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2024.07.03
ぺぎんの日記#91
「そ」


昔出会ったある人は、「そ」を、下の画像でいうところの右のパターンで書く人だった。

人間として凄く素敵な人で、私もその書き方で「そ」を書いたら、少しはその人に近づけるかなと思った。

その日から、私の「そ」の矯正が始まった。でも油断していると、うっかりいつもの流れで普通の「そ」を書いてしまう。だから文章を書くときは常に集中して、「そ」が含まれていないか確認する。「そ」が含まれているときは、もちろんその人と同じ書き方で書く。

そんなことをして、2ヶ月位たってからだろうか。無意識でも、2画で書く方の「そ」を書けるようになった。

その人に近づけたのかは分からない。

私の人としての成長に、その「そ」が起因しているのかは定かではないが、少なくとも私は、今でも2画で書く方の「そ」を使う。

今日、授業が暇で、ノートの字をひたすら綺麗に書くチャレンジをしているときに思い出した、今まで忘れていた「そ」へのこだわり。もう普通になりすぎて、「そ」を矯正したことなんて完全に忘れていた。

私の色々は、実は私が忘れているだけで本当は、出会ってきた沢山の人で構成されているんだろうなと思う。

いや、「千と千尋の神隠し」に出てくる湯婆婆のセリフ「一度あったことは忘れないものさ、思い出せないだけで」を借りるなら、これこそ「思い出せないだけで、忘れていないもの。自分の中で生き続けているもの」なのかもしれない。

ちなみに、、、私の他にも1人だけ、「そ」をあえて2画ver.で書く同級生を知っている。私たちやその周辺の代は、平仮名を習うとき、必ず1画ver.の「そ」を教わる代だから、彼も私と同じく、なにか事情があって「そ」を矯正したのだと思う。

用があれば普通に会話するくらいの仲の彼だけど、「そ」をなぜそちらで書くのかはまだ聞いたことがない。
彼の「そ」事情にも、何か面白い秘密があるといいな。


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