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私の履歴書 ~高卒で人生絶望、やり直しのキャリア~

2021年12月末をもって、Sansan株式会社を卒業しました。約6年間、大変お世話になりました。

キャリアの区切りと今後のチャレンジに向け、これまでのキャリアの歩みをまとめておくことにしました。自分で言うのもなんですが、なかなかに「紆余曲折のあるキャリア」を歩んできたと思っています。

あらかじめ要約すると、以下のようなお話です。

・工業高校を卒業後、適当に就職をしたら人生に絶望した。
・人生のやり直しを懸け、一念発起。命を燃やして大学に進学。
・キャリアに関わる仕事にやりがいとモヤモヤ。転職で幅を広げる。
・そして、新たなチャレンジへ...

だいぶ長文になってしまいましたが、私の価値観が形作られたバックグラウンドを少しでも知っていただけると嬉しいです!!

高卒就職の失敗 ~18歳にして人生に絶望~

私が初めて社会に出たのは高校を卒業した18歳のときです。卒業をしたのは都内の工業高校。工業系ですので、授業内容は溶接・プログラミング・はんだ付けなど、普通科にはないような科目を広く学びました。

工業が好きだったかというと、決してそうではありません。「とにかく勉強をしたくない」「今の環境から逃げ出したい」という消極的な理由でした。高校時代はとても楽しく過ごしていたものの、将来のことについては全然考えていませんでした。卒業後の進路について、両親からは大学進学を希望されていましたが、当時の私は勉強がとにかく嫌いでやりたいこともない夢ナシ人間。大学のお金も無駄だと思い、就職することを決めました。

当時、バイトもしたことがない18歳にとって、就職活動はとても困難なものでした。求人票を見てもイメージができず、やりたいことも思い浮かびません。進路指導室のおっちゃんに言われるがままに決めた就職先はハードな肉体労働でした。

入社後2か月間の研修を終えて現場に配属されると、すぐにこの状況に絶望し始めました。就職して経験したのは以下のようなことでした。

・高卒と大卒の壁。知識・経験・お給料に大きな差を感じた
・先輩社員は「奨学金を返すために働いている」と夢も希望もない
・50歳の新人が入る環境、先輩から「十代でやる仕事じゃない」と言われる
・いわゆる3K(きつい、汚い、危険)でシンプルに仕事がしんどい
・ほぼ男性だけの環境で、出会いもなく彼女もできなそう

18歳の私は思いました。人生\(^o^)/オワタと。

大学進学の決意 ~高校卒業後9か月で無職に~

当時、社会の広さも知らない私は、人生に絶望をしました。「この会社で一生を終えるのか」「あとはひたすら働くしかないのか」と。これまで義務教育のレールに乗ってきただけの18歳には、この先の選択肢が見えずに未来が閉ざされたような感覚でした。

そして、ふと思いました。「ちゃんと勉強しておけばよかったな」と。

前述の通り、私は勉強が大嫌いでした。小学校の頃からすでに授業についていけなくなり、中学の頃には勉強なんて諦めていました。でも、生まれて初めて勉強しておけばよかったと思ったのがこの時でした。母親にはよく、「社会に出たら勉強しておけばよかったと思うことになるよ」と言われましたが、本当にその通りでしたね。

そして、ふと思ったんです。

「自分、ここで終わる人間じゃなくない?」「やり直すんだったら今じゃないか?」

両親はもともと私に大学進学をさせたいという希望があり、幸いにも学費も用意していてくれていました。大学に進学をし、勉強を頑張れば未来は切り拓けるのではないだろうか。私には、それぐらいしか選択肢が思い浮かびませんでした。両親に大学進学への気持ちを話すとすごく応援してくれました。

悩ましかったのは会社への説明です。入社からまだ8か月ほどにもかかわらず、新入社員が退職をして進学をすると。特に上司は非常に厳しい人で、メンバーから恐れられている人でした。めちゃめちゃ緊張しながら上司に声をかけ、「大学に入り直すために退職をしたい」と話を持ち掛けました。一通り話した後、言われた言葉を忘れることはありません。

「絶対無理だよ」

涙が溢れました。私にも大学に入れる自信なんてありませんでした。でも、人生を変えるためにはその選択肢しか見当たりませんでした。大泣きしながら上司に言い返しましたね。

「無理かもしれないけど、やりたいんです」

その後、どのような流れで退職に至ったかは記憶が定かではありませんが、何度か話したうえで「本気であること」が伝わったんだと思います。最終的に、職場の方々にはとても応援いただきながら送り出していただきました。高校卒業後、たった9か月での退職。今から考えると、18歳でのこの決断が人生の転機でした。

受験勉強にコミットした1年間 ~成人式も受験勉強~

さて、晴れて無職になった私ですが、勉強なんてこれまでほとんどやったことがありません。自分の力では到底難しいと考え、予備校に通いました。入校したのはとてもアクセスが良く、予備校自体マイナーで親身になってくれそうという理由で「城南予備校 池袋校」を選択。入校後はとにかく勉強漬け。受験に失敗したら人生が閉ざされるかもしれないという恐怖心と、どのぐらい勉強をしたら大学に合格できるかが分からないため、本当にがむしゃらな浪人生活でした。

・携帯電話を解約し、友人との連絡を一切断つ
・予備校の営業時間にはほぼ朝から晩まで自習室にこもって勉強生活
・試験前の3か月は帰宅後に4時間寝て、深夜3時頃からジョナサンで勉強
・成人式も欠席して予備校で勉強

とはいえ、行きたい大学も勉強したいことも特にはありません。とりあえず大学に入学し、それからいろいろ経験をしようと決めていました。そのため、大学の決め方は学部も偏差値もバラバラに受験して、一番偏差値が高かったところというなんとも適当な決め方。オープンキャンパスも1度も行きませんでした笑

5校ぐらいを受験し、結果的にすべての大学に合格。最も偏差値の高い青山学院大学に入学を決めます。

これまで自分に自信がありませんでしたが、ほぼゼロから1年でMARCHの一角に入学できたことは大きな成功体験につながりました。このような原体験が「やればできる」「人には可能性がある」という価値観につながっているのだと思います。

世界が広がった大学時代 ~手でお尻を拭く経験~

大学入学後は、ほんとに色々なことにチャレンジをしたと思います。遊びたいという気持ちよりも、勉強や経験を通して成長したい・可能性を広げたいという一心でした。

・(1年次だけ)学部で上位5位ぐらいの成績をとれたり
・議員事務所でインターンシップをしてみたり
・様々な大学合同の共同ゼミみたいなところに入ってみたり
・スリランカという島国の漁村でホームステイをしてみたり
・宝探しイベント企画会社でインターンシップをしてみたり
・子ども向けキャンプなどを企画・運営するNPOのスタッフをしたり
・タイの現地調査系のゼミに入って途中でドロップアウトしたり

今でも鮮明に覚えているのは、大学2年次のスリランカでのワークキャンプです。私は国際系の勉強をしているにもかかわらず、海外に行ったことがありませんでした。「海外を体験してみたい」「とはいえ海外旅行というのも面白くない」というゆがんだ気持から、当時good!というNPOが企画運営していたスリランカでのワークキャンプに参加しました。

ワークキャンプでのできごとを簡単に説明すると、

色んな立場の日本人参加者とともに、
電気もガスも水道もない漁村でホームステイをしながら、
昼間は水道を掘って井戸を漁村を水道でつなぐワークをし、
夜は日本人参加者や現地のスリランカの人たちとの生活・交流を通して、
自分の内面や他者の価値観と向き合う体験型キャンプ。

という感じでしょうか。

ワーク自体も楽しいのですが、大事な要素が他の参加者や現地の住民たちとの交流でした。まったくバックグラウンドが異なる人たちとの関わり。日本とは異なる価値観や生活様式。自分の価値観があたりまえでないことや、いろんな生き方があってよいのだと視野が広がる感覚がありました。

特に、手でカレーを食べる経験、不浄の左手でお尻を拭く経験、雨水で体を洗う経験などはきっと今後も忘れることはないでしょう。

もともとは国際系のことを学ぶ中で海外に向けた仕事をしたいとも考えていたのですが、日本を客観視できたことで日本の課題を解決していきたいと思えた体験でした。

2回目の新卒就職 ~天職だった人材紹介とそのジレンマ~

こんなふうに、人の価値観やキャリアに関心があった自分は、人の可能性や人生に影響を与えることを仕事にしたいと考えるようになりました。そこで、2回目の新卒就職は法人向けの研修企画・運営会社に入社を決めました。私は、「なぜやるのか?」を大事にしたい性分で、会社のミッションに共感ができるかが判断材料でした。

1年目は法人向けの営業として走り、2‐3年目は人材紹介事業(新卒)の立ち上げを経験。特に人材紹介事業については、「人の人生に携わりたい」という想いを体現する事業であり、とてもやりがいを持って取り組むことができました。自身の就職失敗の経験もあり、大学卒業後のキャリア選択を支援するこの仕事はまさに天職だったと感じています。

一方、ジレンマもありました。人材紹介の仕事は他者へのアドバイスを通じて人生に影響を与える仕事です。非常に意義のある仕事である一方、まだまだ社会人経験も自身も浅いことから「まずは自身がもっと経験を広く積むべきではないだろうか?」と感じるようになりました。また、人材紹介のビジネスモデルそのものが法人から収益を得るモデルがゆえに、本当に支援すべき人が救えないという悩ましさもありました。

そこで、人材紹介事業から一度離れ、より成長環境で自身の力をつけるために転職を決意。そこで出会ったSansan株式会社に入社することとなります。この当時から、「またいつか、人のキャリアにかかわる仕事に戻りたい」「いったんの遠回りである」とおぼろげに考えていました。

成長環境を求めての転職 ~Sansan株式会社での6年間~

私の企業選びの軸は引き続き「ミッション」や「ビジョン」に共感できるかどうか、でした。Sansanは入社当時、名刺管理クラウドサービスを通じて「ビジネスの出会いを資産に変え、働き方を革新する」ことをミッションに掲げていました。1次面接の段階で当時の面接官から「名刺管理を通じて世界を変える組織である」という熱い想いを伝えられ、「ここに入社するんだろうな」と直感で思いました。

爆速で面接が進み、内定承諾の1週間後に入社することが決定。(転職先を決める前に退職をしていたため。)私の入社時はまだ受け入れ態勢が整っておらず、出社初日にテーブルとイスがなくオープンスペースで過ごしたこと、入社3日目から展示会に駆り出されたのはとても印象的でした。

6年間の経験を細かく書くことは難しいですが、ざっくり以下のようなことを経験させていただきました。

▼1-2年目(27-28歳)
 ・立ち上げ期のインサイドセールスにジョイン
 ・大手企業向けインサイドセールス(BDR的役割)の立ち上げ  
 ・Salesforceの導入プロジェクトへの参画

▼3年目(28-29歳)
 ・名古屋支店への転勤、SMB向けのフィールドセールス

▼4-6年目(29-32歳)
 ・Sales Enablementの立ち上げ&マネジメント
 ・営業シナリオの構築、営業用標準資料の設計
 ・事業企画部でのインサイドセールス部隊の予算策定・管理

本当に幅広い経験をさせてもらったなと感じます。特に、IPO前の営業組織の強化のため、Sales Enablementの立ち上げに参画できたのはとても大きい経験でした。

というのが目先のミッションでした。もともとの「人のキャリアにかかわりたい」という想いを一番体現できる役割だったと思っています。

Sansanを卒業するきっかけ ~自分の人生をどう使うか?~

私はSansanが大好きですし、退職についてのネガティブな理由はほとんどありません。ぶっちゃけ、Sansanを辞めてまで転職をしたい会社も別にありませんでした。ただ、Sansanへの転職前からの考えていた「キャリアに関わる仕事にいずれ戻ろう」という想いは常に脳裏にあったことも事実でした。

その際、いくつか考えさせられるきっかけがありました。

ひとつはコロナウイルスの流行です。あらゆる人が半ば強制的に人生の転換を求められる出来事でしたが、キャリアについて深く考えることがより必要な世の中になったと感じています。コーチングの一般化、キャリアへの自己投資の増加などなど。その中で、「キャリアの仕事に携わるべきは今ではないだろうか?」と考えるようになりました。

もうひとつのきっかけは父の死です。父は10年ほど前に脳梗塞となりました。後遺症は少なく問題なく生活できていたものの、定期的に手術・入院を繰り返していました。コロナが流行り出してから半年後ぐらいに再度入院をしていたのですが、定期的な手術や体力の低下で気付くと寝たきりになってしまいました。動けなくなると、その後の老衰は早いものですね。2021年8月に70歳で他界をしました。

事故などの突発的なものではなかったため、覚悟はできていたつもりでした。ですが、父の死は非常にショッキングな出来事でした。私はあまり人の死に直面をしたことがない人生でしたが、父の死を通して「人生は有限なんだな」と強く実感しました。

そんな出来事が契機となり、これまでは他者の想いを借りて仕事をしてきたが、これからは自らの想いやビジョンの実現に向けて生きていくべきではないか?自分の力をあるべきところに使うべきではないか?と考えが固まってきたんですね。

そこからいろいろと模索し、新たなチャレンジに向けて2021年12月にSansan株式会社を退職することとしました。

まとめ

「じゃあ今後は?」ということですが、それについてはまた別記事で書きたいと思っています。ですがこれまでの通り、キャリアにかかわる仕事であることは間違いありません。

32歳になって会社を飛び出すことは恐怖でしかないですが、「頑張れば人生は切り拓ける」ということを自分の人生を通して証明していきたいです。18歳の自分が今の自分を見たときに、「未来の俺、頑張ってるじゃん」と思ってもらえるように、今後もチャレンジしていく所存です。

みなさま、今後とも温かく見守ってやってくださいませ。

2022.01.03
りんぺい


おわりに(宣伝)

最近はインサイドセールスの立ち上げ、Salesforceの導入・運用、Sales Enablementの立ち上げなどで個別にご相談をいただくケースも増えてきました。参考にしていただけるお話も多いと思いますので、ご関心がありましたら各種SNSにて個別でご連絡くださいませ。

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