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声溜め

  私の肌はめっぽう白くなっていく。ファンデーションは一段階明るい色へシフトチェンジした。昔から友達に白肌の秘訣を質問されるが、いかにも休日は外出しなさそうな見た目で察しがつかないのだろうか。見た通りの、ただ朝昼晩パソコンにかじりついて深夜に散歩する、白豚でしかないのに。

 
 健康診断の日、太陽が出っ放しの暖かい春になり、少しは心も陽気になっていた。ただこういう油断する日に不幸は訪れる。電車に乗ると、当駅始発のため座席はかなり空いているのに、真隣におじさんが座ってきた。おじさんだからでしょ、イケメンならそうはいかないんでしょ、という話ではない。一度私の真向かいに座ってから立ち上がり隣に座った。これは完全に私を舐め過ぎた行為であることに間違いない。
 私は先日春だからといいコスメを新調し、久々の学校だからとちょっとばかし顔と服を可愛くした日だった。このおじさんのために可愛くしたつもりは無い。せめていつも会う生協のおばさんのために可愛くいたい。しかもアウターの色も似ている。シミラールックしてんじゃないのよこっちは。
 しかし、ここで立ち上がる勇気は私にはなかった。この座席の状態で5駅ほど続いた。一カ月ほど私は根に持つだろう。


 最近バイト先でよく従業員同士が愚痴を言っているのを聞き、心が苦しんでいる。話が通じず声の小さい私もきっと言われているのだろうからもういいが、誰かの愚痴を聞くとやはりいい気がしない。だれも得しないし。友達が愚痴でストレス発散できるなら聞くけど、職場で聞くとモロに効いてくる。
 でもこれは私が”バイト”という、特に期待もされていないただの学生という低い身分で働いているからこそ思うのであって、それなりに重要な仕事を任されているパートの人は不満ばかりなのだろうな。いつもすみません。


 小学生の頃、ニコニコ動画やyoutubeでボカロの曲を聴きまくっていた私は、今でも月一サイクルでボカロブームが来る。それでも最近の新しめの曲を聴くことは少なく、2010年代のニコニコ衰退期寸前辺りが多い。無機質な声が歌う、一見無意味でぽろっと泣ける歌詞は大人になってからも教えてくれるものが多い。人との付き合いに疲れた時、冷たくて軽い声が夜の星にぴったりだと思う。それこそ相対性理論はそれに近しい雰囲気がある。
 あの頃のわんさかしていたインターネットに、ネットリテラシーの欠片もない小学生が身を投げ入れ、子どものような大人たちと大人になりきれない子ども(私)がレスバしていた過去はどんな思い出にも負けないし、私のわずかな自信に繋がっている。いつかは無駄になるだろうけど

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