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5/29 【丹後生活最終日に思うこと。】

愛知に戻りますと年明けに話してから、光の速さで時間が過ぎ去ってしまった。光よりも速い例えがあるなら、教えてほしい。それくらいあっという間に時間が経った。

思い返してみると、2年前から今日までの時間の経過の速さも光速だった。「一度、丹後に遊びにいきます!」と言って、本当に移住して暮らすようになるとは初めは思わなかった。
当時は声を掛けてもらったことが嬉しくて、今の自分が必要とされてるなんて!と舞い上がり、後先考えず(そもそも、後なんてもう何も残されてなかった。笑)即決で働きますと言ったのが懐かしい。

親や彼女にも移住を決めたことを事後報告し、かなりの心配をかけたことでしょう。あの時は、本当にごめんなさい。でも、自分の人生をちゃんと自分で選択したという感覚がすごく自分の中で大きくて、ようやく新たな1歩を踏み出せたと一瞬泣きそうになったあの瞬間を今でも忘れられない。どんな結末でも自己責任、そんな状況が本当に新鮮で、ああ俺は生きてると思えた。


仕事でサウナというものを選択し、初めてのがっつりサービス業への転身は多少戸惑いがあったものの、仕事が楽しいと思えたのは初めてだった。仕事は我慢してやるものだって昔から思ってたから、もちろん大変なことだってたくさんあったけど、自分の接客の答え合わせがダイレクトにお客様の反応で見えるこの仕事は、本当にやりがいに満ちたものだった。ちゃんと伝わってるなって思えた。その分、手を抜いたとかマイナスな部分もすぐに伝わってしまうから常にプレッシャーもあったけれど、良い緊張感の中で働けたこの経験は確実に自分の血肉となった。

仕事においてたくさんの気付きがあるのは当然だけど、丹後に来て本当に良かったなと振り返って思うのは、たくさんの地元の方に良くしていただき、色々な学びが得られたことだなと思う。
サウナメンバー以外誰も知らない状態でこの地にやってきて、正直言うと不安より楽しみが大きかった。どんな知り合いができるだろう。そこのワクワクがすごく大きくて、その自分の予想は大的中。

それぞれが個人で奮闘する姿に、最初は面食らった。こんな生き方があるのかと。丹後には僕の地元と違い大きな企業が無い分、自分で考え、行動して食べていかなければならない。そんな獅子奮迅の大人たちが散りばめられたこの土地に、来た当初からずっとリスペクトを持っていた。
自分が今まで出会ったことないような大人たちがゴロゴロいるこの地で得られるものめっちゃあるんじゃないのか。せっかくなら、いろんな業種の人と関わって吸収したい。そう思ってからは、たくさんの人と会っては話し、その都度勉強させてもらった。気が付いたらたくさんの先輩方に良くしてもらって、可愛がってもらって感謝しかありません。


たった2年だったかもしれないけれど、あまりにも濃密な、激動な時間だった。そしてこの2年で、自分からうつの看板をおろそうと決心して次のフェーズにちゃんと向かえるまでになれたのは、紛れもなく丹後での生活があったからで、あの時勢いで地元を出てこなかったらと思うとゾッとする。人生を立て直すにはこれ以上ない時間を過ごすことができたと思ってます。

大きく体調を崩すこともなく(天気だけはマジで厄介だった。本当にこれだけ。笑)仕事も遊びも全力でやってこれたのは、間違いなく周囲の皆さんのおかげ。無理を聞いてもらったキリさんたちやぬかゆげチーム、そして友人の皆さんに頭が上がりません。


ただ、これでやっとスタートラインに立てたと思う。ゴールなんかじゃない。走り出すための準備が整っただけで、愛知に帰ってからはだいぶ遅れてしまったスタートをようやく切って、追いつき追い越せの過酷なレースに参加することになる。

居心地の良い丹後にずっといるという選択だってあったけれど、敢えて地元に戻って挑戦してみます。
丹後で出会ったような大人が地元に増えてほしい。選択肢は無数にあるということを知ってほしい。そのためにまずは自分がアクションを起こさないといけない。今回の決断も、そんな自分の気持ちに従って下したので、結末がどうなろうと自己責任で、覚悟を持ってやってみます。

改めて、本当にお世話になりました。
かけがえのない時間を過ごさせてもらいました。
若干寂しい気持ちもありますが、3時間車を走らせればまた会えると思うと、何だか前を向けそうです。

では、またどこかで🤝

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