4/28 【ぐっしょり濡れた枕が、本心を物語っている。】
前々からずっと行きたいと思っていた、鹿児島は知覧にある特攻平和会館へ行ってきた。
館内は撮影禁止で、その様子が外に漏れることはほとんどなく(僕が訪れた時はインバウンドの影響で外国人観光客が多く、ルールを守らない一部外国人の方が撮影していたのは非常に残念だった。他言語の注意書きが必要と思う。)想像を膨らませて現地へ向かったのだが、そこにあったのは、想像以上の特攻というものの凄惨さと、隊員たちの決死の覚悟だった。
まず、遺影ともいうべき隊員たちの写真の数の多さに絶句してしまう。笑顔の人もいれば、凛々しい顔で写る人もいて、表情豊かなその顔からは、これから死んでいくとは想像もつかない。ある意味、死が確定している中で笑顔になれる自信が僕にはない。お国のためと本気で思っているのか、国のために死ねるなら本望とも思っているのか、それは当時の彼らにしか分からない。
そしてその写真の下には、遺書や遺品、遺筆といった隊員たちが最後にこの世に残したものがずらっと飾られている。正直、正気では見られないけれど、目を背けずにしっかりと向き合った。動悸がして、呼吸が荒くなる。平均年齢21歳の隊員たちが死の寸前に残した最後の文章は、とても綺麗で美しく、それでも決死の思いがこもったものが多くあった。
中でも、穴澤大尉が最後に恋人へ宛てた手紙、遺書は心に突き刺さるものがあった。
本来であれば、最愛の恋人と時間を共にしたかったはずだが、その願いも叶わず、出撃となってしまった。あまりにも無念で、悲惨で、感情の表しようがない。
途中、語り部さんによる講話があるとのアナウンスがあり、話を聞く。
その中で特に心に残ったものが、題名にもあるぐっしょり濡れた枕の話だった。
突撃前夜の隊員が眠る三角兵舎に看守が見回りに行くと、掛け布団に頭をすっぽりと隠し、震えて泣いていた人が無数にいたとのこと。そして朝になって、女学生が布団の清掃に行くと、びっしょりと濡れた枕がそこにはあったらしい。夜通し泣いていたということだ。
それでも、特攻直前の出陣式には皆凛々しい顔をして飛び立つ。この時代に、人前で涙を流すということは御法度なのである。助けてと口に出すことも出来ず、国のルールに歯向かうこともできず死んでいく。これまた悲惨な過去だ。
また個人的にすごく感じたのが、遺書の言葉の選び方や文章の構成の仕方が、皆尋常じゃなく綺麗で、力強く、伝わりやすいものだったということ。
この時代の若者は本や句集を読む機会が多かったらしく、自分の気持ちを文にすることに長けていたのではないかと思う。それが仇となり、見ているこっちからするとストレートな感情や気持ちが遺書から伝わって来てしまい、何度深呼吸して気持ちを落ち着かせたか分からない。
そして、遺書のほとんどがお母さんに対する感謝、懺悔、愛情を伝えていたということ。敵艦に突っ込む瞬間、お母さん!と叫びながら突っ込む隊員がいたというのは話に聞いていたが、それは嘘ではなかったんじゃないかと言うくらい、最後の手紙でお母さんについて触れられていた。
人間は弱く、ずるく、自己中心的な動物なので、この世から戦争が消えるとは悲しいが思えない。ただ、この凄惨な、あまりにも酷い過去の失態を見る限り、少なからず特攻という非人道的な行為は今後絶対取るべきでない。これだけは言える。
最後は、特攻隊員がお母さんと慕っていた鳥浜トメさんの言葉で。
「人は皆、この世に使命をもって生まれてきている。なぜ生き残ったのかを考えなさい。あなたにはしなければならないことが残されているだろうから。」
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