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【雑感】言葉は伝える側の立場も含むかもしれない

珈琲をテーマに短編小説を書いたのでふと思い出した。
昔、仕入先の珈琲専門店で相談した時のこと。

「珈琲を味わって飲むにはやはりブラックの方がいいと思いますか?」

「そう? 美味しければミルク入れても砂糖入れてもいいんじゃない?」

当たり前なのかもしれないが、私には目から鱗だった。
珈琲屋としては、珈琲を嗜む時に余計なものは入れてほしくないのかと思ったからだ。
人それぞれ。それでいいんだ。

私はカフェをしているのでお客様からよく聞かれる。
これはどうやって食べたらいいですか? と。

いつも「好きなように召し上がっていいんですよ」と答えている。
ほんとそう。人それぞれ。
食べ方に決まりなんてなくて、薬味も汁物用の七味の瓶も、好きな量を好きなタイミングで使ってほしくて添えている。

珈琲専門店で受けた衝撃は、言われた台詞はいつも自分で言っているのと一緒なのだけれど、どうして衝撃に感じたのだろうかと考えた。

言う方の立場も含んだ台詞だからなのかもしれない、と思った。

こだわって選び抜いた珈琲豆を販売する方が言う台詞と
毎日珈琲を飲んでいる還暦後の父が言う台詞とでは
なぜだか重みが違う気がするのだ。失礼かな。

でも違うと思った。
それに。あぁ、好きなように飲んでいいんだ。と心が軽くなった。

カフェでは珈琲も飲めるが食事だってデザートだって作っている。
どれもこれも自慢のメニューだ。
お客様はお店が望む食べ方を聞きたいと思って聞くのだろう。
だって美味しく食べたいし。失敗したくないし。

だから今日から私は言う。
「好きなように召し上がっていいんですよ」
ただ言うだけではなく、自信満々に答えよう。
もしかしたら、相手がちょこっとでも安心してくれるかもしれない。
作っているのは夫だけれど、それを届けるのは接客する私なのだ。

気軽に、楽しんで、お腹いっぱい食事をしてほしい。
新年度スタート、大事なことに気が付いた。


もう長編小説は書き終わって小説は書かないだろうと思っていたのに、頭に浮かんでブワァーっと書き上げたもの。大好きな珈琲をテーマに。

最後までお読みいただき感謝いたします。
素敵な新年度になりますように。

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