見出し画像

建築のお仕事を辞めた今

午前0時から午前4時にかけてこの日記を書いている。酔いは一切ない。買い置きのビールがないので烏龍茶を飲みながら書いている。頭はクリアだ。込み入った文章も難なく書ける。私は一体どうしてしまったのだろうか?
午前4時になって新聞配達に出かける。たった23軒なので30分もあれば配り終えてしまう。午前4時半、ミニストップによって「バーリアル(BARREAL)糖質50%オフ」500mlを2本買って帰る。今朝はゆっくり眠れるだろうと思って睡眠薬を服用し、「バーリアル(BARREAL)糖質50%オフ」を飲みながらハウスミュージックのCDを聴き、NHKのニュースを見ているといつのまにか眠ってしまっていた。
夢の中で私は大学の卒業設計の制作を続けていた。大学を卒業して20年。未だにあの設計課題の悪夢をよく見る。なにせ多摩美術大学の建築科は4年間のストレートで卒業できる学生が学年の1/3なのである。設計製図の実技科目を一回でも提出しなかったならば進級できない。卒業設計はそのクライマックスでこれが合格できないと卒業はできなかった。私はずっと東京芸大を目指していたので大学に入る前に2年間浪人していた。だから留年だけは許されない。そのことが心の負担とストレスになっていて、卒業設計の作品制作もアルコールを飲みながらやっていた。ベロベロに酔っ払って模型を作っていたのが懐かしい。
夢の中で私はCADで図面作成、プレゼン資料を作成していた。学生時代はまだCADの時代ではなかった。全ての設計課題をベニヤの製図板とT定規で描いていた。夢の中でCADが出てきた理由はサラリーマン時代の辛い経験が未だに頭に残っているからだろう。
大学を卒業して私は神奈川のとある建設コンサルタントの設計部に入社した。それまでその会社は設計も手がけていたのだが、全て外注していた。しかし、そうにもいかなくなり、新たに設計部を組織し、その立ち上げメンバーに私に白羽の矢が当たったのである。上司は当初、出向社員で、入社は私のほうが一年早い。
とりあえず設計部は私を含めて3人で立ち上げたわけだが、私が入社するにあたって出した条件は、CADで設計ができる環境を作ってもらうことだった。私は学生時代からサイバー青年でコンピュータに異常に興味を持っていた。だから卒業論文も「CADを利用した形態認識の基礎的研究」だった。
当時の設計部ではCADがわかる人間は私だけであった。だから設計環境をつくる段階から私が主要メンバーとなった。初仕事は2000万円の予算を与えられてCADの選定をすることだった。結局、伊藤忠テクノサイエンスを通じて1200万円のEWSのシステムを導入し、もっぱら私がそのオペレーティングに当たった。大学卒業したばかりの新入社員に1200万円のシステムの運用を一人に課されたのである。使いこなせないと私の責任だ。そのプレッシャーたるやいかほどだったろう。しかも3次元の建築専用CADが使えるのは社内で私一人だった。それゆえCADの仕事、具体的には設計図面の作成に始まり、企画段階のボリュームチェックや日影の計算、プレゼンテーション用のパース作成まですべてを私一人でこなさなくてはならず、仕事が集中して、新入社員にもかかわらず私がいないと部署の仕事が進まない状況に追い詰められた。代わりの人間はいない。だからマンションの設計が2~3件同時進行していた忙しかった時期には毎日8時出勤で、2時3時までの残業が当たり前であり、土日も出勤しなければならないこともしばしばだった。そもそも私がアルコール依存症とうつ病になった原因も、このサラリーマン時代の過労とストレス、過度のプレッシャーに押しつぶされたことにある。
夢から目覚めた時には午後の13時を回っていた。朝方飲んだ「バーリアル(BARREAL)糖質50%オフ」が半分くらい残っていた。しかももう一本は手をつけていなかった。あれほど焼酎を飲んだのに眠れなかったのが、睡眠薬のロヒプノール2mg2錠であっさり眠れてしまったのは何故なのか?私にはわからない?起きてからは「バーリアル(BARREAL)糖質50%オフ」の残りを飲みながらいつもの日課になっているHotmailとFacebookのチェックをし、午後16時にSkypeでフィリピン人の女の子と会話したあと歯科医へ行った。
歯科医の診察が終わるといつものように「Ms」に直行である。いつものメンバーとワイワイ言いながら焼酎のロックを2杯と卵焼きで650円。今日は党の支部会議があったので途中退席する。
会議が終わるとすぐにまた「Ms」に直行した。美味しいポテトサラダと焼酎のロック4杯。夜の9時過ぎから11時半の閉店間際までダラダラ居続けて会計が1000円。安い。安すぎる。今夜はロサンゼルス帰りの東京出身者との素敵な出会いがあって気分は上々だった。店長のYさんが作ってくれた特性コチュジャンもニンニクとゴマ油が効いていて最高だった。しかし、焼酎のロックを4杯飲んだ割には全く酔えなかった。1ヶ月前なら適度に酔って早朝の新聞配達まで2時間くらい仮眠ができていたのに、まったく眠れない。これはアルコールの耐性の問題なのか、それともアルコールの離脱症状なのか、謎は深まるばかりである。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?