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休日の朝はダラダラしよう

2024.04.29
ペぎんの日記#29
「休日の朝はダラダラしよう」


休日の朝、ダラダラと起きてダラダラと朝の身支度をしていると、平日の朝はどうしてあんなに早く準備を終えられるのかと不思議になる。

この土・日・月(昭和の日)の3日間の休みとも午前からの活動予定が無かったために、朝は3日とも、起床から朝ご飯の食べ終わりまでに1時間を要した。

平日ならば
起床、お弁当、学校に持っていくもののパッキング、着替え、洗顔、髪の毛のセット、朝食、歯磨き、出発
というように起床からの1時間で、私の身体は完全な戦闘態勢を取ることができる。

なのに休日ときたらどうだろう。やるべきことは平日に比べて格段に少ないはずなのに、朝の準備には平日の1.5倍くらいの時間がかかる。

じゃあ休日の準備にはどこかロスタイムが生じているのでは?とも思うが、そうではない。朝の工程の合間にテレビやスマホだけに集中することは無いし、家族との会話も平日と変わらない。
びっくりだよね。私も最初に気付いたとき「えー!」って思ったもん。
なんと平日と休日の違いは「急ぐ意識があるかどうか」だけだったのだ。

だとすると、休日も平日のように急ぐ意識を持って準備をすれば、かなりの時間を捻出できることになる。
生産性の無い時間を削って、よりよい休日を過ごすことができる。

…本当にそうだろうか?

休日まで朝からバタバタと準備をして幸せだろうか。確かに自由に使える時間がもっと増えたほうが充実した休みになるかもしれない。でも私には「よい休日」の要素に「ダラダラとした朝の時間」が含まれているのではないかと思えてならないのだ。

十分な睡眠を取って、カーテンの下から溢れる陽の光を感じながら起きる朝。睡眠の質の良さに比例して大きくうねる髪と格闘するヘアセット。鳥のさえずりを聞き、テレビで平和なドキュメンタリーを見ながら、一口一口を味わって食べる朝食。ケージの中のデグーに「おはよう」と挨拶をしながらする歯磨き。

時間に余裕がある分、沢山の「無駄」を全身で受け止めながら、私の休日は始まる。そしてきっとその「無駄」が私の休日の幸せを形作っている。

生産性を求める時間よりも、その無駄な時間を大切にしていきたい。

いやでも正直さ(小声)、今日の朝食はひとつも覚えていないし、テレビだって付けっぱにしてるだけだし、その「無駄な時間」ってやつが本当に私の人生によい影響を与えてるかって聞かれたら自信を持って「はい!」とは言えないわけなのよ。もしかすると支度が終わったらやらなきゃいけない色々を先延ばしにするために朝の準備を無意識的にゆっくりやってるだけなのかもしれないし…。
あぁもういいや。難しいことは考えなくていい。休日はダラダラしたいからダラダラする。平日は急がなきゃいけないから頑張る。
うん、きっとそういうことだ。
どういうことだ?もういいや。

とりあえず頑張れ、明日の朝の私。


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