映画制作を通した、地域とのコミュニケーションを語る①きっかけ編
はじめましてやすだです。
この記事では私が以前体験した、地域での映画制作を通したコミュニケーションの取り方をまとめていこうと思います。
知り合いがほぼゼロの状態から地域に住みつつ、1ヶ月間かけて、ゼロから映画を制作した記録のまとめです。
少し、旅日誌、制作日誌的な要素もありますので、地域活性に興味ある方、映画制作をしてみたい方、旅好きな方、制作の裏側を見たい方など、いろんな方にみていただければと思います。
以下、実際に作った地域映画「西ノ島の盆」の予告編です。1分40秒ほどお時間がある人は観てみてください。
大きなチャレンジ
私はもともと東京に制作活動をしていたのですが、上記の「西ノ島の盆」の制作時に、はじめて地元を離れて映画制作を行いました。なぜかというと、「映画を1つ作るごとに、前よりもレベルの高いチャレンジをする」という自分の制作におけるルールを設けているからです。
「知り合いの全くいない中でゼロから映画制作をしたら、どんなことが起こるんだろう、どんな映画ができるんだろう」ということが今回のチャレンジでした。
チャレンジをすると自分の中のアドレナリンが湧き出てきて、うわぁ私いま生きてる!!って感じませんか? 私は感じます。
それを原動力に、1ヶ月という短期間ででシナリオ〜ロケハン〜キャスティング〜美術制作〜撮影まで行いました。
普通の映画制作とはかなり違うと思いますが、、この経験は自分の人生の中で忘れられない体験になりました。たとえば海外にひとり旅に行くのと同じくらい刺激的で非現実的な毎日でした。そして、そこで学んだり感じたことは自分の人生に大きな学びを残しました。
この制作で一番に重要だったのは「地域の方とのコミュニケーション」です。映画制作もやはり人間関係が一番重要だということです。
では最初に、「西ノ島の盆」の舞台についてご紹介します。
舞台になった西ノ島ってどこ・どんなとこ
上の地図のオレンジのところが西ノ島です。
島根半島から北東へ約65km
日本海に浮かぶ隠岐諸島は大小180余りの島々から成り立つ群島型離島です。
この中で人が住む島は西ノ島、中ノ島(海士町)、知夫里島、島後(隠岐の島町)の4つで、島後に対して西ノ島、中ノ島、知夫里島の3つをあわせて、島前(どうぜん)と呼び、大きく2群島に整理することができます。
2013年に世界ジオパーク認定されました。
ジオパークとは世界遺産の地質版です。この時は島じゅうがお祭り騒ぎだったそうな。
地質的に優れていまして、まるでハワイ島のような壮大な景色があるのが西ノ島のすごさだと思います。パワースポットでもあると私は感じています。だって神々の国・島根だもの。
その他も色々ご紹介したいところですが、ひとまず本題に入ります。
ここで映画を作ろうと思ったきっかけ
2011年、真冬。
私は島根県にひとり旅にきていました。
理由は小泉八雲をテーマにした脚本執筆をするため、島根でいろいろと神社や関係各所をシナリオハンティングするためでした。
ある観光案内所へ行くと、「フェリーで島へ行こう」みたいなパンフレットが目にとまりました。ぱらっとめくると、ひとつ神社の写真が目にとまりました。それは、大きな岩に本殿が半分埋もれた荘厳な神社の写真でした。
「うわ、、なんか、呼ばれてる気がする・・・」
という直感が頭をよぎりました。
『私の直感はだいたい当たる』と思ってるスーパー楽観的な自分としては、この直感はスルーできなかったのです。
そして、真冬の観光シーズンを完全に外した時期に、ガラガラのフェリーに乗り込み、私は隠岐郡西ノ島へ向かいました。
島に到着し、タクシーの運ちゃんに神社に向かってくださいと言いました。
なんでこんな時期に来たの??と言われました。ごもっとも。
神社は山の上にあるらしく。マムシの出る山道を(冬なので出なかった)20分ほど竹の棒をつきながら登って行くと。。
どーんと。
一目惚れしました。
このすごい神社は、「焼火神社」と呼ばれる、本殿の半分が崖にぶっこんでるぶっとんだ神社なのです。かなりの迫力、そしてかなりの神聖さを感じました。
スピリチュアルとか詳しくないけど、とにかく気が良いんです。
怖い気がない、なんかすごく良い気です。(気とかわかんないけど)
この神社を観た瞬間
「ここで映画作りたい・・・!!!」
と心の底から湧き出てきました。
これか、これだったのか、と思いました。(当初の小泉八雲はどこへいったのか)
とにかくこの神社を知りたい、と興奮しながら、神社の周りを写真をと撮りまくり、崖を登ったりしているところ。
あるロマンスグレーな紳士に声をかけられました。
「ここでなにをしてるの?」
【続く】
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