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代諾者の意向を大義名分にしていないか?

当直の合間に書き綴っておりましたが、救急車の猛攻にあい、まったく机に戻れず、、、またしても原稿落ち、、結局、予約投稿制度使ってもあんまり状況変わっていない気がする。。。すいません。

めげずに粛々と進めたいと思います。

臨床倫理シリーズですが、あまり今回のシリーズでは「個人的な意見」をのべず、できるだけ原則を知って頂くことを目的としています。とわいえ、結構きわどいところにもコメントしていますので、ご不快な思いをされる方もいらっしゃるかもと懸念しています。是非コメントを残してください。私見も交え、できるだけ丁寧にお答えしたいと思っています。
(単に反応が気になっているだけ、ですが、、)

さて、本日の話に入ります。

小児の医療でありがちな議論として、「両親が希望されているので、、、、」という文脈があります。

医師・患者関係を考えると本来医師は患者である子どもと契約を結ぶことになりますが、一般的にはその代理人(surrogate)、代諾者(proxy)としての「親」と話し合いを進めることになります。

昨日以下のような論点を提示いたしました。

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代理決定者は誰か?

判断能力のない人に変わって決定を行う権限を持つ人を代諾者(surrogate)または代理人(proxy)といいます。伝統的には近親者が自然な代諾者になると考えられています。子どもの場合は一般的に「親」が代諾者になりますね。

では、

「親の意向」が医療提供者の提案と衝突する場合にはどうしたらよいのでしょうか?

また

子ども自身の意向はいつから反映させるべきなのでしょうか?

「親の意向」が医療提供者の提案と衝突する場合

身近な例ではアトピー性皮膚炎のsteroid phobiaなどがあります。アトピー性皮膚炎の患児では「適切に」ステロイドを使用し、皮膚の炎症を管理する必要があります。ステロイドに対し極端な拒否感を示す親が塗布を拒否し、結果、皮膚からの浸出液が大量に流出するぐらい皮膚が荒れ、子どもが衰弱する、という例があります。手元ですぐ検索できたのが古い文献しかなかったので、実際の対応は少し変化していますが、症例としてはこんな感じです。
(タイミング見て新しい文献に差し替えますね。)

こういった場合、親の「代諾者」としての権利・義務はどこまで発揮されるべきなのでしょうか?

代諾の原則と最善の利益

誰かが患者に変わって決定する権限を与えられたとき、その人の決定は患者の意向や幸福を促進するものでなくてはなりません。

患者があらかじめ意向を示していた場合
患者の過去の発言や行動を元に患者の意向を無理なく推論できる場合

は「代行判断」と呼ばれます。

子どもの場合のように、患者自身の意向がわからないか明確でない場合、代諾者は患者の「最善の利益」を考えるべきであるとされています。代諾者の決定は患者本人の幸福を促進するものでなければなりません。この場合の「幸福の促進」とは、

苦痛の緩和、昨日の保持や回復、生命の長さと質について、合理的な人間なら誰もが同じような状況で選ぶであろうような選択と行うこと

と定義されます。

何を利益と見なすかは、できる限り代理判断をしてもらう患者の観点から決められるべきですが、患者がどのように世界を眺めるか証拠がない場合は、患者の利益は批判的に評価された社会共通の価値観(誤った情報、偏見、差別、ステレオタイプかなどに注意しながら検討された価値観)に照らして判断されるべきであるとされています。

「両親が希望されているので、、、、」

症例に戻ってみます。

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例えば、両親が、

「生きてさえいてくれたらいいんです。とにかく手術でも何でもして1日でも長く心臓が動いている状態にして下さい」
「こんな状態では生きている状態とはいえません。かわいそうです。すぐに人工呼吸器を止めて下さい」

と言われた場合、あなただったらどうされますか?

「両親が希望している」ので気管切開を行いますか?それとも人工呼吸器を止めますか?

かつての小児医療の大前提として、「人工呼吸器を止めることは殺人あるいは自殺幇助である」という文脈が存在していたため、どちらの場合にも、

「人工呼吸器がなければ ”生きて” いけない状態なので、気管切開をします。 ”法律的に” 人工呼吸器を止めることはできません。 "親の責任” として、この子を支えていってあげて下さい」

とお話しし、気管切開を予定していました。当然ですが、法律には「人工呼吸器を止めてはいけない」とは明記されていません。それが「殺人」「自殺幇助」に当たるのかは、「解釈」の問題になります。(安易に人工呼吸器を止めることを推奨するものではありません。念のため。このあたりは、安楽死、尊厳死、などの概念にも関わってきますので、また別の機会に議論しましょう)

なにが正解か、は一定の答えはないと思っています。しかし、両親と話し合う際に、前提として、

「両親は子どもの最善の利益に基づいて判断しているか?」

あるいは

「そのような判断ができる状況か?」

そもそも

「代諾者として適切か?」

など、先に挙げた論点を一度意識にあげて検討してみる、ということがとても大切だと考えています。

【参考文献】
Jonsen AR et al. 著 赤林朗他監訳 『臨床倫理学』第5版 進行医学出版社
清水哲郎/会田薫子編 『医療・介護のための死生学入門』 東京大学出版


小児科、小児集中治療室を中心に研修後、現在、救命救急センターに勤務しています。 全てのこども達が安心して暮らせる社会を作るべく、専門性と専門性の交差点で双方の価値を最大化していきます。 小児科専門医/救急科専門医/経営学修士(MBA)/日本DMAT隊員/災害時小児周産期リエゾン