サマーベッド
自宅にあるサマーベッドは、息子福山が生まれた時に、父親が、担いで運んでくれたものだ。
父親が、息子福山の命を繋いでくれた。
上の娘が保育園に通っていた時に、5ヶ月で流産した。
子宮口が、開いてしまい5ヶ月で生まれ落ちてしまったのである。
娘も弟が産まれてくることを楽しみにしていた。
自分が一人っ子だったので、娘に、兄弟を作ってあげたくて、
歳の離れた頃合いに妊娠し、またの流産を防ぐために、今回は、子宮口を糸でしばるシロッカーという手術に挑んで取り組んだ。
5ヶ月目、再び、陣痛が訪れ、緊急入院。
しかし、手術のおかげで、無事、難を逃れた。
そして、臨月を迎え、糸を抜糸し、無事、息子福山が誕生した。
そんな我が家に、サマーベットを父親が、担いでやってきてくれた。
その何年後であろうか、事実を知ったのは。
息子福山が無事、産まれてきてくれるのか不安定な時期に、実は、母親は、生死の境を彷徨い、入院していたのである。
私は、それを知らない。
父親は、私に知らせなかったのである。
父親は、毎日、母親の病室を見舞い、帰りに、お惣菜を買い、1人で看病していたのである。
私は、私の犠牲の上に成り立っている人生だと思って育ってきた。
何かと、母親は、私の人生の分岐点に影響を及ぼしてきた。
だから、もし、妊娠中に、母親が生死の境に遭遇していたならば、また、運命に翻弄されて、息子福山と出会えなかったのかもしれない。
それを父親は、1人、抱え込み、私に、心配かけないようにと知らせなかったのである。
産院が母乳を推奨していた事から、息子福山が母乳で育っているのかと思っていたら、母乳が足りていなくて、体重が増えずに、指導が入った。
母親の応援が無いばっかりに、2人目の育児だったくせに、まともに子育てができていなかった。
4ヶ月の検診で、息子福山が肢体の障害を疑われ、1歳まで、リハビリの為に通院していた時に、自然の流れに背いて出産した事への罰ではないかとさえ、考えながら毎日を送っていた。
その間も、息子福山の子育てで、精一杯で、母親からの連絡が無いことも気が付かずに、
母親は、闘病生活を送っていたのである。
親不孝な娘である。
自宅にあるサマーベットを見ると、父親の気遣いに、涙が出る。
息子福山を守ってくれてありがとう。
そして、お母さん、ごめんなさい。
その当時の詳細の話を聞いたのは、母親が他界をし、父親の介護のために、実家に足を運んだ時の、父親との会話の中での出来事であった。
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