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知的障害者が子どもをもつことはいけないのか?

AbemaPrimeで取り上げられていたこのテーマについて考えてみました。

全編はAbemaPrimeで観ることができます。

これから書くことは、出演者の方々を批判する意図はなく、ただ個人的に考えた記録として書き残していることをご理解ください。


子を望むのは親のエゴ

子どもを望むのは親のエゴである。人の幸せは(他人を傷つけることがなければ)批判されるべきでない。これは私がずっと持っている意見。

そのうえで、土屋さんご夫妻が「三人で幸せに暮らせれば、周囲から何を言われてもかまわない」と考えていらっしゃることについては、()の部分を含めぎりぎりのラインのように感じる。

周囲から何かを言われることは、ご本人にとってはかまわないかもしれないけれど、子どもにとってはつらいことかもしれない。

何にせよ、子どものことを一番に考える必要があると思う。

日本という国、学校という世界。綺麗事では済まない。「他人を批判することが当たり前になっている社会がよくない」のはごもっとも。でもすぐには変えられない現実があって、それを認めたうえで考える必要があると思う。

子育ては家庭で?社会で?

番組内では社会、YouTubeのコメント欄では障害者の方々と、批判の的が大きく異なっている。なぜこれほどはっきりした差があるのかと考えると、「子育て」の捉え方の違いなのかなと。

子育ては家庭で=世間一般(コメント欄)
子育ては社会で=出演者の方々

社会問題云々という捉え方は、少し遠い存在。子育ては身の回りで、なんなら当事者であることも多い。身近な問題故に乖離があるんだろうなぁ…。

きっとどちらも正解で、社会問題として考えていくことは長期的な視点で必要だし、そうは言ってられないよと今の現実に沿って考えることも必要なんじゃなかろうか。

「本能」と「エゴ」

「子どもを望むのは親のエゴ」と考えてはいるものの、また同時に「子どもを望むのは本能である」とも思っている。

「エゴ」の概念は人間社会だからこそ生まれるもの。生命体としては種の存続が一番の目的のはず。子どもが欲しいという欲求や感情は自然に生じるもので、「望むな」と禁止すれば消えるようなものでもない。

本能を否定することは難しい。けれども私たちが生きているのは人間社会で、割り切る部分も必要で…。

人間以外の生命体は、子孫を残すことを最優先にする。弱い個体は見捨てられる。だから「エゴ」だなんだと考える概念すらない。

でも人間には情があり、助けられる医療や福祉、つながり、言葉がある。「種の存続」の観点からしたら見捨てられてしまう個体でも、なんとか一緒に生きていこうよと守ることができる。

ところが今度は、その手助けに「迷惑をかけてはいけない」という意見が出てくる。多数派のなかにいると、自分の安心や快適が当たり前になり、それを崩されるのが怖くなる。だから批判に回るのかな。

…と少し道がそれたけれど、欲求や感情もありつつ、思考で割り切ることができるのもまた人間の特性。どこまでバランスがとれるか、なのかなぁ。

責任能力の有無

今回のように、「知的障害者」とくくることにそもそもの違和感がある。「障害者」というのがわかりやすいから、批判されやすい。目に見える障害がなくても、親になりきれない人は多い。その人たちも同じで、そこに差はないと思う。

そもそも親ってなんだろう。未成年者が出産した場合の扱いはどうなっているのだろう。そう思って調べてみた。

親権とは、親が未成年者の子どもを一人前の社会人に育成する職務上の役目のことであり、
① 子どもに対する看護教育の権利義務
② 子どもの財産上の管理処分の権利義務
にわけられます。

北九州弁護士による離婚相談
弁護士法人デイライト法律事務所
https://rikon.daylight-kitakyushu.jp/qa/qa26/

このページによると親権とは上記の通りで、未成年者が出産した場合は原則母親側の父母に親権があるとのこと。結婚した場合のみ、未成年者でも母親に親権が与えられるそう。

未成年者に親権が与えられないのは、子どもを育てる義務を遂行できる能力が低いからなんだろうなと予想できる。子どもを守るために、こういった規定があるはずで。そうなると、障害者にその責任能力の有無は…と考えてしまう。

動物を飼うこととの比較

例えば保護猫を飼いたいと思ったとき、「飼いたいから」と主張すれば望み通りになるわけではない。譲渡には審査があって面談があって、条件を満たした場合のみ正式に譲渡が成立する。猫ちゃんを幸せにできるか、命を預かる義務が果たせるか。

その仕組みに批判が出ることって、おそらくあんまりない。

子どもの面倒を見るのは、猫ちゃん1匹よりもずっとずっとお金も能力もエネルギーも時間も必要で、義務としてもはるかに重い。だって人間社会に生きているから。

それなのになぜ、「子どもをもつには責任能力がないからダメです」と言ってはいけないのだろう。ただの批判ではなくて、命を預かる大人として、こういった意見を持ってもいいのではなかろうか。

私の考え

私の考えとしては、「子育ては家庭で」と縛りつけるのではなく、家庭で完結できないならば早々に社会を頼ってほしい。「親」としての義務が果たせないのなら、親以外の大人の存在が必要不可欠。その「頼れる社会」ができているところに住んでいるのならいいけれど、ないのであれば、子どものことを思うと難しいのではないか。これらの点に障害者かどうかは関係ない。

番組で問われる「知的障害者が子どもをもつことはいけないのか?」に対しては、「いけない」と強制されるものではないし、誰も強制することができないと思うので、NO。でも、本当に子どものことを思うのであれば、慎重にならざるを得ないですよね、というところでしょうか。

回り道をしながらもこんな答えに行き着きました。ナイーブな問題ではありますが、だからこそいろんな視点を持って考えていきたいものです。

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