキーなときはメディアに取材されたりもして。
キャリアコンサルタント資格は厚生労働省も取得を推奨しているので、さらに手堅さがありました。
ライティングの仕事が絶滅状態で困っているとき、資格の取得講座で担任だった師匠に相談をすると、師匠が登壇する研修のアシスタントや、師匠の会社の広報やメディア運営を手伝わせてもらえることに。
地獄に仏とはまさにこのことで、この転機がまたいまの仕事へとつながっていくわけです。
実は師匠ももともとは取材で出会った方。彼女の仕事ぶりやおもいを聞いてキャリアカウンセリングという仕事に興味を持ったのですが、どのご縁がどうつながるかって、本当にわからないですよね。
そしてこの間、プライベートでは、結婚・妊娠・出産・離婚を経験していました。
ありがたいことに、結婚・出産経験があるので、育児情報誌から声をかけてもらったり、離婚したらいわゆる女性週刊誌の編集部からご連絡があったり。
幼少期に電子オルガンを習っていた経験が、某有名楽器メーカーさんとのお仕事につながったり、犬を飼いはじめたら犬の記事を書く機会につながったり。
人生で経験することって、全てつながっていくんですね。人と人との出会いも点と点がつながることがあって、そうやって段々と広がっていくんだなって実感していますね。
私1人で子どもを養っていかないといけない中、リーマンショックでもガクンと収入が下がらないで済んだのは、自分の専門性が複数のテーマに広がっていたからだと思います。
仕事の中でスキルを広げていく
自分の専門性を広げる上でのコツとしては、声をかけられた時にまずは明るく話を聴きにいく、ということでしょうか。
「阿部さん、こんなことってできる?」と訊かれたときに、やったことがないからって自信なさげにいくと、広がるものも広がらないんですよね。
先方が想定するそのものズバリのスキルや経験を持っていなくても、話を聴く中で、こんなこともできるかもね、こういうことをした方がいいかもねと次々にアイディアが生まれ、想定外のお仕事につながった経験は何度もあります。
そうするとアラ不思議!やったことがなかったはずの仕事が、いつの間にか経験ありの仕事に変わってしまうわけです。
そうやって、仕事の中で自分のスキルを広げていくことも重要ですね。
実は5〜6年前、紙媒体のお仕事が全部無くなった時があったんです。そのときにWebライティングについて学ぼうと思い、渋谷のスタートアップに社員として入らせてもらったことがありました。
SEO対策やGoogleのリスティング広告でのキーワード検索など、Webライティングに必要な経験を、お給料をもらいながら勉強できたのも大きな財産になりました。
ちなみに入社前には、結構な数の人材バンク・派遣会社に登録して、各会社さんの対応や仕事を紹介するプロセスをじっくり観察させてもらいました。
会社ごとの個性が出て、かなり興味深かったです。これもキャリアの仕事に活かせますし、人生に無駄なことなんて何もないなってつくづく思いますね(笑)
楽しいと感じる仕事を途絶えさせないコツ
こうやって振り返ってみて改めて、人とのご縁によって仕事が広がってきたなと実感しました。
だけど、“人脈を仕事につなげる!”と聞くとギラギラした感じになるので、私のイメージとはちょっと違うんですよね。
まず、仕事の話を自分から誰かに持ちかけることはないんです。
例えばママ友で気が合う人と一緒に飲んでいるうちに、また別の知り合いの人を連れてきてくれて、その人から「そういえばクライアントさんがこういう仕事できる人を探してるんだけど、阿部さんどう?」って話をされたりとか。
逆に誰かが困っていたら、「あの人を紹介してみよう」って、私からつなげてみたりして。人と人をつなげてみてその化学反応を見るのが好きなんですよね。
だから、気が合う人とゆるく、点と点でつながり続けておいて、仕事の縁があれば線でつながるような“自分エコシステム”を作っている感じです。
話が合う人って、その人の周りに仕事のネタになりそうな人がいるんですよね。
私の体感だと、知り合いの知り合いの知り合いという感じで、間に2人くらいを介して未来のクライアントに会う感じです。
あとは、自分の仕事観も大切にしていますね。
私は自己開示をしてくれる人が好きで、お互いに自己開示をしあえる人とは、楽しく仕事ができるんです。せっかくフリーランスになったんだし、楽しく仕事するって大事ですよ。
案件にしろかかわる人にしろ、楽しくないなと思う仕事を続けていると、そのつながりでまた楽しくない仕事が増えてしまうので、「あ、これは…」と思ったら、するする〜っと退陣するようにしています。
それができるのがフリーランスの強みですし、早めに距離をおいた方がお互いに傷も浅くて済みますからね。
せっかくフリーランスなんだから、やりたいことをしたいじゃないですか。
自分の仕事観を自覚しているから、軸が合う人と楽しく仕事ができているのだと思います。
これから広げていきたいこと。阿部さんからのメッセージ
これからも、「私に頼みたい」と思っていただける仕事には先入観を持たずに挑戦していきたいですね。
現時点で掘り下げていきたいテーマは以下の3つです。
1つ目は、ヘルスケアとキャリアプランニングをセットで提供する事業です。
この領域は奥が深くて、キャリコンとしてもライターとしても、まだまだ深めていきたい領域です。ヘルステックについて知識・経験の豊富な友人と、事業を始めようとしています。
2つ目は、エニアグラムです。
行動ではなく“動機”に着目して人間を9つのタイプに分類する性格類型論なのですが、これがめちゃくちゃおもしろくて沼にハマり、ファシリテータの資格まで取得しました。
動機がわかることで人間関係が楽に円滑になったという経験を私自身もしているので、一人でも多くの人に伝えていきたいと思っています。
エニアグラムは、多分私のライフワークになるものだと思います。
3つ目は、フリーランスになりたい人、新しい働き方をしたい人へのサポート。
私も50代後半に差し掛かってきたので、自分の知識や経験を誰かに還元していきたいと思っています。
誰しも新しい挑戦をするときに、不安や抵抗を多かれ少なかれ感じるものです。
そんなときは、まずは情報収集をして知ること。そして行動すること。そうすれば新しい世界が広がっていくはずです。
このイベントレポートを見てくださった方にも、私の経験から何か得ることがあればとても嬉しいです。
【編集後記】
「自己開示をする人が好き」
そうおっしゃっていた阿部さんご自身も、オープンで朗らかな方で、初対面とは思えないほど楽しくお話を伺うことができました。
私にとって印象的だったのは、阿部さんが等身大で仕事を楽しんでらっしゃることでした。
フリーランスには、“いつ仕事がなくなるかわからない”、“自分のスキルが通用しなくなる時がくるかもしれない”、そんな厳しい現実と不安がつきまといます。
だけど阿部さんのしなやかで軽やかな姿勢と、これまでのご経験を聞いて、“私も働くことを楽しみたいな”と、勇気をもらいました。
一度きりの人生だから、フリーランスとして、やりたいことをして生きていく―
阿部さんが25年間で培ってきたキャリアを知ることで、この記事を読んでくださったあなたの人生の選択肢が1つ広がったなら、とても嬉しく思います。
取材・執筆:松下 暖
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?