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「最低限」に圧迫されて

2024.06.24
ぺぎんの日記#83
「『最低限』に圧迫されて」


高校生になって、というより少しずつ大人になってきて、だんだんと「最低限やらなきゃいけないこと」が増えてきた気がする。

それがちょっと、しんどかったりする。

朝起きたらお布団を畳まなければならない。顔を洗って、歯磨きをしなければならない。朝ご飯も食べないといけないし、パジャマから制服に着替えないといけない。髪だってボサボサのままじゃ学校に行けないし、終わっていない宿題だって終わらせないといけない。宿題を終わらせようと机に向かい、昨日の夜書いたToDoリストを見て絶望する。やろうと思ってたことに、何一つ手がついていない。

小さい頃は、朝の準備なんて30秒で終わっていたと思う。
お布団は畳まなくても咎められるだけで、別に困ることはない。顔だって歯だって、別に汚い感じはしない。パジャマにボサボサの髪で外に飛び出しても何も思わなかったし、宿題なんていうものは世界に存在していなかった。朝ご飯の重要性なんて知らないままで元気に活動していたし、「やらなきゃいけないこと」なんて考えたこと無かったと思う。

いつからか、社会に出ていくために「最低限やらなきゃいけないこと」が山のように溜まってくるようになった。

身体の健康を保つためにやらなきゃいけないこと。
身体の清潔を保つためにやらなきゃいけないこと。
精神の平穏を保つためにやらなきゃいけないこと。
教養を身につけるためにやらなきゃいけないこと。
他者からの信頼を失わないためにやらなきゃいけないこと。

「最低限」

そう分類されるものの多さに目眩がする。
最低限に押しつぶされそうになる。
でも、押しつぶされてしまったら、私は社会から不要とされてしまう。

もっと歳をとったら、家族ができたら、なんか、生活の全てが「最低限」で埋まってしまうような気がして怖い。

日々、少しずつ日常に追加されていく「毎日の最低限」
もう、何が私にとって本当に必要な「最低限」なのかも分からない。毎日毎日、義務として「最低限」をこなす。そこに少しでも迷いが生じると、義務を義務としてこなすことができなくなってしまう。

本当の大人は、そういう最低限すらも、人生の大切なピースとして楽しむことができるのだろうか。

SNSで、人生のプライオリティに関する動画が流れてきた。
瓶の中に、ゴルフボールを入れ、小石を入れ、砂を入れ、最後にビールを入れる。順番が違ったら、きっと全部は入らない。重要なもの(ゴルフボール)から入れてあげよう。あ、ちなみにどんなに忙しくてもビール飲むくらいの息抜きはできるぜ。という話。

先生、私の瓶には「最低限」の塵が積もって、もうスペースが有りません。
瓶に入れてしまった砂を、取り出す勇気もありません。

先生、私の瓶、あとは何を入れられますか?

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