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2歳児クラスの子どもたちが紡いだ影と光の探究物語

ある日、2歳児クラスの帰りの会で『かげはどこ』(文:木坂涼、絵:辻恵子、福音館書店、2016年)を読みました。

すると、何人かの子どもたちが、その後の合同保育の時間に「影、あったよ!」と呟き、大喜び。絵本の世界と現実世界とが繋がった瞬間に感動しました。そこで翌日、もう一度この絵本を読んで、園内にある影を探してみようと子どもたちに提案してみました(全員ではなく、もう1つの活動と選択制にしました)。20人のうち、約半数の子どもたちが参加を希望。早速「影探し」に出かけました。

影探しに出発!

園内にある影を探しに出かけた子どもたち。窓から差し込む光を見つけてポーズを取ったり、他の影と自分の影とが重なると自分の影が消えてしまうことを体感したり、影と光の関係をゆるやかに認識していきました。

2階にあるホールへ行くと、正方形の小窓から綺麗な光が差し込んでいました。子どもたちは喜んでこの光のもとへ行き、影を作って遊び始めました。そこで、子どもたちにオーロラ柄のカラーセロファンを渡してみることに。床に寝転んで間近に輝きを感じたり、光を踏んで捕らえようとしたり…それぞれ光と戯れる姿が見られました。

影から光へ

こうして「影」だけでなく「光」も子どもたちの探究のテーマに加わってきました。より明るい光を求め、園庭に出ることに。光の当たり具合で輝きがゆらめくカラーセロファンの模様に子どもたちの興味が膨らんでいきます。中にはカラーセロファンを筒状に丸めて光にかざす子も。暑かったため短い時間ではありましたが、子どもたちは屋内では感じ取ることができない影と光の世界を楽しむことができたように思います。

「先生!おひさま、いなくなった!」

再びホールに戻ると、ある女の子が目を丸くして私に話しかけてくれました。

「先生!おひさま、いなくなった!」

この活動をしていたのは午前中。だんだんと正午が近づくにつれて太陽の位置が高くなり、差し込む光の具合も変化していたのでした。私は全く意識していなかったことだったため、この素敵な呟きに感動。「くもに かくれちゃったのかなぁ?」と女の子は推測していました。「こんなに素敵な呟き、みんなに伝えたいなぁ」…。そう思った私は、近くにいた子どもたちに「○○ちゃんが『おひさま、いなくなった!』って気付いたよ!みんな、おひさま、どこいっちゃったんだろう…?」と問いかけることに。こうして、子どもたちの「おひさま探し」が始まりました。

おひさま、どこにいるかな?

窓から外を眺めておひさまを探していた子どもたち。すると、ある男の子が「おひさま、いるよ!あの四角いおうち(マンション)の裏側にかくれてるよ!」と呟きました。早速、彼のもとへみんなで集まりました。太陽そのものは見えませんでしたが、確かにマンションの裏側は明るくみえます。他の子も「明るくなってきた!おひさま、こっちにいるよ!」と呟き、お友だちに教えていました。夢中になっておひさまを探す子どもたちと、子どもたちがどんな発見をするのかわくわくしている私。同じ窓から外を眺めている時間に幸せを感じました。

明るい場所が何箇所かあることに気付いた子が、こんな呟きをしていました。

「おひさま、2こいるの。おつきさまは3こ。…月は宇宙にあって、雲に隠れているんだよ」

「2個」というのは、おそらくホールの北側と南側の窓の両方とも明るかった(=両方におひさまがいると考えた)ことを踏まえての考察なのでしょう。また、お月様の話も、満月や三日月など様々な形があることを知っていたからなのかも知れません。これまでの生活経験と「いま、ここ」とを紡いで生み出した考察に感動しました。

「おきたら、おそら、ぴっかりーんだったの!」

子どもたちの影と光の探究は、給食の時間までの約1時間続きました。私自身が本当に楽しくて、あっという間に過ぎていったように感じます。給食を食べて午睡をしたのですが、午睡明け、一緒に影と光を探究した男の子がこんな呟きをしました。

「○○くん(自分自身の呼称)、おきたら、おそら、ぴっかりーんだったの!」

可愛らしい呟きに胸がほっこりした後、「この子は日中の活動と、午睡明けで目の前に広がった世界とを結びつけることができたのだ」と気づきらなんとも言えない感動が込み上げてきました。この日の午後の時間にも影を探している子の姿が見られ、遊びと生活とが結びつきながら〝生〟を豊かに膨らませていく子どもたちの力を感じました。

まとめ〜未知を真ん中に据えた、協働・共創造的な学びや育ちへ〜

影と光…ともすれば対立すると思われがちなものが「子どもたち(と)の探究」という未知性を真ん中に据えることによって混ざり合い、新たな発見が生まれていった今回の活動。それは、既存知と新たなものの創造の関係性に置き換えることができるのかも知れません。

子どもたちはおそらく個々においては「太陽」「光」「影」を認識していたと思いますし、中には「月の形の変化」「太陽は雲に隠れると光が当たらなくなる」という知識を持っていた子もいました。けれど、「いま、ここ」において生まれた「おひさまが いなくなった!」という未知の状況に直面することで、バラバラだった子どもたちの知が総動員されて、みんなで1つの新たな仮説や物語を紡いでいくことができました。

不確かさに満ちた今日の世の中。だからこそ、未知を真ん中に据えて異質なもの同士が混ざり合うような、協働・共創造的な学びや育ちが大切だと思っています。

そして、我々大人の側が「『正解』を教える存在」から「子どもたちが、子どもたちと未知のものを共に生み出すことを楽しむ存在」へとシフトチェンジする必要性を強く感じています。それは、ある意味で「妖怪」を生み出した江戸時代の人々の感性に通ずるところがあるのかも知れません。

いまの子どもたちは、妖怪が実際にいようがいまいが、一緒に遊ぶことができている。かなり高等な精神ですよ。それは「粋」と言ってもいい。江戸時代なんて最たるもので、町内ごとに妖怪を勝手につくって楽しんでいました。おしゃれなんです。何か分からない物体を「これは竜の骨だ」と思える世の中のほうが、「クジラの骨ですね」と鑑定されるより、よっぽど面白い。通人というのは「クジラの骨と分かってらい!でも竜の骨と思ったほうがいいじゃないか」と考える。こういう幸せが21世紀には必要だと思いますね。ほぼ同じ時代に西洋では各分野の学者がワイワイ集まって、「にぎやかな科学」を楽しみましたが、江戸は「かっこいい科学」ですね。(『武蔵野樹林 vol.5 2020秋』2020年、角川文化振興財団、「『荒俣宏の妖怪伏魔殿2020』開催記念インタビュー『一緒に妖怪をつかまえよう!』」より引用)

「生まれながらに研究者・探究者としての子ども」と、「粋で通人な大人」(「南中も自転も公転も知ってらい!でも太陽が2つあるって思ったほうがいいじゃないか!」)とが出会い、日々わくわくの連鎖が生まれ続ける…そんな学びや育ちが実現できたら良いなぁと、子どもたちの姿を振り返って改めて感じました。

影と光とが出会い、ゆらめき生まれる〝動き〟…これからも大切にしたいです。

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