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唐突な終止符を迎えた知られざる偉人〜『撃ち落とされたエイズの巨星』 第1章 終焉を【期間限定公開中】

本記事では、PEAK books『撃ち落とされたエイズの巨星 〜HIV/AIDS撲滅をめざしたユップ・ランゲ博士の闘い』の第1章を全文公開します。唐突な終止符を迎えた知られざる偉人があの日何をしていたか,あの日まで何を積み上げてきたのかをご堪能いただければ幸いです。

【好評につき無料公開期間を当初予定の2020年7月31日から、2020年8月31日まで延長いたします】

第一章 終焉

六時間後に飛行機は墜落する。ニュースに彼の顔写真が流れる。アメリカのテレビのキャスターは、オランダ語の彼の名前をおかしな発音で読むに違いない。ユープだの、ヤップだの。そして彼のことを紹介するだろう。エイズと闘った天才科学者、医学界の外交官、五人の子の父親、人道主義者、HIVの治癒への道を切り開いた偉大な発見者などと。「ユップ」の愛称で知られたヨセフ・マリー・アルベルト・ランゲ博士は亡くなった。これでHIV治癒への鍵は燃えかすとなり、ウクライナの草原に散ってしまったのではないかと世界じゅうの人々が思った。

武装勢力は、撃ち落とす飛行機を間違えたのだ。砲弾が機体を突き破った瞬間、マレーシア航空17便のビジネスクラス、座席番号3Cに座っていたユップがそれを知ったら、きっと「バカ者」とか、オランダ語で「God verdomme(ちくしょう)」とかつぶやいたに違いない。彼は、相手が大統領だろうが、ノーベル賞受賞者だろうが、バカだと思った相手なら公然とバカ呼ばわりして罵ることで知られていたから。

親ロシア派武装勢力が発射した地対空ミサイル「ブーク」は、機体の先端付近で爆発した。

「バカ者らが。ロシアと一緒にくだらない戦争などしやがって。そんな戦争地帯の上空を飛ぶように指示した航空管制官らも、大バカ者だ」

そもそもユップはマレーシア航空も嫌いだった。HIVの流行を追って世界じゅうを飛びまわっているうちに、お気に入りのKLMオランダ航空のマイレージは何百万マイルもたまっていた。ただ、アムステルダム発メルボルン行きのビジネスクラスは、マレーシア航空がいちばん安かったのだ。彼はメルボルンで開催される第二〇回国際エイズ会議で、講演を行う予定だったのである。

メルボルンでは、ソフトな声でナイフのように鋭い言葉を発するこのオランダの医学研究者の話を、一万六〇〇〇人が楽しみに待っていた。ユップは自分が思ったままを言葉にし、専門用語でごまかすこともなければ、政治的な忖度もしなかった。彼はエイズ流行の最も初期の段階で(それはたまたま彼が医学研究者としての一歩を歩み始めた時期と重なったのだが)、この道に飛び込んでしまった。

まさにそのときから、貧しく弱い人々を擁護し、周りからは現実的ではないとか常識外れだと言われるような立場をとり始めたのである。大きな国際エイズ会議などの最も重要な舞台でも、ユップは世界で有数の権威ある科学者と対立し、現状の維持だけでは決して満足しなかった。何もしなければ金持ちの白人ばかりが優遇されるからだ。

科学者や政策責任者が、エイズ患者の命を救う薬をアフリカに普及させることは難しいと言えば、ユップは彼らを「卑怯者」や「能無し」と呼んで罵った。「アフリカのどんなへんぴな地域にも冷えたコカ・コーラやビールを届けることができるなら、薬だって届けられるはずだ」というのが、彼の決まり文句だった。

❖  ❖  ❖

ユップがエイズと出会ったのは、一九八一年の夏だった。二六歳の彼は、医学部を卒業したばかりで、この謎めいた新しい死病と相対することになる。彼が勤めるアムステルダムの病院の救急外来を訪れた男性たちは、彼と同じくらいの年か、ときには彼より年下の若者だった。体は発熱し、どんよりした目の周りにはどす黒いくまができている。まるで死人のようにふらふら歩き、担架に崩れ落ちる彼らの体をむしばんでいる感染症は、人類がまだ遭遇したことがない病で、治療のための手引きさえなかった。

患者たちの血管の中を流れ、脳に入りこみ、睾丸に潜んでいたウイルスは、あれこれと変異をとげながらサルからヒトにうつったものだった。そしてまさに侵入者からヒトの体を守る機能を持つはずの免疫系を攻撃したのだ。患者たちの体は無抵抗になり、肺や皮膚に数知れない奇妙な感染症が広がった。目が落ちくぼんだ若い男性たちは、乾いた咳に苦しみ、下痢の汚物にまみれていた。彼らはじわじわ苦しみながら死にいたった。

エイズに尊厳などない。あるのはただ困惑だけだ。愛する人に先立たれ、残された恋人は絶望し、両親は途方に暮れた。ユップは袖をまくり上げて診察にあたるしかなかった。患者の腹を手で押さえるだけでなく、若い患者たちにセックスや情欲に関する質問もした。小説の本やメモ帳をかばんに詰め込んでは、サンフランシスコやロンドンやシドニーに赴き、エイズで為すすべもなく患者を亡くしているほかの医師たちと話をした。

当時、エイズは死刑宣告に等しかったが、ユップはそれを変えていった科学者の一人だ。アムステルダム大学の学術医療センターで、彼は患者の血液サンプルの入ったガラス容器をその長い指でつかみ、病棟と研究室を行ったり来たりした。風を切って足早に廊下を歩き、白衣の裾がぱたぱたと揺れた。この新しい病は、臨床現場だけでは闘えない相手だった。研究室でしっかりと向き合い、エイズを引き起こすウイルスを調べあげる必要があったのだ。

聴診器と顕微鏡をともに使い、シャーレと患者の症状を交互に観察し、ユップはHIVの正体をあらわにしていった。そして、ウイルスの構造を明らかにし、その弱点を突きとめた。ユップが一九八〇年代半ばに行った博士課程の研究のなかには、HIVとエイズに関するその後の研究に大きな影響力を与える発見が含まれている。それから三〇年にわたり、彼は四〇〇本近い論文を発表し、ある試算によれば、何百万人もの人々の命を救ったのだ。

二〇一四年七月一七日、マレーシア航空の飛行機に搭乗したユップのとなりには、彼の人生最愛の人、ジャクリン・ファン・トンヘレンがいた。彼と同じ道を歩き始める前に、いくつもの職業を経験した女性だった。つややかな茶色い髪がふんわり肩を覆い、ふくらはぎまであるデザイナーズブランドのナース服を着こなしていた彼女は、その立ち居振る舞いのすべてがエレガントだった。頬骨が高く美しい顔、そしてなめらかな肌は、とても六四歳――もうじき六五歳――には見えなかった。ジャクリンの誕生日は、九日後だった。そして、ユップは九月に六〇歳を迎える予定だったのだ。

二人が出会ったのは、一九九〇年にアムステルダム大学学術医療センターの看護師長として彼女が採用されたときだった。当時ジャクリンは別の男性と暮らしていたし、ユップも結婚しており、妻とのあいだに五人の子どもがいた。その後、ユップとジャクリンの何十年にもおよぶ友人としてのつきあいは次第に恋愛関係となり、二人は亡くなる年の七年前に、家族や気心の知れた友人たちにそれを公表した。

ジャクリンは、ユップのとなりの窓側の席、3Aに、背中をしゃんと伸ばして座っていた。きれいな姿勢は、長年バレエをやっていた名残だ。マレーシア航空のビジネスクラスの機内食メニューを見た彼女は、同僚のハン・ネフケンスに「美味しそう、楽しみ」と、テキストメッセージを送った。アジア料理は、彼女が生まれた国、インドネシアを思い出させるのだ。また、弟にも、ある大事なことを伝えるため、メッセージを送っていた。

MH17便に乗る前の晩に、ジャクリンはどういうわけか遺書を書いていた。そして、その執行人として弟のフィリップ(フリップ)・ファン・トンヘレンを指定していたのだ。「電話して言っておこうと思ったのだけど」というEメールを、午前一時に弟に送信している。

そして、知らせたい秘密がもう一つあった。長年別々に暮らしてきたユップとジャクリンは、ついに二人で住むための家を――愛の巣を――買ったのだ。一〇日後、メルボルンから戻ったら入居する予定だった。その家で、ユップは小説を書くことにしていた。ジャクリンは、ユップと一緒に長い休暇をとって、その家を拠点に世界じゅうの行ってみたい場所へのんびり旅することを夢見ていた。もちろん、二人してHIV撲滅を目指した闘いは続ける。一つのウイルスが体内に侵入し、白血球を破壊したのち、国境を越えて地域の経済まで破壊していくさまを、二人は間近に見てきたのである。

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今、ウクライナの村の上空に、黒煙と悲嘆が入り混じったむせ返るような空気が漂う。オーストラリアのアウトバックのガイドブックは灰になり、コアラのぬいぐるみの顔も焼けてくしゃくしゃだ。

旅行用の歯ブラシは溶けてプラスチックの液となって焦げた黄色い草の合間に点々とたれている。ずたずたになった機体は野原のあちこちに散乱し、引きちぎられた胴体や尾翼の部分はまだくすぶっている。

乗っていた人は全員亡くなった。二九八人の中には、複数のオーストラリア人、インドネシア人、マレーシア人、イギリス人、オランダ人、ドイツ人、ベルギー人、フィリピン人のほか、アメリカ人とカナダ人とニュージーランド人がそれぞれ一人ずつ含まれていた。死者の中には、赤ん坊が三人、子どもが七七人、修道女とヘリコプターの操縦士が一人ずつ、そしてエイズ研究者が五人いた。あるオーストラリアの夫婦は、同じ年の三月に消息を絶ったマレーシア航空の別の便、MH370で、息子夫婦を失い、今回のMH17で孫を一人亡くした。近隣の家や畑には、遺体が降ってきた。彼らの体と命は、親ロシア派武装組織にとっての取引材料にまでされてしまった。

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死が訪れる六時間前。アムステルダムは涼しい夏の朝を迎えた。ジャクリンは自宅の床にしゃがんで荷造りをしていた。ミッソーニのスカートやコム・デ・ギャルソンのブラウスを詰め込もうとするが、スーツケースはすでに靴でパンパンだ。親友のペギー・ファン・レーウェンにテキストメッセージを送る。「私ったら、まるでオランダ版イメルダ・マルコスよ!」

ユップは、スタッフの一人に皮肉っぽいEメールを送り、医学雑誌と小説三冊を機内持ち込み用の荷物に詰めると、愛犬リジーの柔らかい灰色の毛をなでた。そして、五人の子どもたちと暮らすおしゃれなベートホーフェン通りに、リジーを連れて出た。長いフライト前の散歩だ。朝の風はさわやかで、リジーは嬉しそうにユップの脚のあいだを出たり入ったりする。車で通りかかった友人に、ユップは手を振った。


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下記より「オラニエ妃による序文」と「『撃ち落とされたエイズの巨星』が生まれたいきさつ」も試し読みいただけます。



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「PEAK books」は科学と医療をこよなく愛する編集者が生み出したレーベルです。日々の本づくりの中で、巨人の肩に立つ科学者が無から有を発見するドラマに感動し、医療関係者が真摯な想いで献身する姿に心を奮わせています。公式サイトhttps://peak.yodosha.jp/

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■シーマ・ヤスミン/著,鴨志田恵/翻訳 ■2019年11月25日発行 ■HIVを地上から一掃したいーーMH17便撃墜事件で急逝したIAS元会長ユップ・ランゲ博士.死に至る病をコントロール可能な慢性疾患に変えた人類の叡智と,社会実装上の困難を,医師ユップの生涯とともに描く

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