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言葉は人を表す
初めて友人から結婚式に呼ばれた。
正確には秋頃の式に呼ばれる予定で、住所確認の連絡が来た。
ということで、準備は早めがいいだろうと早速ドレス探しにファッションビルをまわったときのこと。
あるお店でお姉さん店員と相談しながらドレスを試着。ブラウンの透け感のある、やわらかく大人っぽい印象の一着。…まぁ悪く言えば地味めなものだったのかも。
試着してカーテンを開け、ドレス姿になった私に言ったお姉さん店員のセリフがこれ。
「式がもう少し先ということですし、秋頃にはもう少し髪も伸びてるから、きっともっと華やかになりますよ!」
買わせるためにこっちを持ち上げようとしたのかもしれない。
でもちょっと待て。
なぜ髪を伸ばす前提なんだ。
今のショートヘアでは地味って言いたいんか?
ひねくれてる私はすぐにこういう思考になる。
そもそも、「女性は髪を伸ばす」という前提が嫌い。今ショートにしているお客さんに対して、受け取り方によってはいらっとさせるような方向に持っていくのはどうだろうか。
stand.fmで配信をはじめて、独り喋りをしたりお友達と喋ったりするうちに、「言葉選びがいいね」と褒められることが増えた。「喋っているこっちの気分がよくなるような言葉選びやトーンで、いくらでも話したくなる」とも言われる。(ちょっと盛ってるかもしれない)
そんな私だからこそ、なのかもしれないけれど、私は他人の言動に必要以上につっかかってしまうし、ネガティブなイメージを持ちがち。そしてそれをよく覚えている。
例えば「好きにしてね」という言葉。
これはなかよしのお友達の口癖のようなもので、彼女にとっては ”自由を許された、気が楽になる言葉” なのだと言う。
私にとって「好きにして」という言葉は、親から見放されたあのとき、親同士が口喧嘩をしていたあのときに聞いた言葉で、いわば ”恐怖” の部類に入る。
彼女が言うそれは、”気にせず自由に過ごしてね” という気遣いから出る言葉だということを理解はできても、慣れるまでに割と時間がかかったような気がする。
例えば「わざわざありがとう」という言葉。
これもまた別のなかよしのお友達がよく言う。この「わざわざ」がまた怖い。
おそらく彼は、”自分のためにここまでして(労をかけて)くれてありがとう” という意味合いで使っているのだと思う。
でも、「人から嫌われている前提」がある私にとっては、”ここまでしなくていいのに” という嫌味というか、迷惑をかけたかもしれないという思考に発展する。
「わざわざ」を辞書で確認すると
【①行為者へのねぎらい ②行為者への非難】とある。
彼の意味合いはおそらく①で(あると信じたい)、私の受け取り方が②という、辞書通りの二分化。
どちらの意味で取るかは、相手との関係性や相手の声のトーンによるんだろうけど、私のようにひねくれている相手に対し、声もなく文面のみで使用すると、こういう結果になるわけです。
「わざわざそんなことしなくていい」と迷惑がられた過去の私が、きっと蘇ってくるんだと思う。
彼と話してきた時間や濃さを考えると、きっと①。そう理解して、深く考えないようにするしかない。
人が使う言葉には、そもそもの意味合いはもちろんのこと、その人自身の過去や体験も含んでいるんだろうなと思う。
おそらく最初に挙げた「女性は髪を伸ばす」ということも、「女ならこうしろ」と言われた過去や、自分がかわいいとちっとも思えなくて、男の子さながらに振る舞うしかなかった過去が出てくるのかもしれない。
私はきっと、ネガティブな意味でかけられた言葉が多すぎる。それは記憶に残るし、思考の前に体感として蘇ってくる。
だからこそ、他人の言動に敏感ですぐにいらっとするし
だからこそ、自分は他人を喜ばせる言葉選びができるんだと思う。
そんなことを考えましたとさ。
「認知の歪み」なんて言葉が流行っているけれど、歪んでいるのは思考ではなく、それまでの体験なのかもしれない。何十年と体感し続けた積み重ねを、即効性のある何かで劇的に変えられるとは到底思えない。
だから私は言葉の勉強をしたいんだなぁ。
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