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のあとパンとわたしと

パン学校に入学し、2週間前に見学を終えたわけですが、この2週間は考えて話し合って、そんな日々を過ごしていました。
それくらい考えるきっかけになった見学。
悩むきっかけになった見学。
当初はそれを、考えられてなかったなぁって、大きな反省として捉えていたんだけれど、
そうじゃい!と思えるようになった。
ここで考える時間がとれて、
立ち止まるきっかけができて、
本当に良かったと。
見えなかった物が見えてきて、
知らなかったことを知って、
だから出てくる不安もあるんだなと。

家族との形。
これからスタート地点をどこにおくか。
そんなことを考えていると、
なぜ?なぜ?と自分のことをどんどん掘り下げて考えていく時間となった。

これはこの先もずっとついてくるところなんだと思うけれど、大切な時間だし、今のわたしには必要なこと。

そして、そうしていく中で一つのテーマをもう一度確認することができた。

これはいつか、お店を持ったときに、お客様が感じてくれたらいいなと、そっと心にしまっておくことにしよう。


タイトルにもある「のあ」
これは今年1月まで一緒にいた家族🐈の名前。
実はパン学校に入るきっかけをつくってくれたのあ。

のあは、うちに来てから、6歳と半年で
この世を去った。
のあは腎臓に病気があった。
病気がわかってから、夫と協力して、えさの管理から脱水にならないための皮下注射。
そして1番にのあの生きる力。2年はもたない。そう言われてからの2年6ヵ月を懸命に生きた。

のあ太郎との別れは突然で、最近までずーっとお鍋に蓋をしたように心にしまっていた。

最近になって、そっとお鍋の蓋を開けるように思い出す。

本当に嫌なことがない限りにゃーって鳴かない。
鼻がつぶれていて、いつもぶびぶひ言っている。
フォルムはタヌキ。いつも1m先でじーっと見ている。
誰がきても動じることなく、常に一定距離を保ち、
寄ってはこない。抱っこもきらい。

その落ち着きとふてぶてしさから、いつしかのあ太郎さんという名前になっていった。
我が家の大先輩。守り神のような。

神々しい我が家のボス。


1月、のあ太郎さんとの別れの後、
ピアニストのフジ子・ヘミングさんの本を読んだ。
大好きなピアニスト。フジ子さんの生き方や言葉には、たくさんの経験をしたからこそ響く優しさと力強さがある。そして何よりもフジ子さんの動物たちへの慈愛の心。そんなこともあり、何か自分を勇気づけたくて、手に取ってみたのだ。

その本に「足るを知る」という言葉が書かれていた。言葉としては知っていても、あまり考えたことがなかった言葉。
その時に、自分の生活、のあとの生活を思い起こした。あれが欲しい、これが食べたい。あそこにいきたい。その時の欲のまま過ごしていた日々。のあの病気がわかる前はそれ以上の欲深い日々。
のあの病気と死をきっかけに、出かけずに家で夫ともう1匹のはなちゃんとの時間を大切に過ごすことが多くなっていた。買い物も最低限。すると、不思議なことに、その時の時間はゆっくりとながれ、食事もゆっくりと摂るようになった。そして、その中でシンプルなご飯がとても幸せであることにも気づいた。心も落ち着いている。

なんだ。幸せって外に探さなくてもあるじゃないか。
そんな風に考えることができた。
その後に、田村さんの書かれた
「捨てないパン屋」を読んだのだが…

そこにも「足るを知る」
そう書いてあった。
この言葉がここでも。
そんな時に知った二期生の募集だった。

今わたしは、自分の足るを知るをもう一度知りたい。
自分の中の足るを知るって何だろう?
そんなことを考えて、知りたくてパン学校への応募をした。

そこからもう少しで半年。
あっという間の半年間だった。
けれども、内容も濃く、わたしも少しずつ変わっている。
周りにばかり求めていたわたしも、
少しずつ今まで見ている世界が
もっと広くて大きくて、そして違うところが見え始めてきた。

改めて、連れて行ってくれたのあ太郎さんに感謝。


この青い空のどこかで、
のあが駆け回っていることを願っている。


お盆の季節は、家族やご先祖様のことをおもい、休みを満喫して、そしてまたやっていこうとおもう。




ただ一つ心配なのは、のあ太郎さん。
お空でしっかりと水が飲めているのだろうかということだ。(猫にとって脱水は危機的)
それくらい毎日暑い。

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