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印象派になれない

2024.04.17
ペぎんの日記#17
「印象派になれない」


小さい頃から、他人に伝わるものを作る、ということが苦手だった。

例えば国語の授業でポスターを作ったとき。
見た人に一番伝えたい内容を考えて、太字や大きい字にする作業。
これが苦手だった。
「私はこのリンゴをナシの10倍おすすめする」
という広告の文章があったとする。教科書的に言えば「リンゴ」を一番強調するべきらしい。しかしそうだろうか?と思ってしまう。「私」という情報は必要だ。もし「私」が「蛾」に置き換わったらなんか気持ち悪くて買いたくない。「この」も大事。リンゴ一般ではなく、このリンゴだと言いたい。「ナシ」も大事。「ナシ」が「シャープペンシル」とかになったらもう何を比べてるのか分からない。「10倍」は抜かせない。どのくらいオススメなのか分からないと。「おすすめ」は言うまでもない。必要だ。そして最後の「する」が一番重要。これが「しない」なら文章は180度変わってくる。
こんなふうに情報を重要度別に分類することができない子どもだった。ひとつでも情報が抜けると、文章に大きな欠落が出たように感じてしまう。

また例えば、長期休みの絵日記を書くとき。
旅行に行ったときの旅程を、枠びっしりに事細かに書き込んだ。母に「別に先生が知りたいのはどこの高速道路に乗ったとか、どこの飛行場から飛行機に乗ったとか、どこのホテルに泊まったとか、食事は何を食べたとか、そういうことじゃないでしょ。ぺぎんがどう感じたのかを先生は知りたいんじゃない?」と、大量の添削を食らった。
そう、私は旅の情報を本当に全部書いていた。高速道路は乗り降りしたICまで書いていたし、高速道路で出した車の最高速まで書いたからお父さんに軽く怒られた。食事は飲んだ飲み物からサラダの具材、およびそれらの比率まで書いていた。
だってその方が先生に伝わると思ったから。旅行に行って感じることって皆同じでしょ?美味しいご飯は美味しくて嬉しい。サラダが多いと嬉しくない。高速道路でお父さんが笑いながらアクセルを踏み倒すのは怖いけどワクワクする。ある特定のICで降りたら、ある特定の景色が見える。時間帯が遅くなれば多少は疲れてくるし、朝早くはちょっと眠い。そういうチョコマカとした旅行中の感情は、事細かに書いたほうが絶対にうまく共有できると思ったのだ。同じ景色や時間、状況を共有できれば、自ずと私の感情は先生と共有できる。無意識にそう考えていたのだと思う。

また例えば、風景画を描く美術の授業。
「感じた色で着色する」という趣旨の授業。みんな、教室の風景を灰色で描いたり、校庭の砂をを真っ赤に描いていたりする。
なんでそんな色で描くのだろうと思った。少なくとも私の目にはそんな色には見えてないし、その色使いからは私は何も感じられなかった。
教室の灰色はつまらない毎日を、校庭の砂の赤色は砂が真夏にとても熱くなることを表現したかったらしいと、あとで皆の感想シートを見て知った。
私は風景画は好きな方だったのだが、この授業では上手く描けなかった。なんでみんなは上手く色を使えるのだろう。もちろん上手くってのは、先生から評価をもらえるという意味だ。私からすると、リアルな教室をリアルに描けば、毎日の退屈さが滲み出てくると思ってしまうし、校庭の砂だって、一粒一粒が作るくっきりとした影を描いてあげたほうが、真夏のジリジリとした暑苦しさは伝わってくるんじゃないかと思った。少なくとも色に関して脚色して表現しようと思わない。色を変えるとフィクションになってしまう。それじゃリアルな感情は伝わらないんじゃないの?
私は本当に色を印象で塗るってのができなくて、本当はみんな、感情の赴くままに描いてるんじゃなくて固定観念に縛られて描いてるだけなんじゃないかとすら思った。灰色は退屈。赤は暑い。青は寒い。黄色は危ない。緑は若々しさ。今まで教えられてきた色の常識をそのまま描いてるだけなんじゃないか。だとしたら私の方が一枚上手だ。色を上手に使えなくても、少なくとも私のほうが他者に伝えようと努力はしている。

とまあ、上に記述した通り、私はこういうイヤな子どもだったのだ。そしてそのイヤな感じはまだ私の中で燻っている。
noteを書くにあたって、個人情報的な部分や、単純にすべてを説明するには文字数が多くなりすぎる部分など、妥協しなきゃいけないことが多い。
できるだけリアルにリアルに書いていこうとはしているのだが、やむなく都合のいい感じになってしまう時がある。自分の感情の動きを追ってる文章なんかは特にそうだ。本当はもっと沢山思っていることがあるのに、それを全て出してしまうと、文章にならない、支離滅裂な文字の羅列になってしまう。
だから私の中の「リアルに書かなければ伝わらない」という声に一度蓋をして、8割伝われば良いなって感じで書いてる。まぁ本当は多分3割くらいしか届いていないんだろうけども…(文章づくりもっと頑張ります)。

何かを直感的に、印象派的に、という言い方は合っているのか?
とりあえずいいや。印象派的に表現した作品は、人にどういう感情を抱かせるのか。写実的に表現された作品は、人にどういう感情を抱かせるのか。

苦手な形式の文章もいっぱい書いて、どんな文章がどんな効果を生み出すのか、これから沢山実験していきたい。

あっぶね、日付超えるとこだった。

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