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普通の家庭なのに抜け出したかった

前回の記事の続きとして、愛着形成について書いてみる。

私が実家に対して居心地の悪さを強く認識しはじめたのは、中学生の頃だった。自分の辛さはどうしたらいいのか、何かヒントはないかと調べては、「虐待されて…」「親が荒れていて…」と遥かに過酷な家庭があることしかわからず、自分は辛いなんて思っちゃいけないんだとひとり思い直していた。

私の家はそんな、明らかに問題がある家庭ではない。

父は三交代制の仕事をしていたため、あまり一緒にいる時間はなかった。それでも年に一度は旅行をして、夜勤の日は出勤前に一緒に夜ご飯を食べて、「時間をつくらない」なんてことはなかったと思う。

母は姉が小学生、私が保育園に通い始めた頃から看護師のパートとして働き始めた。週6日働きながらでも、毎日掃除機をかけ、洗濯をまわし、ごはんをつくり、週末にはアイロンをかける。明るくお茶目な母。

姉は母に似てお茶目でよく笑う。私とはちがって、自己主張がきちんとできる。だからこそ母に怒られてるところもちょこちょこ見ていた。酷い偏頭痛持ちで、泣きながら寝込むことも多かった印象。私は大好きな姉の真似をいつもしていた。

ほら、ね。別に何も問題はない。だからこそ”愛着形成に問題がある”というところにたどり着くまで時間がかかった。

カウンセラーさん曰く、親子間の捻れが起こるとき、特に母親との関係性が影響するらしい。母親に嫌われることは、小さな子どもにとっては死活問題。だって嫌われたらお世話してもらえないんだから。母親からの拒否は、死の恐怖を味わうんだって。

そして、「親がどれだけ愛情をかけたか」ということと、「子供がどれだけ愛情を受け取れるか」ということは別、らしい。

それを聞いてめちゃくちゃ納得した。両親は忙しいなりに愛情をかけてくれたと思っているし、なのになぜ自分はこれほど悩んでいるのかと思っていたから。そっか、小さい頃の私がうまく受け取れなかった可能性があるのなら、両親を責める必要もない。そして受け取れなかった私も責めようがない。だってそんな小さな頃なんて、自分じゃどうにもできないんだから。

私の場合、おそらく愛着の形成がうまくいかず、自分が自分のままでいていい安心感を得ることができなかった。そして常に嫌われないように、見捨てられないように、”両親が気に入る子ども”を知らず知らずのうちに演じ始めたらしい。

今思い返して、あぁ、演じているってこういうことか…って気づく記憶がいくつかある。長くなるのでそれはまた別の記事で。

「敏感だから愛着形成がうまくいかなかったのか」
「愛着形成がうまくいかなかったから敏感になったのか」
どちらが先かはわからない。それでも、普通の家庭で育った私がどうして苦しさを感じてきたのか、それを分析していきたい。

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