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【紫陽花と太陽・上】第三話 命日

 遼介りょうすけが大多数の人から好かれているのは俺にとって当たり前のことだった。家が近かったのもあって、奴とは小さい時からの付き合いだ。なんでも、母親同士が公園で俺たちを遊ばせていた時に意気投合したらしい。
 小学校では何度も同じクラスになった。そのたびに、分け隔てなく笑顔で人と接する遼介はクラスのムードメーカー的な役割となることが多かった。告白をされたこともたくさんあった。そのたびに遼介から相談され……結局誰とも特別な関係になることはなかったのだが……返事をどうするのか、共に悩んできたのだった。

 俺は今、教室で遼介を待っていた。
「職員室に呼ばれちゃったからちょっと行ってくるね……」
 しょんぼりと項垂うなだれた遼介は呼び出した担任のところへトボトボと歩いて行った。原因は十中八九、「忘れすぎる件」に違いない。
 まず、日直を忘れて相方に仕事を全部やらせたあげく、宿題も忘れて(その宿題は担任が課した数学のプリントだ)、帰りも日直の仕事を忘れたにも関わらず掃除当番を代わってあげていたのが判明したからだ。
 授業中にガムを食べたとか、ガラスを割ったとか、暴言を吐いたとかいう類ではないところで遼介はよく先生に注意される。注意力が散漫だと。確かにそうだ。本人は真面目で悪気はなく、どちらかというと自ら進んで人を親切にしようとする性格だ。……まぁ、だからこそ掃除当番を代わってやるなんてことをするんだろうけど。

「……怒られた」
 遼介が戻ってきた。こいつはおでこにつむじがあるせいで、逆立った毛が一房ぴょこんと真上を向いている(俺たちはアホ毛と呼ぶ)。なんとなく元気な時はぴんと立っている髪が今は萎れているように見えた。日直や宿題を忘れてしまったことを、こいつは心から後悔している。
「散々だったな」
「宿題は確かにやらなかった。椿つばきに牛乳をこぼされちゃって」
 めっちゃ牛乳臭かったプリントもちゃんと持ってきて、朝教室着いてからやろうと思ってたのに……と遼介は嘆いた。やろうと思って、というのはおそらく俺のプリントを写すことを言っている。俺には兄弟がいないので、小さい子供が牛乳をこぼすまでの流れがさっぱり分からない。
 遼介の妹の椿とは、俺らが小学生の頃は公園で一緒に遊んだりもしたが、彼女が保育園に行くことになり自身も中学になって部活をし始めてからは、めったに会うことがなくなった。
 先日の試合で久しぶりに見て、また少し大きくなったかなと思った程度だ。

 玄関でばん! と大きな音を立てて傘を広げた。黒色の俺の傘、淡いクリーム色の遼介の傘、並んで歩き出す。俺は大抵部活があるので一緒に帰るのは久しぶりだ。
「今日、椿の迎えはあるのか?」
「うん、毎日行くよ」
「そっか。いつも大変だな……」
「慣れちゃったよ」
 ポッポッポッと傘に雨音が響く。遼介を見ると穏やかな顔をしていた。

 毎年少しずつ変わっていく通学路の風景。学校からお互いの家までは歩いて十五分ほど、それぞれの家までは二分で着く近さだ。
 梅雨のこの時期は雨が多くてうっとうしい。遼介の母親が亡くなったのも、六月の終わり頃だった。命日が近づいてくるたびにこいつはその頃のことを思い出すようだ。俺が何ひとつ力になれず、悔しくてたまらなくなるのもこの時期だ。
「試験勉強、次は一緒にやるか?」
「え?」
 俺にできることといえば勉強を教えることくらいしかない(料理は包丁すら握ったことがない)。部活を決める時は遼介との時間が減るので悩んだけれど、入部を勧めたのは遼介だった。俺は両親が警察官で、なんとなく自分もその職業を目指しつつある。剣道などの武道は警察学校という場所でも履修できるが、やってみたくて入った剣道部は、やはりそれなりに面白い。
「そうだねぇ、そうだと嬉しいな」
 ふわりと遼介は微笑んだ。試験勉強の話だ。
つよしが部活ない時、一緒にやりたいな」
「試験期間の前後は部活ねぇよ」
「じゃあできるね」
「とりあえず、今日は宿題やれよ」
「……今日? なんか宿題出てたっけ?」
「……」
 どうしてそうなった。職員室から戻った時、担任から再提出用の数学のプリントを手渡されたんだと言っていたじゃねーか。こいつ、頭からすっぽりと抜け落ちている。
「……担任からプリントやれって言われてたんじゃなかったか?」
「あ、そうだった」
 目をパチクリさせて遼介が答えた。思い出したようだ。
 何度も遊んだ公園を通り過ぎ、俺たちのそれぞれの家が見えてきた。
「剛、今日は時間ある? 後で……椿を迎えに行った後で、プリント教えてほしいなぁ」
 傘を持ち上げて遼介が俺に言う。いいよ、じゃあ帰ったらピンポンするね、おう、と簡単なやりとり。以前は毎日だったそれは、年月とともに回数が減っていく。


 玄関口にいろんな靴が散乱していた。下駄箱の棚には、季節の飾りの小さな雑貨——紫陽花の上にカエルが座っている置物や、しわくちゃになった折り紙(これは椿が作ったのだろうか?)などが置かれていた。いつもいろんなものがあるなと俺は感心する。俺の家はシンプルだ。
「つよし兄ちゃん、おじゃまさまー」
「そういうときは、いらっしゃいませって言うんだよ」
「いらさいませぇー」
「そうそう、大きな声で挨拶できて、えらいね」
「うふふ」
「今、お茶淹れるねー」
 最後のは俺に向けられた言葉だ。慣れた手つきで遼介が茶を淹れている。

 六月。死別した幼馴染の母の命日月。

 吸い寄せられるように俺はカウンターにある写真立てを見た。遼介の母親がにっこりと微笑んでいた。笑顔が、遼介のそれと本当にそっくりだと感じた。


(つづく)

(第一話はこちらから)

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