人はみんな繊細で優しい生き物だ、と思う
心の強さを人は何で測ってるんだろう
ある人は自分ではない誰かに
「あの人はメンタル強そう」と言った。
それはおそらくその人自身と相手を比較して言っていた言葉だ。
ある人は(他人は関係なく)
「自分が強くあろう(あらねば)」と言った。
その人は矢印の先が相手ではなく「己」だったと思う。
人は自分と誰かを比較して「自分はあの人と比べてなんてダメなやつなんだ」と自分を卑下することもあれば、一方で「自分はあの人より大丈夫(マシだ)」と納得させようとしたりする。
「あの人は心が強い」という人は「自分は心が弱い(繊細)」と思いたい人なのかもしれない。
「強いあの人」という比較対象を提示することで、「私は弱い人間ですからね」と間接的にまわりに知ってもらいたい、みたいな…
自分が弱い人だと自覚してるなら、それはそれで良いことだと思う。だってこの世にそもそも強い人なんていないから(と、私は思ってるから)。
でも心配なのは「(本当は繊細なのに)自分が強くあろう(あらねば)」と思ってる人。
そういう人はいつも矢印の矛先が自分自身に向いてるから、責任をひとりで抱えている感じがする。
そして、そういう人からは、共通して「強い責任感」を感じる。
だからまわりもそれを感じ取って、頼るようになる。頼られて(頼られる立場に昇って)目に見える責任(役職)と見えない責任(プレッシャー)に縛られて逃げ道がない感じ。
というか、そういう人はおそらく自身の選択の中に「逃げる」という選択肢がそもそもないために、余計つらくなってしまうのかもしれない。
一生懸命で必死なあまり、自分の抱えてるもの(責任感)がどんなに成長をとげてるとも気づけずに、ただただ重くなっていく矢印を、変わらず自分の方へ向けて、しかも同じ位置で持ち続けてる。
頼り甲斐があって、誠実な、まっすぐな人こそ繊細。それを表に出さずに、モノゴトと向き合う姿は素敵だけど、やはりどうしても「脆さ」「危うさ」を感じて、心配になってしまう…
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