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【紫陽花と太陽・上】第十三話 宿泊学習

 たくさんの十三、十四歳の少年少女らを乗せた大型バスが、山道を登っていく。
 季節は夏の終わり。まだまだ暑さが続く気だるい空気が授業中には見られるが、自然豊かな山の辺りは、時折爽やかな風が吹いてとても涼しい。

 二泊三日の宿泊学習。中学二年生の楽しいイベントの一つ。
 クラスメイトたちは皆一様に、賑やかに朗らかにバスに揺られている。

「あずささん、楽しいね!」
 ペカッと快晴、絶好のお出かけ日和に、僕は笑いが止まらない。
 行きのバスでなんとかあずささんの隣の席を取れたので、僕は嬉しくてついこっそり手を繋いだら、彼女に軽く睨まれた。
 僕と彼女は複雑な事情で一緒に暮らしているけれど、そのことは親友のつよし以外には秘密にしないといけないのだ。
「担任の先生は知ってるんだっけ……?」
 コクリとあずささんが頷いた。僕らの担任の先生には父さんと桐華とうか姉が面談をし、事情をきっちり説明してくれたらしい。面談に同席したあずささんは時々先生に呼ばれて話をすることもある。
 今日のあずささんは、なんと珍しく、ジャージ姿だ。僕の中学校のジャージはごくシンプルな紺色で、横に白の線が二本入っている。僕を含めて他の生徒は暑いので上着は脱いでいるか腰に巻きつけてTシャツだけの姿が多いのだけど、あずささんはしっかりと上着を着て、ファスナーで首元まで閉めていた。転校してきた四月よりも長くなった黒いサラサラの髪がまっすぐに肩の下まで流れている。
「具合悪くなったら、言ってね」
 僕は保健係だ。バスの中、宿泊施設の中などで具合が悪くなった生徒がいたら、付き添って看病する係になっていた。
 最近あずささんの口数が少ない。特に学校の中では。家では、椿つばきの面倒をものすごく一生懸命頑張ってくれていて、絵本も読むし、椿とおしゃべりだってたくさんする。笑顔は相変わらず見られないけど時々目がふわっと綻ぶので、僕の中ではそれがあずささんの笑顔だと思っている。

 バスは山道をぐるりぐるりと周回しつつ坂道を登っていく。
 てっぺんで休憩もして、またぐるりぐるりと周回して坂道を下っていく。山を越えるのは本当に苦労する。僕たちは乗っているだけだけど。


 キャンプ場につき、さっそく炊飯の時間となった。
 かまどで火を起こし、カレーライスを作る。こういう時になると普段使うガスコンロのありがたみをひしひしと感じる。ガスコンロを発明してくれた人に、感謝。きっと僕は有意義な学習をしているに違いない。
 ごはんは空き缶で作るという。各々家から空き缶を持ってくるようにとお便りに書いてあったので、僕とあずささんは普段買わない缶をわざわざスーパーで買ってきた。僕はカルピスで、あずささんは緑茶の缶。カルピスの空き缶で米を炊いたらカルピスの香りがするごはんになりそうだな、とあずささんは真面目な顔で呟いていた。
 僕と剛は一緒のグループ、あずささんは別のグループなので遠くに行ってしまった。
「おーい、遼介りょうすけ、これ切っていいのか?」
「切る前に、まず洗って皮むきしないと」
「そうか」
「火がなかなか点かないね……」
「せんせー! せんせーい!」
「うわぁー、砂ついたぁ……」
 炊事場はガヤガヤとまるで戦場だ。なるべく自然に近い形で学習をすることがねらいなので、火起こしも基本は生徒だけの力でやるらしい。見本で専任の先生が火を起こしてくれたのだけど、やってみると意外と難しい。
 夏の終わり、生徒たちはみんな額に汗をかきながらカレー作りに勤しんでいた。

「なぁ、翠我すいが
 同じグループの男子が話しかけてきた。ちょっと声を潜めて顔を近づけてくる。
ひいらぎと別れたんだって?」
「へぇ?」
 僕は素っ頓狂な声を出した。一体どこから情報が流れるのだろうか。なぜか付き合ったという情報も、別れた、という情報も。
 微妙な顔をしながら僕は一応説明をした。柊さんとの「これ」は、向こうが勝手に言ってきたに過ぎない。男子は、そっかーと納得したかどうか分からないけど、それ以上は特に言ってこなかった。僕は胸をなでおろす。苦手な話題は返事に困ってしまう。

 あとはカレーのルゥを入れれば完成か……という時、遠くの方が急に騒がしくなった。
「何かあったのかな」
「さぁな」
 僕は剛に聞いてみた。誰かがカレー鍋をひっくり返したとか? ごはんがきちんと炊けずに黒焦げになってしまったとか? そんな想像を剛としゃべっていたら、担任の先生が血相を変えて僕を呼んだ。
「翠我ぁーッ‼︎」

 騒然の理由は、あずささんが熱中症で倒れてしまったことだった。

 キャンプ場の端に簡易トイレとプレハブが設置されていて、あずささんは急ぎプレハブに運び込まれることになった。ガヤガヤはさらに騒がしくなり、私語を慎むよう頑張って声を張り上げる先生、静まることのない生徒、気にせず作業を続ける生徒、何が起こったのか興味でキョロキョロする生徒、キャンプ場はぐちゃぐちゃだ。
 僕はあずささんを追いかけてプレハブに向かった。口は悪いが根は優しい剛も心配で一緒に着いてきてくれた。不思議そうにするグループの子には「保健委員だから」と適当な理由を残してきて、大慌てで(それでも音はたてないよう気を付けて)ドアを開けた。
 中には、簡易ベッドの上に寝そべったあずささんと、保健の先生、担任の先生が立っていた。歩く度にギシと床が音を立てる。僕と剛は彼女の隣に来た。彼女の顔からは脂汗が流れていた。女性の保健の先生が「まず急いで首と脇を冷やしましょう。脱がせますね」と、彼女のジャージの上着に手をかけた。
 あずささんが呻いた。先生の手を必死で制して、ジャージを脱がせないように抵抗していた。
霞崎かすみざき、熱中症で倒れたんだぞ。まずは冷やさないと。上着脱がすぞ」
 担任の先生が横から言った。あずささんは答えない。苦しそうに、背中を丸めてうつ伏せになってしまった。
「こんな暑いのに、よく長袖とか着てたよな」
 隣で剛がボソリと呟いた。それを聞いて、僕は背筋が凍りついた。
「あずささん」
 気が付いたら、僕はあずささんに抱きついていた。息を荒くして呼吸をする彼女の耳元で、聞こえるようにあえてゆっくりと話しかけた。
「あずささん、手首、見せてほしい」
 ビクリと肩をふるわせてあずささんが固まった。僕はかまわず彼女の袖をまくって手首を見た。目を凝らしてみても、特に何もなく白くて細い腕だった。
「首、見せて」
 今度はあずささんも抵抗しなかった。されるがままに僕の方に身体を向けてくれたので、ジャージの首元のファスナーを一気に下げ、上着を脱がせた。
「おいっ! 翠我!」
 あずささんの首元に、赤いあざがあった。
 僕は目を瞠った。このあざには見覚えがある。ほんの数週間前、うちにやってきたあずささんの首元に付いていた——あの時は赤黒かった——義兄に首を絞められた時のあざだ。
 ずっと、隠していたんだ……。
 僕はようやく気が付いた。あずささんがいつも家では首に襟がついた長袖の服を着ていたことを。暑いのに、新学期が始まって登校する時も、半袖ではなくて長袖の夏の制服を着ていたことを。
 ぐにゃりと視界が歪んだ気がした。
 ずっと一緒にいたのに気が付かなかった……。
「ごめん、あずささん」
 出た声はすごく震えていた。
「ごめん、ずっと一緒にいたのに、気が付かなかった」
「……遼介の、せいじゃない……」
「気が付いてたら、もっと早くあずささんが困っているのに気が付いてたら、僕、先生とかに相談してた。……なのに、全然……」
 違う‼︎ とあずささんが激しく首を振った。具合が悪いのに首を振ったので力が抜けて僕の方に倒れてきた。慌てて抱きとめる。あずささんは両手で顔を覆いながら、か細い声で泣き始めた。
「……私、毎日首を見て、あざが消えているかどうか、見ていた……。でもなかなか消えてくれなかった……。お風呂、今日も明日も、みんなで入るってしおりには書いてあった……。私、入れない……入りたくない……」
「お風呂?」
「寝る時も、遼介と違う部屋で、知らない人と……寝ないといけない……。怖い……」
「寝る時……そうだね。別々の部屋になるね」
「怖い……。ずっと、服着てたら大丈夫かと思ったのに。一人でなんとかできるって、思っていたのに……。結局、遼介に助けてもらってしまった……」
「あんなに暑い中、長袖着てたら具合悪くなるよ……」
「そうだ……熱中症のことは、知っていたから、水も飲んで無理してないはずだった……。でも、でも……!」
「あずささん、大丈夫だよ。ここにいるのは先生と剛だし、大丈夫だから……」
「すまない……! 遼介が、楽しみにしていた宿泊、学習、だから、戻ってほしい、向こうで、他の人と、楽しんでほしいのに……‼」
 あずささんはそこまで話すと、わぁわぁと声を上げて泣き出した。迷惑をかけてすまない、もうここにいなくていい、そんなことも途切れ途切れに聞こえて、しまいにはものすごく呼吸が早くなって、咳き込んでしまった。
「か、霞崎‼」
 担任の先生が慌ててあずささんの名前を呼んだ。返事はできず、息を吸おうとしてうまく吸えなくて顔色がどんどん悪くなってしまった。
「過呼吸です‼」
 保健の先生が大声をあげた。僕はあずささんを抱きしめ、また耳元で大きく声を出した。
「あずささん、深ぁーく、息吐いて」
 背中を強めにさすってみる。あずささんは真面目な人だ。吐いてと言ったら頑張って息を吐こうとしてくれた。
「そしたら、深ぁーく、吸ってー」
「できた。深ぁーく、息吐いて」
 何十回も同じことを繰り返した。だんだんと呼吸のペースが落ち着いてきた。
 ちらりとあずささんの顔を見ると、眉間にシワを寄せてギュッと目をつぶっていた。
「発作、落ち着いてきましたね。とにかく冷やしましょう」
 保健の先生はすぐに適切な処置をし始めた。そういえば熱中症の症状もあったのだった。僕も急いで濡れタオルを絞って、あずささんの顔の汗を拭った。

「霞崎、少しは落ち着いたか?」
 担任の先生が、非常時にと準備していた経口補水液をあずささんが飲むのを見ながら、尋ねた。熱で真っ赤になっていた頬も荒かった呼吸も、さっきよりは少しだけマシになった気がする。
「先……生……」
 か細い声であずささんが先生を呼んだ。
「……すみません……」
「あやまらなくていいから、ゆっくり休んでくれ」
 先生の答えに、あずささんはサッと目を伏せた。経口補水液のペットボトルのキャップを手でギュッと握りしめている(閉め直すと、また開ける時に慣れていないせいで時間がかかってしまうからだ)。
「先生、……遼介と、一緒にお風呂に入るのは、だめですか?」
 その場にいる先生と剛がブッと吹き出した。
「冗談だろ?」
 剛が苦笑いをして僕を睨む。僕は小首を傾げた。
 もちろん今までだって一緒にお風呂には入ったことがない。でも、大浴場で他の子と一緒に入りたくないあずささんの気持ちは十分すぎるほどよく分かる。時間をずらすとか、一人で違う小さいお風呂があればそれを使うとか、何か方法はあるはずだ。あずささんが知らないだけで。

 実際、僕はあずささんの裸は何回か見ている。椿をお風呂かシャワーに入れる時に、どちらかが分担して入れるのだ。保育園から帰宅してすぐに寝てしまわれると正直すごく困ってしまう。せめて晩ごはんは食べなくてもいいから汗まみれの身体だけは洗ってほしいのだ。それで、椿の体力が限界の日は食事の支度はそっちのけで、まずは僕かあずささんが椿と一緒にお風呂に入り、片方が椿の濡れた身体を拭く係をやっていた。
 たいてい椿はあずささんと入りたがる。終わった椿が脱衣所に出てきて、僕は身体を拭いて着替えを手伝う。
「椿、パンツはいて」
「ぱーんーつー」
「歌はいいから、パンツはいて」
 椿はくねくねしたり、ジャンプしてふざけたり、しまいには脱兎のごとく脱衣所から逃げ出す。すっぽんぽんのままで。仕方なく僕は椿の下着と着替えをかかえて追いかける。
 ある時、椿を拭いているとシャワーを終えたあずささんが風呂場から出てきた。僕がいるのに全然気にしていない感じだったので一瞬困惑したが、椿のバスタオルを取る時に移動した彼女のバスタオルをキョロキョロと探していたのでそれを渡すと、彼女は何事もなかったように同じ空間で身体を拭いていたのだ。
 銭湯や温泉では小学生の途中頃から男女は別々になる、とどこかに書いてあった気がする。理由は何だろうか。うまく説明できない。
 あずささんは椿と違って中学二年生だから女の人の身体になっていた。胸が大きくて、腰がきゅっと細くなっていて、とにかく柔らかそうだなと思ったけど、椿が脱走したので頭からそんな感想はどこかに行ってしまった。ため息まじりに、パンツ、と連呼しながら椿を追いかけた。

 そんなことをぼんやりと思い出していたら、先生と剛に、まさか一緒に入ったことがあるのか? と詰め寄られたので慌てて否定した。
 風呂の問題はシャワー室があるのでそれを使うことになったようだ。あずささんはホッとした顔をしたが、また困り顔になって先生に尋ねた。
「先生、……遼介と、一緒に寝るのは、だめですか?」
 その場にいる先生と剛が盛大にため息をついた。
「冗談だろ?」
 剛が僕を呆れ返った顔で見やる。僕は小首を傾げた。
 だって、いつも一緒に寝てるし。

 あずささんが宿泊学習から帰りたいかどうかはまだ分からない。でも僕は、帰るなら帰ってもいいと思っている。もちろん僕も一緒だ。
 首のあざは誰にも解決できないことだから、あずささんの気持ちを大事にしたいと僕は思う。帰っても帰らなくても誰も死ぬわけじゃない。怒られるかもしれないけど、それがどうしたというのだろう。
 カレーライスは、誰かがルウを入れ、完成した。ガスコンロはなくてもしっかりごはんを食べられることに感謝をし、アルミ缶でごはんを炊こうと挑戦した過去の偉人を思い描き、彼らにもついでに感謝をした。
 あずささんも少し食べたらしい。具合が悪い人にカレーという香辛料の料理はお腹もびっくりすると思うけど、真面目なあずささんのことだから食べられる分はきちんと口に入れたのだろう。

 宿泊学習の一日目、二日目は、結局僕とあずささんは女性の先生たちの部屋の片隅を借りて一緒に寝た。敷布団を二枚並べて手を繋いで一緒に寝た。前みたいに夜中に飛び起きるかもしれないと思ったけど、あずささんは朝までずっと眠れたと言っていた(それか、僕が疲れて全然起きれなかったか)。

 夜眠りにつく前にあずささんが話してくれたこと。
 ……あずささんは、小学校に通っていなかったということ。長いこと家に勉強を教えてくれる人が来て、その人から教わったという。途中から……四年生くらいから学校には通えるようになったけど、ご両親から課外活動は強く禁止されていたと言っていた。だから今日の宿泊学習は、人生で初めての、知らない人と一緒にする課外活動だったらしいのだ。
 知らないことをするのはあずささんにとって相当な恐怖らしい。しおりを何度も読み返して知らない言葉は辞書で調べたりしたけれど、それでも想像すらできないことは不安だったという。
 父さんの言葉が、僕の中でストンと落ちてきた。まっすぐに、唐突に。
 父さんが家族に言った『あずささんのおやくそく』で、四番目に『縛られない』とあった。彼女は自由であると。
 その時は全然よく分からなかったのだけど、今は分かるような気がする。
 あずささんは、今まで縛られていた、のだと。
 何のために学校があるのか、何のために勉強をするのか、学校はどうしてあるのか、僕の苦手な運動会や緊張ばかりする発表会や、今みたいな宿泊学習は何のためにあるのか。
 そんなこと今まで考えたことすらなかったけど、じゃあそれを一度もしないまま生きていたらどうなるのか、目の前のあずささんを見ながら僕は想像した。
 学校や課外活動をしなくても、生きてはいける。
 決して楽しいだけではないイベントを知らなくても、生きてはいける。
 でも……。

 僕より先に寝てしまったあずささんの、横髪が顔にかかっていたのでそぉっとかきあげた。大丈夫、脂汗は出てない。寝顔も苦しそうな顔じゃない。握った手も温かい。
 僕よりものすごく勉強ができて料理がものすごく上手なあずささんは、時々こんなふうに小さい椿のようになる。途方に暮れた表情で、大きすぎる不安を抱えた小さな身体。
 椿の世話をいつもしている反動か、この三日間はとても静かで心が落ち着いている。クラスメイトたちは賑やかだけど、僕の心の中や行動までは乱さない。椿みたいに次から次へと対処を変えなくてはいけないような事態は起こらない。
 静かな夜にあずささんをゆっくりと眺めてみた。つやのある長い黒髪、伏せられた長いまつげ、規則正しく息をしている唇、柔らかく真っ白の手。彼女が笑う日は、来るのだろうか。安心して心穏やかに暮らせる日は、来るのだろうか。
 眠くなって僕も目を閉じる。
 手を繋いだまま、お互いの体温を分け合って、眠りにつく。

 *  *  *

「おかえりなさい、二人とも」
「少し、日に焼けた? 向こうも天気良かったし、暑かったでしょー」
「おかえりー‼︎」
 三日ぶりの家で家族と宿泊学習の話をした。あずささんは頑張った。不安だらけだったのに、予定通り三日間を乗り切ることができたのだ。
 お土産のお菓子を渡すとさっそくおやつタイムになった。僕とあずささんはお茶の準備をするために自然と台所に向かう。姉たちは紅茶だそうだ。椿は牛乳。僕とあずささんはほうじ茶をそれぞれ選んだ。
「湯を沸かすな」
 我が家で大活躍の電気ポットで湯を沸かす。片方が湯を沸かしたりお菓子を入れる皿を出している間、もう片方が茶葉とカップの準備をする。二人で準備をするとものすごく早い。
「あ、そうだ。忘れないうちに」
「?」
 僕は隠し持っていた小さな紙袋をあずささんに手渡した。
「これは何だ?」
 あずささんの両手に、For youと書かれたリボン付きシールが貼られた紙袋を乗せる。開けてみて、と言うと素直なあずささんは言われたとおりに開けてくれた。
「あずささんが、宿泊学習を頑張ったから、おつかれさまのお土産」
 僕は前に紙パックのカルピスをもらった時の軽い気持ちで、あずささんにそのお土産を渡した。グループ別の施設見学の余った時間にたまたま立ち寄った、お土産屋さんの片隅にハンドメイドコーナーがあって——その地域で活躍中のハンドメイド作家による手作りの雑貨——そこで見つけたアクセサリーだ。紫陽花の花びらを模した、薄ピンクや水色や薄紫のいろんな色で作られた髪留め。
 それを見たあずささんは、数秒ほどキョトンと見つめ、それから両目からポロポロと涙を零した。僕は仰天した。
「ど、どうしたのっ……! あ、苦手だった? 好みもあるもんね……」
 ブンブンと首を横に振ってあずささんは否定した。途中お茶の蒸らしタイマーが鳴ったので、それはきちんと止めてから僕に続けて言う。
「……私、今までにおみやげ、というものを……もらったことがなくて」
「えっ」
「だから、ものすごく嬉しくて……! ありがとう」
 あずささんは両手で大事そうに髪留めを包んで、俯いた。どんな顔をしているのか気になったけど、残念ながら俯いてしまってつむじしか見ることができない。
 生まれて初めての……そんな大事なものを、僕はあまり悩まずに買って渡してしまったことに少し後悔した。中学生のお小遣いで買えるくらいの全然高級なものじゃないのに……。
「あー! いいなぁー! あずさお姉ちゃんいいなぁー!」
「……椿にもあるよ」
 椿が羨ましがることは予想済みだったので、あずささんに渡したものよりさらに一回り小さい紙袋を椿に渡した。
 紫陽花が有名な地域だったので椿の髪飾りにも紫陽花の絵が付いている。パッチンピンで小さな子もつけやすいかと思って買ったのだ。ちなみに、かなり安い。
 お茶の準備を続けていると僕のシャツの裾をつい、と引っ張る感じがした。振り向いたらあずささんだった。
「ありがとう……」
 もう一度、頬を赤くしてあずささんが目を細めて言った。
 口元は笑ってはいないけれど、僕にはそれがあずささんの特上の笑顔なんだなと思えた。


(つづく)

(第一話はこちらから)

読者のみなさまへ
オリジナル長編小説【紫陽花と太陽】は毎週水曜、日曜に更新予定です。上中下の3部作で各巻15話前後のお話です。
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