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四分割表のどこから考えれば良いか?

昨日は7時に投稿がされていましたでしょうか・・・?

私は予言したとおり、Twitter/facebook での更新のタイミングを逃しました。それでも読んでくださった方が多くおられ、感謝しています。

昨日は臨床倫理の四分割表をご紹介しましたので、これに沿って考えていきます。とはいえ、四分割表のどこから考えましょうか。まず、前提条件を確認します。

善行と無危害の倫理原則

医療行為は、患者と医師の契約関係によって成立すると考えられます。ここでの医師の主たる責任は、「医学的専門知識と技術を用いて、助けを求める患者のニーズに応えること」です。患者のケアをする際に、利益を最大化し害をなさない、というのいうのは、善行と無危害と呼ばれる二つの倫理原則に基づいています

古く「ヒポクラテスの誓い」では

私の能力と判断力の限りをつくして治療を行います。これは患者を助けるためで有り、決して害を与えたり不正をなしたりするためではありません

とされます。善行と無危害の原則によって、医師には、考えられる介入の潜在的利益をそのリスクに照らして評価し、患者に提案を行い、その治療を受けるかどうか患者の意向を尋ねること、が求められています。

医学的無益性(Medical futility)

すべての「介入」が善行と無危害の原則に基づいて行われているとしても、それが患者にとってすべて「良い結果=利益」をもたらすことができるわけではありません。

臨床現場では、

- 生理学的無益性
- 確率的無益性
- 質的無益性

に向き合う必要があります。

生理学的無益性
これまでに知られている医学的介入では機能を回復できないところまで病状が悪化した状態での医学的介入
確率的無益性
理屈から言っても経験からいっても介入が成功しない可能性が非常に高いと思われ、しかもごくまれに例外があってもそれを意図的に生み出すことができない場合に、患者に利益を与えようとする努力をいいます。この判断の確かさは、臨床試験や臨床経験から得られた実証的データに依存します。
質的無益性
これらの医療行為によって得られる結果が、患者にとって意味のあるものであるか、ないものであるかを考える必要があります。医学的介入によってもたらされる結果が患者にとって「意味がない」と判断される場合に「質的無益性」という言葉が用いられます。

生理学的無益性は、緩和処置以外の介入をすべて中止するよう医師が提案するにあたっての倫理的理由になると考えられています。
たとえば、交通事故で脳の一部がはみ出すほどの頭部外傷を受けている人に、手術を行っても、状況を改善することは不可能だと判断した場合、手術を提案しない、ということに異論を唱える人はあまりいないのではないでしょうか。(もちろん感情的にその場で飲み込めるかどうかは別ですし、実際に要求される患者さんの家族もいらっしゃいますのでそれはまた別の議論)

一方で、これ以上の治療は「確率的に無益である」という医師の判断は、治療をやめるべきであるという結論を正当化しません。それによって得られる結論に対して、その結論が「質的に満足いく人生かどうか?」は多分に個人の価値観に依存するからです。

今回の症例でも、「植物状態でも心臓が動いている状態」に質的な価値を持つかどうかは、多分に個人の価値観に依存すると考えます。だからこそ、このような話が必要である、ということになります。

臨床倫理の四分割表のどこから考えるか?

先の議論を踏まえると、まずはこの患者さんが実際どういう状況なのか?ということを確認しておかないと、「質的無益性」の議論には入れないことがおわかり頂けたでしょうか。つまり、医学的介入によって患者が得られる利益と、生理学的無益性・確率的無益性について、きちんと確認する、ということです。

従って四分割表の左上、「医学的適応」をきちんと押さえておくことが必要になります。

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では、本症例の医学的適応は?

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このNOTEは医療従事者ではない方も読んでいただいていますので、ここは私のほうで、説明を補います。
(医療従事者の方におかれましては少し荒い説明、状況設定になりますがお許しください)

昨日の私の説明から、医学的適応に当たる部分を抜き出します。

・感情、感覚、思考などを司る大脳皮質が広範にダメージを受けており、
 外部からの刺激に反応することはできない。
・生命維持(心臓が動いた状態を継続する)のためには、人工呼吸が必要
 で、そのためには気管切開という手術が必要である。
・今後人工呼吸を離脱できる可能性はない
 (一生人工呼吸器が必要である)
・逆に偶発的に外れた場合、早期に気づかなければ生命の維持は困難である
・栄養は自分ではとれないので、栄養剤を注入して維持をする

という当たりが医学的な事実で、このためこれ以上の「集中治療的な介入」は「生理学的に無益」という判断です。逆に言うと、症例のような状況では、こう結論づけられるまで、画像検査、脳波、その他の生理学的検査などを組み合わせて、患者を評価し、情報を徹底的に集めることが必要になります。

いつまでに心臓死に到るか?は断言ができませんので、データと経験に基づき、

・最終的には心臓死(心臓が止まる)にいたるが、その期間は個人差があ
 る。(数日の場合もあるし、数年、数十年になることもある)

と判断します。

また、ご家族には上記の「医学的事実」を感情的に受け入れられるかどうかは別として、「事実」として理解して頂くことが必要になります。多くの症例で、ご家族はショックと悲しみの中におられますので、どのような状況でどのように話したら、まずは事実として理解ができるか、それを聞かされ、狂わしいぐらいに嗚咽される家族をどのようなサポートができるか?が医療チームには求められます。

【参考文献】
Jonsen AR et al. 著 赤林朗他監訳 『臨床倫理学』第5版 進行医学出版社
清水哲郎/会田薫子編 『医療・介護のための死生学入門』 東京大学出版









小児科、小児集中治療室を中心に研修後、現在、救命救急センターに勤務しています。 全てのこども達が安心して暮らせる社会を作るべく、専門性と専門性の交差点で双方の価値を最大化していきます。 小児科専門医/救急科専門医/経営学修士(MBA)/日本DMAT隊員/災害時小児周産期リエゾン