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〝逆みかん〟と〝恐竜のしっぽ〟〜未知と既知との出会い〜

いよいよ2021年も今日で最後になりました。
これまで小学生たちとの関わりがメインだった私にとって、乳幼児たちとの関わりの場に移ったことは大きな出来事でした。

保育園で子どもたちと関わる中で学んだことは、「目の前に広がる世界を捉えるために持っている知識を躊躇いなく組み合わせて未知のものを生み出す姿勢」です。それは特に、子どもたちが未知のものと出会い、持ち合わせている知識を組み合わせて捉えようとする瞬間に感じることができました。

「〝逆みかん〟」

1つ目の事例は、お散歩で木になっているみかんを見つけた2歳児クラスの子の呟きです。
10月下旬、園の近隣を散歩していると、あるお家の庭にみかんの木が植わっていました。目を輝かせて眺める子どもたち。すると、ある子がふと

「〝逆みかん〟!」

と呟いたのでした。

この子が「〝逆みかん〟!」と呟いたみかんの木。

当初はこの子の呟きの真意が分からず、知っている「みかん」という言葉と「逆」という言葉を組み合わせて偶然〝逆みかん〟という言葉が出来上がったのだろうと感じました。

しかし、別の日にお散歩へ行って〝逆みかん〟の木の前を通った時、私はハッとしたのです。

こちらが〝逆みかん〟。みかんが空の方へ向かってなっています。

よくみかんの木を見てみると、地面のほうに垂れ下がって生っているみかんたちの中に、空の方へ向かって生っているみかんがあったのでした!確かに一般的な果物のイメージからすると「逆」なのです。そう、この子はこの事象を〝逆みかん〟という新しい言葉で表したのでした。

「見て!〝恐竜のしっぽ〟よ!」

2つ目の事例は、小川に映る模様を見た2歳児クラスのある子の呟きです。
園庭遊びをしている時、ふとある子が小川を眺めて

「見て!〝恐竜のしっぽ〟よ!」

と言い、私を呼び寄せました。見ると川が恐竜のしっぽのように曲がって流れ、水面には鱗のように見える模様が浮かび上がっているではありませんか!この子は他にも川面の模様の中に〝恐竜の手〟を発見して喜び、友だちにも教えていました。

川面に映る不思議な模様を捉えようとし、既知のものの中から〝恐竜のしっぽ〟というイメージを選び出して投企することができました!

何気ない見立て遊びともとれる場面ではありますが、この子が初めて見た小川の模様(小川自体は日々目にしていたけれど、この子が意識して捉えたのは初めて)に心震わせ〝恐竜のしっぽ〟〝恐竜の手〟として認識した重要な瞬間であるように私は思います。

「未知」と「既知」の出会いが生み出すもの

〝逆みかん〟や〝恐竜のしっぽ〟の事例に共通するのは、子どもたちが目の前に広がる世界を捉えるために持っている知識を躊躇いなく組み合わせたこと。ここで「みかん」や「逆」、「恐竜」「しっぽ」といった既知の言葉や概念は何らかの具体的なものや現象を捉える役割を越えて、未知のものを捉えるための一要素となっています。そして子どもたちは、まるで積み木やブロック、素材を組み合わせるかのごとくこれらの要素を躊躇いなく操作し新たな言葉や概念を生み出したのです。このような子どもたちの姿は、先人たちが未知の現象に直面した時に妖怪や幻獣などを生み出したプロセスと重なる気がします。

角川武蔵野ミュージアムで行われた「妖怪大戦争展2021」へ行った時に撮影したもの。飢饉や疫病などといった未知の状況に直面する中で、先人たちは様々な要素を組み合わせ、願いを込めて「件(くだん)」を生み出しました。

このように考えると「未知」が持つ力について興味が湧いてきます。一方で、子どもたちの内面が「みかんが逆になっている」「川面に模様ができている」という事象を意識できる状態(=「既知」のものが子どもの内面に育っていた状態)になっていたことで、今回のような〝出会い〟が生まれたのではないかとも思うのです。

既知と未知の〝出会い〟が生まれる瞬間、そして、これらの事例を単にある子が「知識を習得した」「知識を活かすことができた」という能力発達的な捉え方をするのでも、のっぺりと一般化するのでもなく、連綿とした〝動き〟や歴史、革命などの文脈で捉え発信していくアプローチについて、今後も学んでいきたいです。2022年も、どうぞよろしくお願いいたします。

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